かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

ジャンボ・ムーン?

2015-09-30 | 気ままなる日々の記録

  昨日のお風呂でのことである。ケアーさんが、「今夜はジャンボ・ムーンだそうだから、家中でお月見をシナケリャ―ネ。]とおしゃった。オソマツ君はチョット驚いたがすぐにスーパー・ムーンのことだと察した。月がもっとも地球に近づいたとき丁度満月になってくれるタイミングの良さで何十年かに一度こうゆうことが起こる。このとき、月が一番大きく見えるというわけだ。僕は「スーパー・ムーンのことですか?」とお聞きした。「アア、スーパーですか、大きく見えるとかでジャンボだと思っちゃった」以下Cがケアーさんで、Oが僕です。

   C「近頃分からないカタカナ言葉が多くて困っちゃいますよ。」

    O「本当ですね」

    C「エンブレムとか、。何度息子に説明を聞いても分からないげどすぐ忘れちゃうし、チャント日本語で話して欲しいものです。アルファべットの大文字を並べたTPPという言葉もやめてほしいですね」

 O「本当ですね」これは新聞社の都合ですかね。日本語を大切にしようとか、美しい日本語を育 てようという気がまるでないですね。」と私。

 もう20年も前ですかねえ。フランスでは、奇妙な英語が入ってきて若い人が盛んに使うようになったとき、美しいフランス語を守ろうという運動が起こって国民の支持を得て英語撲滅に成功したと聞きました。日本でもそれをすべきだと思います。明治の人が一生懸命日本語をつくり今日それが使われ科学技術の発展に役立っていることを思うともうこのままではダメです。手始めに「ドローン」のいい日本語訳を造りましょう!(T)

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面白いことを調べている人がいるものだ。

2015-09-28 | 気ままなる日々の記録

   以下の話のネタは9月13日毎日新聞の「余禄」によるところが大きい。

   色々な人が書いている随筆の中から、子供時代にまるっきり違って覚えてしまい、つい最近その間違いに気が付いたという内容の文章を集めて随筆に纏めておられる人があるようだ。

  例えば作家の向田邦子さんは童謡「うさぎ追いし」を「うさぎ美味し」と思い込んでいたそうだ。さらに平原綾香さんは人気アニメの主題歌「巨人の星」で「思い込んだら試練の道を・・・」というところを「重いコンダラというトレーニングマシンがあって、それに熱中して筋トレをしたとおもいこんでいたとか。

 そういえばこのオソマツ君も「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の歌で「負われて見たのは何時の日か」を「追われて見たのは何時の日か」と、つい先日まで思い込んでいました。さらに作家の中川季枝子さんは、「欲しがりません勝つまでは」を「星が出ません勝つまでは」と思い込んでいたのに敗戦の日から「燈火管制」がなくなり、外に出たら星空が美しく輝いていて「あれ?負けたのに星が出ている?」と不思議に思ったそうです。

若い人のための脚注:「燈火管制」というのは、戦争中家の中の電灯の光が外に出ないように電球の周りを黒い布で覆ったりしたことです。夜電灯の光が外に漏れているとそこに爆弾や焼夷弾が落とされるから敵の飛行機から見て、下界はいつも真っ暗にしておこうという作戦命令がでていました。其れでも敵は照明弾という爆弾を落として下界をよく見て絨毯爆撃と云うのをやってきました。

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今日は中秋の名月の日でした。

2015-09-27 | 気ままなる日々の記録

夕方、家内が「コンビニへ行くけど欲しいものは無いですか?」と声を掛けてくれた。僕はすぐに「今日は中秋の名月だから日本酒が欲しいね」と頼んだ。

  僕は発病前頃から常温の日本酒が好きになり、日本酒は本当に美味しいと思うようになっていた。若いころは友人の意見に誘われるようにブランデーのオンザロックがおいしいとか、ウイスキーはジョニー黒に限るなどと云っていたが、あのころは本当に自分の舌で味わうのではなく世間の評判通りのことを云って、いわゆる達人ブッテいたようだ。そんなことを気にせず、本当に自分の感じた味を尊重するようになって、常温の日本酒が本当に美味しいと思えるようになった。

夕方5時ごろ散歩に出て東の空を見た。大きな月が雲間から顔を出し始めていた。久しぶりに体が震えるほど感動し、急いで常温の日本酒を味わった。やはり美味しい。夕食のお膳を見て笑った。何時ものパッとしないお膳であったが「お月見団子と書いた袋の中にどんぐりほどのおまんじゅうが二つ入っていた。相変わらずオソマツなお膳であった。急いで買ってきてくれた紙パックの日本酒を味わった。やはり美味しい。暖かさが体中に広がるのも心地よい。

「名月や、朴歯の下駄で 肩を組み 放吟せしは 何時の日か」

 現在20時14分,月は煌々と天空にあった。「月が鏡であったなら・・・・」と云う流行歌があったことを思い出したが後が続かない。確か、きっと今頃は同じ月を見てる恋人の顔が月に映り、自分の顔も恋人がみているだろうに、と云うような歌詞であったように思います。

  [月がとっても青いから遠回りして帰ろう」と云う歌謡曲もありましたね。こちらは節まで覚えています。

 

  

 

 

 

 

 

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9月26日は、56年前、伊勢湾台風の来た日で忘れることはできません。

2015-09-27 | 気ままなる日々の記録

遠い昔ですが僕が初めて就職した年でこの日のことはよく覚えています。この日は土曜日だったと思います。

  母と妹は御園座へ芝居を観に行っていて。兄は大阪で、家には僕と病身の父と祖母だけがいました。

  夜暗くなったころから風が強くなり南側の雨戸もガラス戸も風に押されて弓なりになり今にも折れそうでした。

  父がここを破られたら風が家の中に吹き込みその結果家が持ち上げられる状態になり、そうなると家が簡単に北側にずれて土台石から外れて傾く。

 何としても南側の雨戸もガラス戸も破られないように守らなければならない。と云うので、急いで畳を上げて、ガラス戸にもたせ掛け弓なりになるのを防いだ。座敷側と台所側で6枚ほどの畳を横にしてガラス戸にもたせかけた。

  そのうちに玄関の戸が破られそうになっていることに気付き慌てた。

 我が家は明治初年の建設で玄関の戸は木製の大きな木戸で。真ん中にくぐり戸も付いている畳4枚分の大きさのとであった。

 いそいで、雨がっぱを着て外に出て勿論飛来物に気を付けながら丸太を4本ほど担ぎ込み玄関の木戸が破られないように筋違いを入れ力学的な考察を重ねつつあちこち縄で縛り、工事を終わったころには風も少し静まった。

 当時テレビは無くラジオだけであったが停電でそれもきけず。

 父と相談してもう寝ようということにして翌朝まで熟睡した。床についたのは12時前後だったと思われます。翌朝起きて、丸太の筋違いを外して外へ出たときにはびっくりした。何時も見えていた茅葺の前の家がすっかりなくなっていたからです。庭は折れて飛んできた木の枝で溢れ朝食もそこそこにして後片づけに精を出した。

 母と妹が帰ってきたのはお昼頃だった。随分苦労して帰ったようでその話は何度も聞かされた。月曜日は出勤した。いつもは木曽川堤を走る名鉄バスを利用していたがこの日は未だ不通だったので自転車で出かけたが、道に大木が倒れていて自転車を降り、自転車を持ち上げて大木を越え、それから自分が木を超えてすすむということで、通勤に何時間もかかった。

オソマツ君が初めてガソリン・エンジン付きチエンソーというものを、見たのはこの木曽川堤の復旧工事の方だこれを使って倒れた大木を切って道路の両脇へ片づけバスやトラックが通れるようにしておられたふっきゅう工事現場であった。ものすごい威力で太い木を切り刻んで大木を道の両脇へ片づけておられ、ただただ見とれるばかりであった。昔ながらのノコギリデこの木を切っていたら何日もかかるであろうと思われた木がみるみる切られていくさまは圧巻であった。

かくして数日でバスが通るようになりそれからは復旧工事のトラックが列をなして通るようになった。

刈取りまじかの稲田。今年は、台風の影響もなく、健やかに育っています。農家の方々のご苦労に感謝しつつ、更に台風が来なかったことに関して神々に感謝したい気持ちです。

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2015-09-27 | 気ままなる日々の記録
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昨日ここで素敵なおばあちゃまにお遭いしました。

2015-09-27 | 気ままなる日々の記録

 この施設は1階と2階が吹き抜けになっていて、2階は中央部分に床が無く、2階にギャラリーのように楕円形の通路があります。

  そこを、手押し車を押しながらしっかりした足取りでぐるぐる歩いておられるおばあちゃまに、引き込まれるように声を掛けていました「リハビリですか?でも、しっかりした足取りでもう手押し車はいらないようにお見受けしましたよ」と。おばあちゃまは「いえ、まだまだですよ。とおっしゃって、およそ次のような経緯をお話になりました。

 数年前、胆管がんが見つかったけど、私が高齢だったので、その癌を取り除く手術に体力が耐えられるか疑問だという診断がされた。二人の息子がセカンドオピニオンっていうのですか、もう一軒別のお医者様に診て貰って意見を聞こうといいだして、此処の病院で診て貰ったら「そんなことはやってみなければわかりませんよ。ただ、手術前にはいろいろな検査をして大丈夫だろうと思われた時しか手術はしませんがね」ということでした。  

   そこで、息子たちが相談して「おふくろ、此処のお医者様にお願いしようよ」ていうのです。「手術をしなかったら、がんが大きくなってあちこちに転移してそこでも大きくなって死ぬのを待っているだけになてしまう。そんなの耐えられないよ。ガンで死ぬのも随分痛いそうですね。それでね此処へお願いして結局手術をして頂いたの。癌は全部きれいにとっていただけたそうよ。それでね、あとは手術の跡が完全に回復するのにちょっと時間がかかって。やっと起きて歩いてよろしいとなったときには、体中の筋肉が衰えてしまっていて、立ってることも難しく、全然歩けなくなっていましたの。

 人間の体って本当に怠け者ですねえ。其れで私にリハビリの先生が付いてくださって毎日訓練を受けましたの。何度も筋肉痛になりましたよ。頑張りすぎた日にはこむら返していうの?ふくらはぎのところがかちかちになって、凄く痛いのにも何度もかかりましたよ。

 それでも私はリハビリをキチンとしました。それが私の仕事だと思いましたし、手術をして下さった先生方へのお礼だと思いましたからね。今もここを歩いて、椅子なしで歩けるようになろうとリハビリの先生が立ててくださったメニューをキチンとこなしていますの。だってこれが私の務めですもの」とおっしゃった。

 私は我が身を振り返ってだんだん恥ずかしくなり「これぞ神様のお告げか」と思うほど緊張しておききしました。そのおばあちゃまがおっしゃるには、「Tちゃんは、ご存じ?」あの方もいつも自主トレと云ってきちんと練習しておみえよ?」とのことでした。僕はTちゃんと云う方は知りませんが40歳前後の女性でよく自主トレをしている人は知っています。

  リハビリに関しては断然女性の方が優等生が多いように思えます。僕は文句が多く、絵に描いたような劣等生です。(T) 

 

 

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謹んでお詫びし訂正申し上げます。

2015-09-25 | 気ままなる日々の記録

本稿「「夕焼け」でヴェルレーヌの詩について書きましたが、もし間違っていると読者にご迷惑をおかけすると思いアマゾンの「ヴェルレーヌ詩集」新潮文庫堀口大學訳を注文しました。その本が今日届き、早速調べて見ましたら、脚注に

上田敏先生の名訳で「秋の日のヴィオロンのため息身に染みての名調子で人口に膾炙しているので」とありましたから、前出の詩の訳者は上田敏先生でした。謹んで訂正させていただきます。なお、詩の訳と云う作業は大変なことで堀口先生も自分の訳を発表されてから数年後、ヴィオロンのというのは秋風が竹の切り口を通るときに出すモガリブエのようなものと気が付かれ、『秋風のヴィオロンのとされたそうで、原作には「秋のヴィオロンの」となっており、日も風も入っていません。と書いておられます。

蛇足ながら、若いころ皆に人気のあったハイネの詩集も取り寄せました。今こうして読んでみると、ヴェルレーヌの方が断然よくハイネなんかお呼びでない感じです。若いころこの面白さに気が付いていたら、フランス語も勉強しいろいろな訳を読んで比較すれば面白かったでしょうに、と思えてなりません。60の手習いは聞きますが、70の手習いは聞いたことがありませんので、残念ながら、今からの勉強は無理です。(E)

参考までに堀口大学先生の訳をかきます。

「秋の歌」

秋風の                        時の鐘

ヴィオロンの                    鳴りも出づれば、

節ながきすすり泣き               切なくも胸せまり

もの憂き悲しみに                思いぞ出づる

わが心                       来し方に

傷つくる。                     涙は湧く。

 

 

 

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紀伊国屋さんチョット方向が違いませんか?

2015-09-25 | 気ままなる日々の記録

9月24日朝日新聞の「天声人語」によると、村上春樹さんの小説の初版本10万部のうち9万部を紀伊国屋書店さんが買い切って全国の支店に卸すと同時に他の書店さんにも買い取り制《返本を認めない)卸しますよと云うことを始めたといいます。狙いはアマゾンなど町の本屋さんを通さず本を販売する本の部数を晴らすためだといいます。

 私もアマゾン利用者です。街中の本屋さんが苦戦しているという話はよく聞きます。だって、確かにアマゾンは便利ですし配達も早いです。

 苦戦している小売店さんも消費者の利便性で勝負すべきで、競争相手に商品を回さないという作戦は権力主義といいますか、社会主義的だと思われます。

 街の本屋さんも店主が猫かなんかを膝に乗せてボーっと店番しているのではなく、自分の店のホームページぐらい開いて新刊の宣伝や、予約注文の受付ぐらいはするという消費者サーヴィスなどを考えいいアイデアを仲間内に紹介しながらアマゾンに対抗してもらいたいと思いますがどうでしょう。

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夕焼け

2015-09-23 | 気ままなる日々の記録

昨日の夕焼は格別でした。

秋分の日も過ぎ、いよいよ秋もたけなわ、まもなく、紅葉のシーズンとなります。こんな季節になると思い出すのが、高校時代の教科書だったか副教材だったかに出ていたヴェルレーヌのあの詩です。訳は確か堀口大学とかいう方だったとおもいます。思い出すまま書いてみますと、

秋の日の 

ヴィオロンのため息身に染みて

ひたぶるに うら悲し  

鐘の音に胸ふたぎ色かえて

涙ぐむ過ぎし日の想い出や

げに我は、うらぶれて、ここかしこ、

飛び散ろう落ち葉かな。

こんな詩が口を突いてでてきます。遠い若き日の思い出です.

ベルレーヌは確かフランス人だから、この詩の「鐘の音」は教会の例の「キン,コン、カン、コン」でしょうね。でも日本人にとっては、お寺の「ゴーン」のような気がしますし、「ゴーン」の方がこの詩に合うように思えますがどうでしょう。現に上の夕焼の写真を見ていてもどこからか、「ゴーン」と云うお寺の鐘の音が聞こえてくるような気がします。(E)

 

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昨日、およそ30年ぶりに友人が来てくれ、心おきなく雑談に興じました。

2015-09-23 | 気ままなる日々の記録

話題は多岐に及びましたが、興味深かったのは、母親が外国人で父親が日本人の子どもで、母親がかわいいこの子は日本人として育つので早く日本語を覚えてくれるようにと、自分の母国語で赤ちゃんに語りかけることを控えて育てた子供が、幼稚園に行っても小学校に入っても全然日本語を話さない子供になってしまった。つまりこの子は母親とコミュニケーションができない子供で日本語も全然覚えようとしない子供になってしまった。ということのようです。

  此処で思い出すのが藤原雅彦氏が英語教育を「聞く話す」に特化して小学校低学年から始めるとしたとき、これに反対して、小学校低学年では日本語教育をしっかりすべきで、豊かな日本語を覚えた子どもがそれを外国語に置き換えることはそれほど難しいことではない、と主張しておられたことである。

美しい夕陽、美しい花、美しい景色などを覚えることによって「美しい」と云う概念が育つ、こうしたものを多くしてこそ豊かな情操が生まれるわけで、このことを忘れて早くから少しばかり英会話を教えたりしてもよいことは一つもないという論旨だったと思う。脳の発達段階に応じて言葉を覚えそれによって、いろいろな認識や概念を身に着けていくというわけである。「アンヨ」と云う言葉を覚えた幼児にキリンの絵を見せキリンちゃんの「アンヨはどれ?」と聞くと正しく足を指差す。更に椅子やテーブルの「アンヨは?」と訊けば正しく椅子やテーブルの足を指差す。これが、コンピューターではできない能力だと云います。つまり、足の機能を合わせて理解していてテーブルを見て上の板の部分を支えている部分を探してその部分を足だといって指差す能力は人間の脳の計り知れない力だと云います。

特別支援学級によくみられるという親とのコミュニケーションができない子供にどんな支援が必要か、正に発達心理学の解決すべき緊急課題だと思われます。国家プロジェクトとして研究体制を整え支援にのりだすべきだと思われます。この子達もれっきとした日本国民であるからだ。

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川柳に興味が湧いてきました。

2015-09-21 | 気ままなる日々の記録

例の通り新聞を読みによく出かけていますが以前は何より天声人語や編集手帳や中日春秋から読んでいましたが、最近は真っ先に川柳に目が行くようになりました。今日は気に入った川柳をメモしてきましたので以下に書きます

  ●マイナンバー、ナンマイダーと聞き違え。    ●壁ドンでズボンの履き替えヤットでき。

  ●徘徊もたすき掛ければパトロール。       ●水洗を押したつもりが、非常ベル。

  ●誕生日ローソク吹いてて立ちくらみ。      ●アーンして、むかし、ラブラブ今介護

  ●来世も一緒になろうと犬にいい。         ●確かめる、昔愛情 今寝息。

  ●アノヨより近い気がする宇宙旅行。

以上は「交益社団法人全国有料老人ホーム協会が毎日新聞(9月21日)に出した広告の中から採ったものです。僕の好みは「徘徊もたすきを掛ければパトロール」です。自作の川柳はまだ、推敲ちゅうです。失礼シマシタ。

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蓮池や前庭に見られる秋の訪れ

2015-09-20 | 気ままなる日々の記録

 蓮池の花々の盛りが過ぎ、見るべきものは数本の睡蓮の花と30匹以上の鯉の稚魚のみとなった。全部此処の池で孵化したものばかりで、2~3匹突然変異とおもわれる変わった色の品種も混じっている。が、花が咲いていないと、やはり物足りない気がする。

 一度、前庭を覗いてみようかと思い立ち、夕方の散歩の折に立ち寄った。スタッフの方々によって、植え替えられた初秋の花々が咲いていた。家の庭に咲いていた種類ばかりで珍しくはなかったが、一瞬心が和んだ。(E)

 

 

 

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葬儀について。

2015-09-20 | 気ままなる日々の記録

  9月19日の読売新聞『編集手帳』に次のような記事がありました。

  洋画家梅原隆三郎は遺言状に《葬式無用、弔問供物固辞、生者は死者のために煩わされるべからず。》画業そのままに、何と雄渾で潔い言葉だろう。弔問・供物はともかくも亡主人のためにあれこれ思い煩うのが世の生者に違いない。友をなくせば、晩年の無沙汰を悔やみ、父母をなくせば、身の不孝が胸を刺す。・・・・

筆者《オソマツ君)は梅原さんやこの記事の筆者の論調に全面賛成であるが、ただ一点

葬儀は死者のためではなく、遺族のために行われているという自明の視点が見落とされていると思う。遺族が気が済むようにすればいいわけで、死者が遺族の立ち位置を知らずに個人的見解を遺族に強制していいものかと思う。ここで云えることは、故人は梅原さんと同意見であることを表明しておくことだけである。

   葬儀を簡略にするために、遺言があると便利だと云うなら、ここに、故人の遺言作成権を子どもと配偶者に委譲しておく。

 だから、好きなように遺言を作成して、その遺言に沿った葬儀にしてくれればよい。断っておくが遺言作成権は葬儀に関してのみの委譲であって、相続権に関しては既に用意してある「遺言状の[公正証書』」のとおりとする。と付記してみたがどうだろう。

  祭壇を豪華にしたり、お坊さんの人数を多くしても何のことまないという事実は一般常識化してきていると思われますが、それ以外の世俗的価値観に拘る人もまだ多い時代でもある葬儀そのものを、株式会社が請け負う時代である。

 この株式会社は沢山お金をかけてくれる葬儀を推奨ようとしていることもまた事実である。この葬儀屋さんの進出によって、江戸時代から続いた葬儀形式がやっと変化し始めた所であるという視点も成立する。(T)

 

「蓮池の糸トンボ」綺麗な四枚の羽根と緑色の胴体に魅せられました。

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2015-09-19 | 気ままなる日々の記録
 
夕方の散歩から
 ここ丹羽郡大口町は豊かな田園地帯であり、耕地整理も見事に成功させています。何しろ田圃の間に作られた幅20センチ程の用水路でもサラサラ水が流れていて見る人の心を和ませてくれます...
 

 

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白露の夕暮れ。

2015-09-18 | 気ままなる日々の記録

  

    昨夕、心地よい夕暮れの風に誘われ、散歩に出た。わざと田園コースを選び、豊かに実った稲の間の農道を選びシラサギや名も知らぬ小鳥たちと一方的に雑談しながら夕日を浴び風に吹かれて進んだ、

  僕は田圃を見ることが好きだ。自分が中学高校時代よく田仕事を手伝わされたので、これまでに、どんな農作業が行われてきたかが手に取るようにわかるからだ。高校入学が昭和27年だから当時は全て手作業で今は殆どが機械化されているというちがいがある.

  それが分かってもいても、田圃の稲と楽しく雑談できるからそうした時間がじつにいい。昨夕も沢山稲たちの悲鳴を聞いた。勿論、そうかそうか、でもお前たちよくがんばってくれているなあ、これからも、頑張ってくれよと励まし続けてきた。そんなことをしながら、思ったのだが、江戸時代から脈々と受け継がれてきた麗しき百姓魂と云うものが近年の機械化によってすっかり失われたのではないか、という点である。百姓魂の第一は①細かい手作業はいくら面倒でも手を抜かないという点であり第二は②隅々まで見た目がいいように美しく仕上げる。であり。第三は③決して、お隣さんや村の人々に迷惑を掛けないという点である。

 その変化の具体例は、第①が、稲の間に生えている稗と呼ばれる稲に似た雑草がとられていない。これは、8月中ごろ大きな麦わら帽子を冠ってそーっと田の中に入り稲に混じって生えている稗を抜き取っておかないといけない。稗は、実に生命力が強い雑草で自分だけぐんぐん大きくなって周りの稲をやせ衰えさせ、立派な穂をだし沢山の実を付け田圃にまき散らす。そうなると、田植えを終わったころに芽をだしあたりの稲を衰えさせ稗だけが良く育つ。これを8月中頃に徹底的に除去しないと田圃全部がダメになってしまう。

  ②は田圃の隅みや、あぜ道に沿った一列を綺麗に手入れし見た目にピシッとした田圃にするという点である。

  昭和20年代は何処の田圃も隅々までキチンとしていてアメリカ人をしての日本の田畑は耕作地ではなく庭園だと云わせた。つまり、彼らには農作業ではなくガーデニングだと云わしめたものだ。それが失われているようだった。

 ③はあぜ道の草の刈り方が汚く後片付けが出来ていない。刈った草が農道に放置され通行の邪魔になっている。嘗ての百姓は決してこういうことはしなかった。きちんと何処かに纏めておき堆肥にするか、乾燥させて燃やしていた。機械化と同時に美しい百姓魂が失われていくのは残念なことである。

     蛇足ながら、上の写真でシラサギや小鳥がいる2枚の写真はこの春田植えが行われなかった田圃である。嘗ての農村ではこういうことはなかったと思われます。仮にこの農地の持ち主のご主人が病気になられ田植えが出来なかった場合でも田植え機の都合でできなかった場合でも、必ず村の世話役の人が乗り出してきて問題を解決して田植えを手伝って済ませてしまったと思われます。これが、江戸時代に五人組と云う制度を通して百姓に叩き込まれた「助け合い精神」で、これこそ日本の百姓のもっとも美しい美徳とするところであった。それが崩れ始めている。上の2枚の写真の話に戻って、こうした空地は多分ズーット水があってオタマジャクシやドジョウの宝庫になっていて、水鳥のパラダイスになっていると思われます。もしかすると施設の蓮池にいた鴨もここへきて食事をしていたかもしれません。やっと越冬に成功した蛙やドジョウが春とともにめざめ沢山食事をして沢山卵を産んで命の営みを活発に展開したところかもしれません。まだ春浅き頃、シラサギが鰻のような細長い魚を咥えて空を仰ぎ何度も咥えなおそうとしている姿をみとことがあります。水鳥は必ず頭から飲み込もうとして何度も咥えなおして魚の頭を喉へ落とそうと上を向いて咥えたり放したりします。(T)

 

 

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