熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

週末は発熱

2011年09月25日 20時41分05秒 | 本帰国後の徒然草

なんでしょうね。

これは 私のいつものパターンですが

やりたいこと 行きたいところ  

つながっていくと   熱が出る。 動けなくなる。

自分の持病なんだから わかってはいるけど  動けないときは つらい。

やりたいことは 山ほどあるのに 苦しくて 動けない。

週末は ずっと 熱が上がり下がり。

今週末は 寝てばかりもいられない用事があり

解熱剤で 起きていました。

こういうとき しんどそうな顔ができたら いいのですが

そうもいかない。

昨夜は早く寝て 今日の午前中は 掃除だできたけど

午後からは 起きられなかったです

指を 包丁で切っちゃいました。

今日も 早く寝て 明日は 全快と しましょう。

 

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Maha Vihara Buddhist Temple    ~ブリックフィールドのマハ寺院~

2011年09月25日 14時27分11秒 | マレーシアの風景

仏教のマハ寺院です。

ブリックフィールドにあります。

1898年8月にできた仏教寺院で 創建当時は レンガ造りであったようです。

ブリックフィールドは 良質の粘土が取れたためレンガ生産地でした。

地名も そのままですね。 Brick は 瓦やレンガのことです。

現在でも マレーシアの建築物に レンガは多用されていますが 使用料は減っています。
1800年代は レンガで 建物が造られていました。
地震がなく 熱帯の暑い国では レンガは とてもよかったのでしょう。

このブリックフィールドには 英国統治時代 クアラルンプールの開発のために
南インドやスリランカ セイロンから 多くの移民を連れてこられました。

その労働者のために イギリスが 植民地統治のために 移民の仏教信仰のため
このお寺を提供したのです

南インドは ヒンズー教 仏教 イスラム教の信者が いました。

ブリックフィールドには ビンズー寺院 仏教寺院 キリスト教の教会 モスクが ありますが
多くの移民のための寺院なのです。

正式名称は Maha Vihara Buddhist Temple 仏教マハ寺院ですが 通称は ブリックフィールドの仏教寺院で 現在も 多くの信者の厚い信仰を集めています

ディパバリ 中秋祭 とくに ウゥサックデイ(お釈迦様の誕生日)のお祭りは有名で
光のお寺として 山車やお燈明 お祭りで にぎわいます。

 

このお寺は 高名な僧によって 活発な活動があり 今でも ボランティア チャリティ 布教 塾など があります。

上の写真は このお寺のウエサックデー(釈迦の誕生日)です。

私は行った事がないのですが 盛大です(写真は ネットよりお借りました)

 

http://buddhistmahavihara.com/

仏教マハ寺院
123 Jalan Berhala, Brickfields 
50470 Kuala Lumpur, Malaysia . 
Tel: +60-3-2274 1141 Fax: +60-3-2273 2570
E-Mail: info @ buddhistmahavihara.com

 

 

 

思った以上に 広いお寺でした。

訪問した日は マレーシアでも特別に暑い日でした。

平日でしたが 信者の方々は 熱心にお祈り。

とにかく 立派なお寺です。

日本とマレーシアの仏教は 種類が違います。

大乗と小乗。

日本人には ちょっと なじみにくいお寺ですが お釈迦さまにあうと ほっとします

 

暑いうえに このあたりで お茶をするところも 見当たりません

この周辺は とても治安が悪いので ご注意ください

中国仏教のお寺としては 天后宮がありますが そことは 違う インド仏教のお寺。

寺好きなので 行きました。

この周辺は 女性の徒歩は難しく 治安が悪いので お気をつけてどうぞ。

インド本国は 今 経済発展がめざましく それとともに 世界の中で 身直されています。

マレーシアでは 富裕層 知識層にインド系が多い反面  貧困層にインド系が多いのも現実です。

マレーシアは インド本国の経済発展から インドとの経済交流のため インドとの関係に注目しています。

ブリックフィールドは 治安が悪く あまりきれいとは言えない地域でしたが

再開発で きれいになりつつあります。

メイン通りの改築には インドの首相が オープン セレモニーにやってきたほどで

マレーシアが インド系の人を 大切にすることを 評価しました。

ブリックフィールドの目の前は KLセントラル駅です。

ここも 今 再開発中で 完成すれば KLCCに匹敵する規模になるそうです。

私は それを 見ることなく 出国するのですが

KLセントラル駅が 町の中心になることは とても 良いことだと思います。

KLセントラル駅がきれいになるのなら 目の前のブリックフィールドも かならず 生まれ変わることでしょう。

これから ブリックフィールドは 整備され 安全できれいな街になると思います・・・私の予測では。

ブリックフィールドは クアラルンプール発祥のときから 大切な位置にあり 歴史ある街です。

貧困層のインド系が住んでいるがために 取り残されてきました。

ここが 安全になることは 良いことですが

古い街並みは まるで 日本の古い町の空気に似ていて どこかに温かいものを感じます。

町が古くて汚いのは 私たち日本人も 昔 見て来た風景です。

でこぼこ道も みずたまりも 汚くても それが ひとのぬくもりに思える時代がありました。

町の片隅の 小さな祠や神棚

廃仏毀釈で 日本のちいさなお社は 消えて行きました

ブリックフィールドには 今も まだ 小さな祠や 樹のお社があります。

町がきれいになるとき これらは きっと なくなるでしょう。

クアラルンプールは また 近代的な きれいな街に なっていきます。

ちょっと 哀しい気もします

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TTDI市場

2011年09月25日 07時58分46秒 | おでかけ・クアラルンプール

先日 久しぶりに TTDI市場に行きました。

今は Mont Kiaraには ワン・モントキアラができて その中のスーパーに 豚肉があるし

TTDIまで 買い出しに行くことが 少なくなりました。

もちろん TTDI市場の豚肉のほうがおいしいのですが

朝早くに行く必要があり 市場のあとは 生ものなので 出かけることはできず 家に帰って 冷蔵庫に入れないと

いけません。

市場の豚肉売り場の混み具合は予想できません

たいてい 混んでいて ひとりひとりの客の要望を聞いてから 切り出すので 1時間待つここと ざらです。

そんなことで TTDIに買い出しに行くのは なかなか 大ごとなのです。

少なくとも 午前中 用事がない日しか 行けません。

豚肉を除けば 野菜 魚 肉は 他でも調達できますし・・・・・・

 

行けば行ったで 豆腐花もあるし 餃子の皮もあるし 買いたいものが いっぱい。

TTDI市場に行くと しばらく 食卓が 豊かになります

だったら もっと 行けばいいのですが・・・・

 

この日は 豚肉売り場が あいにく 混んでいましたので

私は 市場をうろうろ  バティックの布を3種類買いました。

バティックの生地は TTDIが 穴場です。

生地屋さんが 何軒かあるので そこで 探します。

セントラルマーケットは 2倍近い高めの設定で それを 値切って定価まで下げる作業が必要ですが
TTDI市場は 最初から 適正価格です。

品ぞろえも 新しい柄が入るし 私は ここが おすすめです

私は 布が好きなので 布を見ると 楽しいです

果物と バナナチップス  タピオカ チップスも購入

それから 布小物も 探して 買いました  本帰国ですから!

かご屋さんにも行きましたが すきなものが なかったので パス。

豚肉売り場に行くと マイケルが  「あと5分待って」

私は いつも 5~6kg買いますので 細かく分けないで かたまりでもらいます

冷凍状態なら あとで 切り分けるのは 簡単です。

細かい切り分けは 不要だと言ってあるので 今では それを覚えてくれて

言わなくても ドカンと 売ってくれます。

その分 早くしてほしい  と言ってあります。

帰宅したら それで 疲れて しばらく 寝てしまいました。

なんだか 眠い  眠くて 眠くて ラップンツェルの搭にこもりたいくらいです。

王子様がお越しに来てくれないので 目覚まし時計に頼みました。

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少年の哀しみ  ~本帰国への道 ⑦ ~

2011年09月25日 07時17分57秒 | 本帰国への道 (クアラルンプールにて)

「おとうさんと一緒にいたい」

と ひとことも 文句を言わない少年たち。

しかし じょじょに 大少年の様子が 変わっていきます。

中学生の大少年には 親友がいて サッカー友達もいて  彼なりに 充実した日々を送っています。

学校で 新しいことに挑戦したり  企画したり

いつか帰国することは知っていましたが それは まだ 1年先のことだと思っていたのです。

急に帰ることになり 日々の学校の生活の中で だんだん 苦しくなっていくようです。

しかし もう おとなへの階段をのぼりはじめた彼は 親に 弱音をはいたり  相談する年齢ではありません。

親の前では 平気なふりをしていますが

心中は 哀しみでいっぱいでしょう。

英語の家庭教師がきても さっぱり 身が入らず 「眠い」 「疲れた」と 授業になりません。

「ごめんなさい。今日は 良くなかったわ」

「いいのよ わかっているわ。 今日 学校での発表がうまく行ったと言っていたから

 よけいに 帰国するのが 辛くなったのよ

 年齢が低い子は 帰国は大丈夫だけど あれくらいの子は みな 本帰国で悩むのよ

 友達もいるし 別れるのが 辛いのよ

 だから 勉強に身が入らないのよ 」

「ありがとう」

なにも言わないけれど 部屋に閉じこもったり・・・

この試練も 人生には 良い経験です。

人生ままならないことを 知るのも また 得難い体験です。

日本人に生まれ 豊かな生活をしている我が子

それは たまたま 日本人に生まれたから。

彼が もし アフリカ紛争地帯に生まれていたら 学校に行けなかったかもしれません。

人生は いつも平たんとは限りません。

その困難を いかに乗り越え つぎの人生に生かすか  それこそが 大事なのです。

乗り越えるのは 私ではなく 大少年自身の力しかありません。

彼の人生に マレーシア駐在と本帰国が 大きな実りになるように

見守りたいと思います

そして 本当の苦労は 今ではなくて  日本の学校に転入してからなのです。

サッカーだって 部活だって 日本人学校は おだやかで のんびりしていますが 日本はそうはいきません。

海外からの転校生が 日本のマンモス中学校で すぐに なじめるとは思いません。

知っている子も少ないです。

実は 彼の苦労は これがスタートなのです。

 

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