よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

波打ち際、足もと、波の跡

2005年05月31日 | Weblog
県立美術館のギャラリーで、アマチュア写真家のグループ展を見た。
http://analoguephoto.g.hatena.ne.jp/keyword/2005%2d05%2d28


外国の風景や珍しい山野草、桜、子供、行事、みなそれぞれ自分のテーマの連作を一組のパネルにまとめて展示してある。

 一番感心したのは遠浅の海岸の波打ち際で、足もとに打ち寄せる波が作る不思議な紋様を6枚の連作にした作品。天気も違えば、朝昼夕も違い、それぞれ全然別の色合いと表情がある。青い鳥を求めてさまよわなくても、自分の足元にこんな多様で美しいものがあるのに、それに気がつかない、それが見えない。

 感心したというより、やられたというか、やはりあさはかなんだな、私は、と思った。

おいしい、が一番

2005年05月23日 | Weblog
週末、末の子(高校3年)のハンドボールの試合。

 「県体」、インターハイの予選にもなる大会。3年生は負ければ競技生活が終了になる。
 対戦相手は有力校。立ち上がりどちらも緒戦なので、接戦が続き息子も2点入れて一時はリードする場面もあった。前半の終わりあたりからじりじり力負けしだし、後半試合に出ていない3年生を出すと点差が開き結果としてはダブルスコア以上になってしまった。
 1年生で入部したとき、部員が少なく練習試合もできないような所帯だったのを、中学校のサッカー仲間などと誘いあい、それなりの試合が出来るところまでやってきた。負けたけど、みんな成長の跡がはっきり見える内容で親ばかは大いに収穫を得た気になった。
 息子たちは負けた試合の後審判や運営を手伝う様子だったので、先に帰って近くのパン屋でエビカツを挟んだパンとサイダーを買っておいた。夕方それをほうばって息子はさっさと「打ち上げ」に行ってしまった。母親は慰労にかつおのたたきを準備していたのに。


翌日曜、雨だったが車を換えたのでうれしがって妻とドライブに出かけた。

 いの町立紙の博物館で写真展を見るのが主目的だったが、帰り道「土佐東方市場まな」という店で安くて新鮮なけんさきいかやほうぼうの刺身を買うことが出来た。
 十数年前、まだ小さかった子どもたちをつれて大方町でホエルウォッチングに参加したものの、船酔いでみなダウンしてしまい、我が家だけ鯨を観ずに港に引き返したことがある。漁港では定置網にかかった獲物を荷捌きしていて、長さ7,8センチのけんさきいかがトロ箱いっぱいに取り分けてあった。子どもらが珍しがって覗きこんでいると、おばさんが「食べてごらん」とひとつずつくれた。さっきまで船でゲロゲロ吐いていた連中が何もつけずにひとくちにぱくっと食べて「おいしい」、もっと欲しいという顔をする。他にも4組くらいの家族とキャンプに来ていたので、けっきょくそのトロ箱ごと買って、その日のうちに皆で食べてしまった。その子どもたちもいまでは大半は親元からも離れてあちこちに散らばっている。
 新鮮なものはおいしいが、遠い昔の味は格別、また別のもの、と思う。

土佐東方市場まな、では鮮魚を刺身用にその場で下ろしてくれる。これも昔のまま。
http://www.chisan-chisho.com/map/217.htm
http://www.chushi.maff.go.jp/joho/genchi/17-2/7.htm

麦秋

2005年05月19日 | Weblog
師匠と土佐山田町のある方とビジネスランチを取りに行った。

 ビジネスランチと言いながら何故か皆うどんが食べたくなって、土佐山田でおいしいと評判の店を訪ねるのだがこれまた何故か立て続けに二軒定休日。仕方なく中華のランチで済ませた。

 帰り道たんぼ道を車で走っていて、麦畑に何度も出会った。普段は水田にしてあるはずが、もう収穫間際に実り、白と黄と金色の混ざったような鮮やかな色合いの畑が何枚も目に入った。南国高知でこんなに麦を作っているのは珍しいと思った。師匠は「麦秋」とつぶやき、私はニール・ヤングのハーヴェスト・オブ・ゴールドという曲を思い出した。

しかしいぶかしい。こんなに麦畑があるのに、うどんが食べられなかったのは何故なんだろう。


わわわ、我が黄金週間

2005年05月07日 | Weblog
結局どこにも行かなかったが、いろんなことがあった。

 4日八王子にいる娘が、横浜で研修中の長男と中華街に行き、結局帰りの電車がなくなり彼のアパートに泊まったらしい。翌日宅急便で「中華街のお土産」が二箱届き「世界一のシュウマイと肉まん」を残った家族で食べた。田舎でも世界一が食べられるご時世になったのだ。

 さらに娘から「母の日プレゼント」で紫陽花の鉢が届いた。カーネーションでないのはどうしてか、メールでたずねたら、「申し込むとき第一希望と第二希望を書き込むようになっていて、カーネーションを第一希望に書いても第二希望にされるかもしれない、という言い方だったので最初から紫陽花にした」とのこと。そういうご時勢になったのだ。しかし母親は小鼻を膨らませて喜んでいた。

 なぜか子どもの日、気になっていた「ナンバ歩き、常歩(なみあし)」のコツをつかんだ(気がする)。
http://www.namiashi.com/hihoukan/
 右手と右足を同時に出す、というのではなく、右足を踏んだときに右ひじ(右肩)も少しだけ地面方向に押す感じ。階段を一段飛ばして上がるとき、自然にこういう歩き方になる。肘から先は普通と同じように振っても大丈夫。
 ナンバとか常足(なみあし)、というのは日本陸上100M走の「末續選手のナンバ走法」で知る人ぞ知る、になった一連の身体技法のひとつ。昔の日本人はみなこういう風に歩いたり走ったりして疲れなかったんだって。やせるためにウォーキングやジョギングしている人には大きなお世話なんだけど、年取ってきてたくさん歩きたいという欲張り親父には関心がある。さて、この歩き方でどこまでも歩けたら、正真正銘の徘徊親父の出来上がり。

6日、妻が"B's"のコンサートに行った。
http://bz-vermillion.com/top/index.html
 ファンクラブに入っていて「前から2列目」で見て、ギタリスト松本の投げた赤いピックを拾い上げた!と興奮して戻ってきた。入場チケットを入れる透明のビニールケースを首から提げれるようになっていて、その裏面にそのピックを貼り付けてお守りにする、とまた小鼻を膨らませている。すんごいご時世になったもの。

今日は死ぬのによい日だ

2005年05月04日 | Weblog
アメリカインディアンが、天気のよい日のあいさつにこう言うらしい。
以前このタイトルのムックが出版されたが、気がついたときにはもう絶版になっていた。

山田風太郎に「人間臨終図鑑」という大作があり、無理して上下2巻を買ったのだが、ろくにページをめくらないうちに引越しのため古本屋に売ってしまった。死ぬよりつらい、という嘘を誰かにつきたかった。

同じアイデアのホームページに出くわして驚いた。
「人生のセイムスケール」
http://art-random.main.jp/samescale/index.html

右往左往の毎日に、自分の海図とか羅針盤はどこへ行ってしまったんだ。はてそんなもの持っていたっけ、と物忘れ痴呆混迷状態。方向は依然怪しいがともかく「ものさし」は拾った。この連休中唯一の収穫かもしれない。