かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

「かわたれ」と「たそかれ」について。

2015-08-25 | 気ままなる日々の記録

新聞を読むときいつもメモ帳を持っていて気に入った記事があるとメモするオソマツ君であるが、このときはな何故かメモすることを怠って、以下の記事が何月何日のどの新聞に載っていたか不明である。多分毎日新聞の「余禄」だったような気がするが、定かでない。

 「たそかれ」は「誰そ彼は」であり「かはたれ」は「彼は誰?」だそうである。そして、「たそがれ」は夕方で、「かわたれ」は明け方だそうだ。

昔の人は夜と昼の境界の時刻に鬼が辺りをうろうろして人間は神隠しに逢ったり妖魔に乗り移られたりすると考えていて、変な気配がしたら、誰か訊ねなければならないと思っていたそうだ。

そして、どちらにも星をつけると、その時刻に大空に輝く星になって詩・歌に好んでも用いられたという。「たそがれ星」は「宵の明星」となり「かわたれ星」は「明けの明星」となるという。なかなか詩情があっていい話だが、チョット不満なのは誰だか分からないのは男ばかりか?という点である。昔は、明けにせよ、暮れにせよ薄暗くなったら女性は家の中にいて外を歩かなかった!と云う答えが返ってきそうだが、それなら、今日流に言葉を変えるのが「ことば」と云うものだ、と反論したい。「たそがれ」と同じ意味で「たそじょ」と云う言葉を造ったらどうだろう。

    「なつかしき、コロンの香や、たそじょどき」オソマツ太郎。後世に残る名歌となりませんかなあ。いやいや、「ついに残りの脳まで半分壊れたようだ」という評判になる程度でしょう?

台風15号による土砂降り。