かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「屁」の話し。

2017-03-29 | 気ままなる日々の記録

  ふざけたタイトルでその上如何にも‘胡散臭いもので恐縮です。以下の話しはオソマツ君が子どもの頃母から聞いた話しで実際に有った話です。

  オソマツ君の母方の遠縁のお嬢様に京都の百貨店の重役の息子さんへの縁談が持ち上がりお見合いと云うことになって、

京都の有名な料亭の御座敷に御仲人さんご夫妻をはじめ両家の主だった親戚の面々が集まって、いよいよ、御嬢さんがお茶をお運びすることになったそうです。

 御嬢さんは緊張してお煎茶を婿さん側の親戚の皆さんへ「お運び」をはじめられた。

 緊張して立ったり座ったりを繰り返し三つ指をついてのッご挨拶を繰り返しているうちについに「ぶー」とオナラがでてしまったそうです。

 そこで御仲人さんが、「御嬢さんの帯がきつすぎのでしょうか。お嬢様のお腰の周りを鶯が飛んだようですね」といわれたといいます。

 そうしたら御嬢さんの母方のおばあさんが、「京都ではあれを鶯というのですっか。 私ども田舎では「屁」といいます。」と云われたそうで、一同大笑い。

 それ以後皆さんきざくになり、話しも弾み和やかな雰囲気になったといいます。

 ところで、「お見合い」の結果は両家とも大満足でめでたく婚礼成立になったそうです。「あんな素直ななお婆さんに可愛がられたお嬢さんならいい性格のお嬢さんに違いない」と云う意見が主流となったそうです。上品ぶるより、素直が第一ということのようです。(T)


またしても勘違い。

2017-03-26 | 気ままなる日々の記録

   数日前のことである。テレビでポルトガルについて放映していた。

   途中から観たので最初の紹介がどのようだったか分からないが、いつの間にか頭の中で、ポルトガルとブラジルを取り違えて観ていた。ヨーロッパの西の端にあるポルトガルと南米の大きな土地を有する新興国ブラジルがどうして入れ替わったのか、不思議でしかたがない。

  お国事情の紹介で、夫婦二人の年収が400万円、5LDKの家に住み週4日家政婦さんを雇っているという。豊かな国になったなあとその時は思ってしまった。

 食料品も日本と比較すると本当に信じられないほど安かった。

 驚いたのは教育費と社会保障の制度。教育費は18歳までは無料で医療も保険を掛けていれば安く一定額を払うのみ。こんな恵まれた制度はどこか北欧に似ていると思った。ここで、普通は気が付くはずだが、全然気が付かなくてすんなり全てのことを受け入れてしまった。

 ところが、次の日トイレの中で突然頭の中を前夜のテレビ番組がよぎった。あの番組はブラジルではなくポルトガルなんだと、

 どうしてこんな勘違いが起きたのか。一つだけ思い当たることがある。多分私の中にブラジルはポルトガル語を話す南米唯一の国というイメージが強かったからではないかと思っている。(E)

       

                                                             スノーランド       


テレビを見ていて驚いた。

2017-03-26 | 気ままなる日々の記録

 今日は日曜日、朝、8時半ごろまで寝て、テレビを見ていた。チャンネルはNHK名古屋さん。番組のタイトルは不明だが、路傍の雑草を取って食べられる草かどうかを、大学の先生にお聞きしながら採集を勧めるものだった。

 それにしては「春の七草」と云う言葉も「七草粥」と云う言葉もでなかった。

 そのうち、竹藪に入ってタケノコを掘り出した。路傍の草を摘んだのと同じ感覚でテレビカメラは廻っていた。

 確かにプロジューサーの意識も路傍の草とタケノコは同じように思っていたのだろう。

 しかし、竹藪の方には明らかに持ち主があり、タケノコもその藪の持ち主の物で無断でタケノコを掘り出していいわけがない。タケノコが美味しいのはモウソウと呼ばれる竹の新芽で「真竹」と呼ばれる竹の新芽は美味しくない。放映されたテレビの通りとすればNHK名古屋の撮影クルーは明らかに「タケノコ泥棒」をしたわけで。藪の所有者にしてみれば許せるはなしではない。

 ここまでくると、プロジューサーの資質の問題で、八百屋で高値で売られているタケノコを黙って掘り出して良い訳は無い。

 というセンスが働かなかったかと、問いたい。少し季節がずれたとはいえ「春の七草」と云う言葉も「七草粥」と云う言葉も出なかった。我が国の「伝統文化」を注目し、これを大切にするという感性のない人に、

公共放送の製作をお任せしたくない。というのは、僕のかってな思い込みだろうか?(T)

 


老人性痴呆について。

2017-03-23 | 気ままなる日々の記録

    オソマツ君が子供の頃家に80歳代の祖母がいて、この祖母が派手に呆けていた。

 何時も着物を着ていてそば殻が入った枕を胸に抱いてどこかへでかけようとする。

 お婆ちゃん「何処へ行くの?と聞くと「おっか様のところへ、これを届けに行く」と云う。

「お婆ちゃんのおっかさまは、もう亡くなったでしょう」と云うと「亡くなった?嘘こきゃあ!」と云って怒る。

 「お婆ちゃんはいまいくつ?」と聞くと「80歳だと答える。そこで。お婆ちゃんはおっか様がいくつの時の子どもだね」と聞けば私はおっか様の最初の子どもだから、

 おっかさまは23ぐらいだったと思う。と此処まではキチンと答えられる。

 「とすればおっかさまは103歳だからもうあの世でしょう」と云うともうわからなくなって、

 「わしは忙しいで邪魔しやあすな」といいでかけようとする。

 こうなるともう子供の手におえないので急いで母親に知らせたものだ。

 それから数年過ぎてオソマツ君がある高等学校に勤めていたころだった。祖母がパトカーに乗って家に送られてきた。僕が迎えに出ると送ってきた警察官がかかとをパッと踵つけて右手をパッと帽子につけて敬礼をした。警察官が「あつ、先生のうちのお婆さんでしたか」と云われて僕は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 どうやら僕が勤め始めた高校の卒業生で愛知県警へ就職、僕の家の周辺を管轄する警察本部に配属になったようだ。「こういうおばあちゃんは着物の襟に住所と電話番号を書いた布を縫いつけておくと皆さんが連絡してくださるから・・・事故に遭われると一番悔いが残るからね」と諭してくださった。

 今僕がお婆ちゃんの年齢になって、感無量だ。いまのところ、おばあちゃんの様な症状はないつもりだが、此処が分からないところがボケの難しいところだ。(T)

   

                      ピンクの梅

 


桜の開花予報が出る季節になりました。

2017-03-22 | 気ままなる日々の記録

  寒がりのオソマツ君であるが、今日は午後からポカポカ陽気で「館内散歩」と称していつものコースを車いすを漕いで出かけた。

 最初は3階の中央部にある大きな角ガラスのところで、此処から眼下に広がる田圃や畑を眺める。

 今日は驚いた。昨秋刈取り2月頃から彦生えまで出していた稲の切株がきれいに掘り起こされ土と混ぜられていたからだ。こうして、

4月5月になれば、切株は完全に腐敗し新しくうえられた稲の肥やしとなることだろう。

 人間はお米だけ横取りして、後は全て土にお返しして大自然にお返ししていると云えなくもない。稲作を始めた弥生時代からの作風なのだろう。

 オソマツ君は中学高校時代、よく農作業を手伝っていたので、田圃を見るとすべてのことがすぐに分かる。機械化が進んだことまでよくわかり、感無量になる。

 同じ階の書家は舞鶴ご出身で、魚を取る船に乗っておられたとかで、畑や田圃を見ても何も思わないとおしゃっておられた。そうかもしれない。

とすれば、僕は子供の頃よく農作業を手伝わされたことに感謝すべきだろう。

 そのおかげで、今田圃や畑を見ていると、いつの間にか、そこに、子供の頃のぼくと、1歳年上の兄の姿が重なって見えてくる。(T)

       

                                                                 田の麦

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の英語の教科書について。

2017-03-20 | 気ままなる日々の記録

  オソマツ君が勤めていた高校が「国際交流都市」宣言をしていて、其処の商工会議所が音頭を取って外国人のホームステイを引き受けますと宣言したところアメリカ人の団体の申し込みがあって、商工会議所の会員にアメリカ人の滞在を引き受ける家庭を募集した。

 思うように応募がなく、ついに、高校へ泣きついてきて、高校の英語の先生のご協力を頂きたいということになって、英語の先生に泣きついたし、僕も一人引き受けることにしたことがあった。

 我が家に来たアメリカ人はきさくないい人柄の人で何でも写真に撮り、「これはなにをするものだ?」と聞いてきた。僕の怪しげな英語と身振り手振りの説明でよく分かったと喜び、今度はお前が学生時代に使った英語の教科書を見せてくれという。そこで、jack and Bettyを見せたところ、最初の1ページに I am a boy とあり、これを見てアメリカ人が笑い出した。

 こんなことは見ればわかるから生涯云うことはない、といい、そうだ!サンフランシスコの何とか通りへ行ったら云うかもしれない、という。どういう通りか聞いたら、全米から同性愛者が集まり夜の散歩やお買い物を楽しむと通りだという。日本人が行くと体格が可愛いから、大きな男が寄ってきて抱きついてきたら 「 I am a boy 」といって逃げ出さないといけない、と云って大声で笑った。我が家が初めてホームステイを引き受けた40年も前のことである。

 僕たちが習った英語はことほど左様にオソマツなことでした。日本の文部省と云うところはお抱え学者が集まっていて、「教育」という名のもとに奇妙なことが常識になっているところがある。(T)

        

                                                                     畦の土筆

 

 

 

 

 

 

 

 


今日は日曜日、予定は何もない。

2017-03-19 | 気ままなる日々の記録

    このところ昭和16年12月8日、宣戦布告なしに、ハワイ島真珠湾の攻撃をした日本軍は本当にアメリカに勝てると思っていたのだろうか。

 当時の我が国のマスコミや世論はこれをどう受け止めていたのか、と云うテーマに興味があって、昭和史の本を読んでいる。

 どうも我が国は「言論の自由」も「主権在民」も根付かない感じで心配だ。

  そういえば、数年前NHKの会長に就任した人が「政府が左と云っている物をNHKが右と云う訳にはいかないでしょう」と云って大騒ぎになったが、あれがどうなったか分からない。

 アメリカとの戦争に関しても、アメリカ人は若い者がすぐに男と女が抱き合ってダンスを始めて男も女もカクテルを飲むことが好きだそうだ、。

 日本人がふんどし一本で日本刀を振りかざして切り込めば、すぐに、降参するという噂が流され、「すぐ勝てる」と思っていた人が多かったとのことで、僕は驚いた。

 「我田引水」を通り超し「バカバカしく」なってくる。正に島国日本は、諸外国のことが分からない「井の中の蛙」そのものであったようだ。

そこでお詫びだが、少し前に日米共同声明が英文のまま新聞に掲載された時、我が国の若い人の英文理解力の高さを褒め腰を抜かしたことを書いた。

 そうではなく英文を訳すときどうしても訳す人の立場がにじみ出てしまうので、なるべく英文のまま読んでいただいて日米の合意点について、公平・中立を守るために英文を掲載しているらしいということが、最近分かった。

 オソマツなことで失礼しました。

 以上は、学生時代の友人で、彼が面白いと思った記事のコピーを送って呉れて、それを丁寧に拝読、、やっと気づいた点です。

  友人が送って呉れた記事は主に「ボイス」と云う雑誌の記事でしたが僕にはとても新鮮でした。

  体は半身不随で不自由ですが、お陰様で視力と理解力に目立った衰えはなく、好きな本を読んで楽しんでいます。

(追補①》日曜日というより世間では三連休の最終日ということだろうか。珍しい旧友にお越しいただいた。

最初は常日頃私が「師匠」と呼んでいる10歳先輩のお方、二番目が、若い頃、寄付を募って村社の大修理を一緒にやった30歳ほど若い旧友。

 師匠は勿論畑仕事を教えて頂いたお方で、僕の郷里の地質と気候を知り尽くしての農作業だから、東大の先生より野菜の作付はお詳しいお方である。

 お若い旧友の方は、いろいろなめぐりあわせで村社の修理の仕事を寄付を集めることから、一緒にやった友人である。懐かしい方々で、思い出話が弾み自分が半身不随であることを忘れるほどだった。

 こうして思いだしてみると人生幾つの時もいろいろなめぐり合わせで自分がしなければならなくなった仕事を誠実に行うことが大切だと気が付いた、

 (追補②)とかく若い頃はそれほど真面目では無かった僕ではあるが、与えられた仕事だけは手を抜かずにやってきたつもりである。

 それがよかったのだろう。半身不随になって悶々としている僕のところへ来てくださって、当時の思い出話をしてくださる。これほど楽しいことはない。(T)

   

                       3月の夕日

 

 

 

 

 


言葉は変わる

2017-03-17 | 気ままなる日々の記録

  数日前だったと思う。安部総理が”もくと”と云う言葉をつかわれた。「南スーダンから5月下旬をもくとに陸自を撤収する」という内容だった。

 恥ずかしいことに、私は初めて聞く言葉だった。そして画面には”目途”という漢字が出て、とてもショックを受けた。私はずーっとこの漢字を”めど”と読んでいたから。

 早速広辞苑で調べて見ると[もくと・目途] [めど・目処]と書いてあるではないか。それでも信じることができず漢字検定1級を持っているKさんに助けの電話を掛けた。私と同じ漢字を使っているとのこと。ホッとしたのもつかの間とうとう混乱に陥る。ネット検索を始めたがどれだけ説明を読んでもますます混乱度が増すばかり。ただ会話では”もくと”と云う硬い言葉は使わず目途=めど と使っても誤りではないという。

 言葉は時代とともに変化していくから実に難しい。20年ほど前”お茶する”と云う言葉が流行したがどうしても使えなかった。此処ホームに入居してからも若いスタッフの方々の短縮言葉をよく聞く。私も使おうと思うがその時になると、口がモゴモゴして使えない。

 短縮言葉がつかえないお婆さんと古い言葉「てぬぐい、写真機、など」が分からない孫たちが1年に数回会って話をする。そして時々聴き慣れない言葉が出てきて、どぎまぎしてしまうのである。(E)

         

                                                                     夜の国道

 

 

 

 


「ホシ」について。

2017-03-16 | 気ままなる日々の記録

   警察が犯人と思しき人物の車にGPSを取り付けその人物の立ち寄り先を割り出し、捜査に役立たせようとした捜査方法について最高裁が違憲と判決し話題になっている。

   確かにそんな捜査をされては、迷惑する市民が沢山でることだろう。我が国の民主主義は健全に働いているとホットしている。

  ところで、このGPSがよく分からない。ラジオまでは中学・高校で説明を聞いたので何となく分かった気分であるが、テレビになるともう分からない。確か、日本独自で打ち上げた人工衛星に地上から電波を飛ばし反射して帰って来た電波を各家庭で映像にして見ているということらしいが、その原理たるやよくわからない。

 私が学生時代テレビもGPSもこんなにポピュラーでなかったので、全く習わなかったし、

 あの八木式アンテナと云われるテレビ用アンテナがよく分からない。

   かくて、立派な時代遅れの老人になったということらしい。メデタイことである。失礼しました。(T)

        

                                                                 3月の夕日


自然の摂理

2017-03-13 | 気ままなる日々の記録

   明け方が大分暖かくなった。昨夜の気象情報によると、今日は終日曇りで夕方から雨ということだった。今朝5:30頃起きて、館内散歩と称して3階の出窓へ出かけ眼下の広大な田畑を見ていた。どこから来たのか鳩の群れが田圃の中をせわしげに歩き回り何かを盛んについばんでいた。

 僕は無意識のうちに鳩の群れの中に半身不随の鳩はいないか探していたが、チョットした怪我をした鳩さえいなかった。「鳩は全部健康なんだ!」と思ったが、すぐそうではない、鳩の場合はいろいろな病気になったら、それが命取りになって死んでしまうに違いないと気が付いた。

 それなのに、半身不随で生きている自分を嘆いていては僕を助けてくださった救急車の方々や、緊急外来の病院の皆様に申し訳ない、第一、ずーっと僕に付き添ってくれた家内に申し訳ない。と気が付いた。

 今朝広大な田圃と畑それに野鳩の一群が僕にそれを教えてくれた。物忘れの激しい僕だが、これは忘れないようにしようと恥を承知でこのブログに書いた次第である。(T)

 

 


カンボジア考

2017-03-12 | 気ままなる日々の記録

  奇抜なタイトルになってしまいましたが、ここ「有料老人ホーム」に新しい男のスタッフが入られ、少し怪しげな日本語を話される。そこで「お国は何処ですか」と聞いたところ「カンボジャです」と云われた。

 カンボジャは多分フランスの植民地だったような気がして黙った。

 イギリスの植民地だったら、早速僕の怪しげな英語でいろいろお聞きし、退屈しのぎにしたいところだが、フランスでは手も足も出ない。

 そこで。家内も巻き込みカンボジャの位置から首都からいろいろ思い出し、今度彼が来たらいろいろ訊き出し雑学の1ページにしようと調べ始めた。

 インドシナ半島の太平洋側にベトナムがあり、第二次世界大戦の戦後左翼系の独立運動が起こり、フランスが持ちこたえられなくなって、アメリカが介入、そのアメリカも地上戦では苦戦し、ジャングルに枯葉剤を撒いたとか国際法に違反する戦法をとったとか。

 長い間話題になっていた「べ平連」と云う言葉の生み出した世界政治の焦点になっていた国のお隣がカンボジャでした。

 ベトナムを裏で支えたのが中国で、まあ、米ソの代理戦争の様な様相を見せていた国である。今度彼が顔を見せたら今の様子を沢山聞きたいと思っている。ベトナム戦争の頃のことは彼は若くて良く知らないだろうと思われる。

 日本にまで働きにきているということは、彼の血の中に日本人の血が少し混じっていて、さらに、カンボジャでは仕事が無いのでしょう。また訊けたら報告します。最も彼の仕事の邪魔になっては申し訳ないので、うまく時間が取れることを祈りながら、ということになります。

追記:発展途上国の人が日本に仕事を求めて働きに来ることをどう受け止めるか、難しい問題である。

 第一次世界大戦の後、ヨーロッパ各国が溢れる失業者と食糧難で悩んでいた時いち早く復興し好景気を満喫した国がドイツであった。

 そこへ、ヨーロッパ各国から失業者がどっと流れ込み、産業界は潤ったが、国家は大変な荷物を背負いこんだ。ドイツ語が分からない子供が増え、彼らが大きくなると就職できず、強力な強盗団になっていったのである。

 そこで、ドイツは国籍のない人の就業を禁じ、難民に関しては審査し合格した者だけを語学研修を行い、試験に合格したものだけ就職をみとめ、他の者は祖国へ送り返すという政策をとった。

 我が国は四方が海だから難民が流れ込む量は少ないが、北朝鮮が荒れると小さな木造船で日本海へ難民があふれ、彼らが日本を目指すとすると大変な事になる。人道上は彼らを助けなければならないが、そのコストは桁外れに大きいからだ。

何とか穏やかな交渉によって、相互援助の道はひらけないものだろうか。アメリカのトランプ政権の誕生もややこしい話だ。こんな時代だからこそ外務省の官僚や政治家に頑張ってもらいたいとねがうものである。(T)

 


三寒四温

2017-03-11 | 気ままなる日々の記録

   先週2か月先の同窓会開催の便りが届いた。残念ながら体力がなく遠方までの外出は無理なので欠席の返事を書いた。

 私は最近ズーット手紙文によく使われる「三寒四温」と云う言葉について、もやもやした気持ちを持っている。近頃の挨拶文では”三寒四温”と云われる季節、そろそろ梅の蕾も・・・・・”と云うように使われる。其れで次のような疑問を持った。

①季語はいつだろうか。

②三寒四温と云う現象は日本のどこかで、はっきり出ているのだろうか。

③いつからいつまで使用してよいのだろうか。

 調べて見ると季語は冬だった。季語が冬なのに梅の蕾という春の言葉と一緒に使っていいのだろうか。

使用期間は秋の終わりから春の始まる前まで。というのや晩秋から初春までとかいろいろである。私は長い間春先の言葉だと信じ込んでいた。それで、中国北東部や朝鮮半島で冬の時期はっきり三日寒くて四日暖かい周期で見られる現象とは知らなかった。寒い日と暖かい日が入り乱れて、やがて、春本番になっていくという時期に使う言葉だと思っていた。

 だから、今でも晩秋の時期や新年の初めごろに使う勇気はとてもない。

 ある説明によると、日本ではシベリヤ高気圧から噴き出す風だけでなく太平洋高気圧の影響を受けるので、その現象がはっきりしない。また最近日本では春先に使用されることが多くなってきている。と書いてあり、なんとなく納得できた気がした。

 使うにはためらう理由がもう一つある。綺麗な響きの四文字熟語であるが、弐文字熟語と違って堅苦しい気がしてやすやす使えないのである。(E)

             

                                                     春の気配を感じて池の鯉が。

 

 

 

 

 


相田みつをさんについて。

2017-03-10 | 気ままなる日々の記録

  「相田みつを」と云う人をご存じだろうか?ここの廊下の壁に太い毛筆で色紙に、格言の様な、諺のような短い文章を書いて額に入れたものがかけてある。

○相田みつを 大正13年足利市生まれ。67歳で逝去 「自分の言葉を自分の書」にて作品を発表。インターネットでは1枚17,000円ぐらいで販売されている。

以下に2~3色紙の文言を書いてみます。

  ●道は自分でつくる 道は自分で拓く 人の作った道は自分の道にはならないから。

  ●「美しいものを、美しいと感じる、貴方の心が美しい。」

 オソマツ君はと云えば、こうした、言葉は好きではない。どこかに聖人・君主になったような、悟りを拓いたような匂いがするからである。

ということは、どこかに、でっかい嘘があると思われるからである。(T)


腱鞘炎《けんしょうえん》騒動。

2017-03-05 | 気ままなる日々の記録

  楽しみにしていた日曜日もとんだ騒動となってしまった。お昼頃突然右手首に激痛が走り少し動かしても痛い。50年ほど前同じ職場に同じところがいたくなり、右手を三角巾で首から吊っていた女性がいた。彼女はリュウマチとかで、免疫不全,

  自分の白血球が自分の骨を攻撃するリュウマチとかいう病気で極めて治りにくい病気だといっていた。僕もそれに罹ったのかと心配した。

  看護婦さんに来てもらって診察を受けた。彼女は腱鞘炎でしょう。リュウマチではないでしょう。リュウマチならもう少し指の方に変形がおきるはず。シップをして様子を見ましょう。よくならないようなら、火曜日か水曜日に予約を取って総合病院の外科へいきましょう。ということになり、シップをして貰った。今もそのシップはしたままだが、確かに良くなった。こういうところは総合病院が経営するこの老人ホームは便利だ。

 腱鞘炎ということになると、思い当たることがある。ベッドに寝て本を読む癖だ。岩波新書が多いがこれを右手で開いて何時までも読んでいる。ページをめくるときなど無理をして右手でやっている、可愛い僕の右手首がこれにまいってしまったようだ。これからは、車椅子に移って本は膝に乗せて読むことにしようと思っているところである。(T)

        

                庭木の新芽


濃尾平野は水平でない。

2017-03-05 | 気ままなる日々の記録

   今日は3月5日の日曜日。毎日が日曜日のくせに本当の日曜日はワクワクする。

 自分はよほど、決められたスケジュールで行動することが嫌いな人間らしい

 今朝も早朝5じごろ目が覚めて、車椅子で・廊下の突き当たりの展望台の様なところから、村々の民家の明かりを見ていた。此処から東の方に小牧山がある。此処から北西の方向が江南市だと思えるがその方向に見える民家の明りが明らかにせり上がっている。家の明りは土台から6尺程上のガラス窓から漏れていると思われるのだが、その明りがここからの距離に比例してせりあがっている。

 つまり、太古の昔木曽川の反乱が同じ場所で起こり大量の土砂がその付近に溢れ地平が高くなりそこに家を建てているので、10キロほど先の明りがせりあがって見えるのだろう。水平や、大きなくぼみやせり上がりを見抜く人間の目の間隔は確かなものがあると信じている。これは、自分にとって大発見のような気がする。(T)