かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

お茶会の欠席

2017-09-24 | 気ままなる日々の記録

  わたしが入居している施設は、週末以外には「お茶会」がある。1階のロビーでラジオ体操の後、皆でお喋りをしながらお茶を飲むのである。

 先日そのお茶会に主人が欠席した。何時も主人はラジオ体操には出ないので終わると私が部屋まで迎えに行く。その日は部屋に行くと留守。新聞エリアにも行ってみたが見つからない。けいたいへ掛けることは思いつかなかった。其れに私は携帯を持ち歩かない。

 私一人でお茶を飲んでいると、皆が「ご主人はどうしたの?」と聞かれる。「あちこち探したんですがいないんですよ。今のところ行方不明」と云うと「早速捜索願を出さなきゃあ」とワイワイ、ガヤガヤ。グループの一人が私は飲んだから、見てきてあげると云って帰られた。

 ゆっくりお茶を飲んで部屋に帰ると主人がいるではないか。その日は茶菓子に水まんじゅうが出てとてもおいしかったので是非たべさせたいと思い探した旨を伝えると「館内散歩をしているうちにすっかり忘れてしまった」という。

 次の日「お茶会」にでかけると皆から質問攻めにあった。「昨日は何処で浮気をしていたの?」と。主人は澄ました顔で「エレべーターの中」と云っている。質問した皆は想定外の答えにあっけにとられている。エレべーターの中の老婦人がボタンを何度も押し間違えている間に時間が経ってしまったというのだ。

 主人は人をからかうのが好きで人々を時々煙に巻く。主治医の先生にさえジョークをいう。など、我々はたわいもない言葉が飛び交う特別な空間で毎日を過ごしているのである。(E)

    

                                                 台風で水嵩が増えた用水路

 

 

 

 

 

 


秋のお彼岸か

2017-09-22 | 気ままなる日々の記録

  今日は9月22日で、多分秋のお彼岸、秋分の日で「おはぎ」を作ってお仏壇にお供えしていた。同じもの春には「ぼたもち」といい秋には「おはぎ」と云っていたが、子供の頃のことでじつはよくわからない。僕の母は田舎の大きな自作農で生まれ育ったのでこうした伝統的な季節行事を大切にしていた。中秋の名月の日には、ススキの穂を木曽川の河原で獲ってきて瓶に刺し煮た里芋を丼に入れてお盆に載せお月様にお供えしていた。

  当時の田舎の暮らしは半分は大陰暦が使われていたので、江戸時代からの伝統行事が大切に行われていた。敗戦だからか知らないが、戦後こうした伝統的な行事を全部やめてしまってクリスマスとかバレンタインとかいって、騒いでいる商業主義に辟易する。

  ところで、例の餅米を蒸して[臼で搗いてあんこをまぶしたものと、あずきを蒸してつぶしてスイノで濾して皮を取り除いたものをおにぎりにまぶしたものがはるには「ぼたもち」と呼ばれ、秋には「おはぎ」とよばれていた。ボタンは春の花で、萩は秋のはなである。

  江戸時代や戦前まで日本人がどんなに大自然の季節の変化を慈しみながら暮らしていたか、こうした伝統的文化を全て「古い=野蛮=迷信」と捨ててしまった戦後処理が軽率だと悔やまれます。アメリカはヨーロッパのプロテスタントの人々が一画千金を夢見てやってきたくにです。伝統文化の奥行きがちがいます。そこを間違えた当時の我が国のリーダーたちの軽率さが悔やまれます。(T)

    

                                                            彼岸の日に


今日9月18日は、ものの本によると、「カイワレ大根」の日だそうである。

2017-09-18 | 気ままなる日々の記録

  その本は、文春文庫白井明大著 旬を楽しむ「日めくり七十二候」である。

 理由は他愛ない、8を横にして中心に1をくっつけるとカイワレ大根にみえるという。カイワレ大根は「抜き菜」の代表のような菜で『時無しダイコン」といって、冬を除き何時撒いても1週間ほどで収穫できる貴重な野菜である。

 我が家ではお味噌汁の具にもよく使われていた。ビタミンが豊富とかで、子供の頃はカイワレ大根をよく食べると褒められたものである。(T)

    

                              実りの秋  近し

 


アメリカ紫陽花をみて。

2017-09-15 | 気ままなる日々の記録

 前庭のアメリカ紫陽花の花が咲いた。いや、7月に咲き始めて今も咲いている。これを見てある出来事を思い出した。

 15年も前のことである。その頃我が家はよくホームステイを引き受けていた。そして、サンフランシスコからシャイな男子高校生がやってきた。どこか日本的なところへ連れて行こうとプランを練り白川郷へと決めた。

 自動車の座席が空いているので隣の町内に住む田舎を好きそうなアメリカ人を誘った。彼とどうして知り合ったのか今では忘れてしまったが、きっとどこかのパーテイで出会い家が近いということで知り合ったと思う。それに、息子の出身校の高校に勤めていた。彼はアメリカの有名大学で日本学部を卒業しており、俳句を読んだり日本文学や漢字をかなり知っていた。

 私が予想していたとおり、白川郷につくと「こういう田舎に住んでみたい」と云って来たことを喜んでいた。6月下旬ごろのことで、茅葺屋根の家の周りには沢山の紫陽花が所狭しと咲いていた、ところが、彼は紫陽花を知らないという。どうしてこんなありふれた花を知らないのか不思議だった。が、若い男性はそんなものかと思っていた。ところが、今になって分かった。アメリカの紫陽花と日本の紫陽花では、花の色も葉の形もすっかりことなっているということが。

異文化交流では沢山のミスをして、恥ずかしい思いをしたことが、一杯ある。(E)

  

                          まえにわにて  アメリカ紫陽花。

 


MRI検査を受けてきました。

2017-09-11 | 気ままなる日々の記録

  MRI検査とはどんな検査なのか説明を受けていませんので知りません。《後程ネットで調べます)細いベッドに縛り付けられ特に頭の部分は型に嵌められ隙間をタオルで埋められ、洞窟の様な所へ押し込まれます。間もなくガラガラ・ゴウゴウ言って何か機械音が頭に響く。その上、時々大きな音になって僕を驚かす。日本の医療水準は世界一と聞いていたが。どうやら僕が罹った医院はその時のデータに入っていなかったようだ。20分位その機会の中に入れられていただろうか、終わったときには本当にホットした。

 要するにこの機械は患者のことを全く考慮に入れずに設計され買う方も検査を受ける人のことを考えずに買ったらしい。

 多分偉い人が賞賛し、学会ではそれを使った研究報告がなされているのだろう。消費者としての患者は無視されていることがよく分かった。健康保険が導入されたとき、厚生労働省と日本医師会が協議してどういう基準で補助金を受け取るかの基準を作った。そこへ、患者代表がはいっていなかったことが、致命的な欠陥となった。患者への気配りの無い医療制度をつくりあげてしまった。

 典型的な例は日米の比較をすればすぐわかる。僕の友人がアメリカの開業医で診察を受けた時、予約の時間きっかりに診察室のドアーがあいて、患者の名前を呼び、診察室へ入るとその横に応接セットがおいてあって、其処へ座ることを勧められそこへ座ると紅茶とケーキが出てきたと云います。そうして、旅行は楽しいか、アメリカで困ったいることは無いかときいてくれ、優しい英語で日本人用の発音ではなしてくれたといいます。

  ここでは医療も確実にサービス業で患者さんの立場に立ってあらゆる説明をし使われる器具も患者さんを驚かすようなことは無い。それに引き替え、日本の医療は偉い人が哀れな患者に救いの手を差し伸べている感謝して受け取れという立場で患者の個人的な人生に医者が土足で踏み込んでくる。困ったものだ。

 僕は今、週3回リハビリを受けている。或る時僕は理学療法士に僕のリハビリは順調ですか?と聞いたら「どういうことか分からない」という。そして、今まで行ったリハビリの記録はのこっているが、何かの能力が向上したという記録は取ってないという。驚いた。もっと有効なリハビリがあるかもしれないという、不安が彼女たちには全くないのだ。なぜか、それは、偉い先生が決めたリハビリ基準を守って自分はおこなっているからだという。(T)


絆創膏騒動

2017-09-09 | 気ままなる日々の記録

  主人はよく皮膚病に罹る。今回は足の裏にいくつもの水疱ができた。薬を塗り四つ折りガーゼを2枚重ねてテープで留める。これくらいは、私でもできるので、手伝える。数日して止めるテープがなくなった。近くのコンビニへ出かけた。今はバンドエイドばかり。止める絆創膏というものがない。見舞いに来る娘に頼んだ。持ってきたのは何とバンドエイド。わたしは「これを今は絆創膏というの?」と聞くと「絆創膏は総称でバンドエイドは商品名でしょ。」という。応急手当としてガーゼの上から包帯を巻きガムテープで留めた。何とセロテープまで切らしていたのだ。

 次の日、病院内に入っているコンビニへの購入サービスがあった。早速頼もうとしたら、ガーゼはあるが絆創膏はないということだった。仕方がないので大きな薬局へ出かけるしかないか、と思った。

 事務室から自分の部屋への帰り道何だか変だと気が付いた。ガーゼが売られているのに止めるテープが無いとはどういうこと?10歩も歩かないうちまた事務室へ取って帰った。「ガーゼを止めるものが欲しいのだけれど何というのでしょう。」と尋ねるとスタッフの一人が分からないという。隣のスタッフも分からない。親切なスタッフはとうとうコンビニへ電話して詳しく説明し出した。何と正式な名前は「紙バン」というのだそうだ。この紙バン忘れそうなので今回3個も注文した。

 分からない言葉が増え、使い慣れない言葉が口から出ない。

 留守電に小4の孫娘から。電話が入っていたので早速かけたら、フリースクールとかなんとか云った。聴くと自然の中の施設に宿泊して、自然や社会の勉強をするのだそうだ。

 最後に「さようなら」と云ったら「bye-bye]と返ってきた。(E)

    

                                                      前庭にて  マリーゴールド。

 


9月8日は千代女の命日だそうです。

2017-09-08 | 気ままなる日々の記録

  千代女と云えば「朝顔に釣瓶とられて貰水」と云う句を詠んだ加賀の女性歌人。ものの本によると、十代ですでに俳諧の世界で頭角を現した才女ですが、意外と本人に関する伝記が伝えられていなくて、結婚していたかどうかも不明のようである。ただ、50代で剃髪して尼僧になり、法名を素円《そえん》と号したという記録はあるようである。

 「何着ても美しゅうなる月見かな」《素円》

優しい言葉で、或る情景をクッキリと映し出す、俳句の良さを十分に発揮した句といえよう。

   

                    9月の月

                                       


今日は期せづして、充実した1日であった。

2017-09-05 | 気ままなる日々の記録

  ここ住宅型有料老人ホームの先生の診察があり、

 「最近はどうだね」とおっしゃるので、

 「理学療法士と呼ばれるリハビリの担当者がこんな半身不随の老人にあれやこれや面白くもないことをやれやれというので困っております」と云ったら、

 「最近世界レベルで脳外科の研究が進んでいて我が国では京都大学の医学部の先生がいい研究をしておられてね、確かに壊れた脳細胞は少しも修復されないけれども、脳には、何もしていない元気な細胞が一杯あって、訓練していると壊れた細胞の周辺からその遊んでいる細胞への回線が繋がって、今まで遊んでいた細胞が壊れた細胞の代役をするということがわかってきたからね。リハビリも本人がやる気になって努力すれば、かなりの回復が期待できることがわかってきたからね。」とのことであった。

 昼食を済ませて、家内と蓮池と呼んでいる池へ散歩に出たら、丁度1歳と2か月という可愛い女の子がお母さんと遊びに来ていてヨチヨチ歩きをしながらドスンドスンと尻餅を着きながら歩く練習をしていた。2~3ポあるくと笑いすぐまた尻餅をつく。僕は可愛い女の子を見ながら頭が下がった。

 この子はまちがいなく自主トレをしている。これをしながら、脳の中の神経回路の合理化を進め、何も考えずに歩けるようになろうとしている、と思った。昔の諺にあるように

 「背負った子供に教えられ!」の構図である。

 明日のリハビリで真面目にやると理学療法士が「Tさん、どうしたのですか?明日は雨どころか嵐になるといけないから、休み休みやってくださいよ」と云うに違いない。と思うだけで楽しくなってきた。

シツレイシマシタ(T)

  

                 さんぽみちで  萩の花


9月3日は「東京」が生まれたひだそうです。

2017-09-04 | 気ままなる日々の記録

    白井明大著「日めくり72候」によると、9月3日が東京が生まれたひだそうです。

慶応4年7月17日(1868年9月3日)「江戸を称して東京となす詔書」が発せられたと云います。

当時は[とうけい]とも読んだと云います。こういうエピソードを知っていると、江戸時代が随分身近に感じられます。

 明治維新と昭和20年8月15日の敗戦によって日本の歴史は寸断され、 日本の伝統文化も寸断され、浮遊を始  めました。

 最近のテレビをみていると、下品で下品で落ち着いて見ておられない。 嘗て、評論家の大宅荘一しが、民間放送がテレビ界に進出してくることを認めようとしたとき、 一億総白知化が進むと心配していましたが正にその通りで、普通の人が恥ずかしくて人前で云えないようなことをお笑いタレントと称する奇妙な人たちが堂々と口にし笑いを獲っています。

 スポンサーは視聴率に時間を掛けた数をを元に算出した金額をテレビ局に支払うと聞いています。

 これでは、上品を保持しようというベクトルは何処にもなく、すぐに若い女性が白いパンティーストキングで足を挙げて 踊るステージばかりを放送し、時間を稼いでいます。

 今や留まる場所を見失った感じさえします。こんなテレビが各家庭に溢れることが文化国家であり、豊かな社会であるはずもありません。もう、テレビは見ないというのが、唯一の愛国的中年の勤めなのでしょうか。

 つまらない映像のスポンサーになっている会社の製品は買わないという国民運動を興したいものであります。(T)

   

                        散歩道で  昔を思い出すこうせきうり   


メイン州からEーメイルが。

2017-09-03 | 気ままなる日々の記録

  カナダと国境を接するアメリカ北部のメイン州の島からEーメイルが届いた。30年来の友人へ、誕生日祝いのEーメイルを送りその次の日お礼のメールが届いたのだ。

 数年前まではニューヨークの自宅へ手書きのカードを送っていたのだが、81歳になる友人がやっとアドレスを持ったのでEーメイルが使えるようになった。

 その友人夫妻は8月に入ると直ぐ1か月間クリニックを休みにして、避暑にでかける。大抵はメイン州ポートランドからフェりーで30分のクリフ島でコテージを借り夏休みをそこで過ごす。時々はソウコ―という町の実家に寄っていることもある。

 下旬の誕生日の頃は何処にいるか分からないので、留守と知りつつニューヨークの自宅へカードを送っていた。そのため避暑から帰って間の抜けたころカードを見、間の抜けたころカードの返事が届く、と云う具合であった。それが、Eメールになってからは、世界中どこにいても、Eーメイルアドレスのとこへ瞬時に届く。本当に便利になった。

 Eメールによると、誕生日の朝は霧が出て霧を見ながらポーチで朝食を摂った。緯度が高いのでもうバッタが出たり林檎が色づいたり、紅葉も進んでいるということだ。こちらはまだ、

「秋来ると目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる。」

と云ったところ。それでも、夕食後の散歩のときには、冷房してある室内より涼しい。確実に秋は足元まできている。(E)

    

                                              散歩道で  おみなえし