よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

空模様、こころ模様。

2007年05月28日 | Weblog
金曜日は久しぶりのしっかりした雨で、屋外の用事に難儀した。草木は一息つき、水路にも田んぼにも水が満々としている。

夕方降り止み、西の方の山並みにかかっていたテーブルのような分厚い雲が動いて、稜線と雲のテーブルの間にぽっかり隙間が空いた。その空間に太陽が降りてくると、雨でホコリが落とされて大気の透明度が高いのか、赤みがかった夕陽ではなくてコバルト色というべき光り輝く火の玉になって目に飛び込んでくる。

週末の夕方、西向いて帰宅する人はさぞかし目が焼けたことだろう。西方焦土。

翌朝はうってかわって信じられないくらい霞のようなものがかかって、町の周りの一番近い山の姿すら判然としない。黄砂だという。その日の夕方、日が沈んでから西の山を観ると、黄色みのある空に薄墨で流したような山並みが、井上靖の本の装丁を東山魁夷が描いたような風情になっていた。なんのこっちゃ。

さらに次の日曜日あちこち小学校で運動会をしていて、高曇りではあるがさぞかし紫外線が強かろうと思っていたら、九州あたりでは「光化学スモッグ注意報」で運動会が打ち切られた、という。こいつも中国産。

週明けの月曜日、風向きが変わったのか雨も降らないのに空気が澄んでいて、遠くの山肌、そこに植わっている木々が普段より近く感じられた。「清明」というのはこれかと思ったが、それも西の方から流れてきたものか、なんだか空模様はあっちこち荒れ模様。

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死んでいる、ぞ、と。

2007年05月27日 | Weblog
内田樹という人の説を聞いた武田鉄矢の話。

「こら、鉄矢!なんばしよっと!?」の母親は、亡くなったが、死んだのではなくて「死んで+いる」のだと。

母親の肉体は確かに「死んだ」けれど、その言葉・生き様・いのちは、あの「こら、鉄矢!」の唄とそれにまつわるエピソードの中に「生きている」。

これをあわせて「死んで、いる」と。

そう言われると、ずいぶんたくさん「死んでいる」人を思い出す。
身内で生前の様子を覚えているのは、祖父母の代までだが、それでも自分が五十を超えると、生きている人より実は「死んでいる」人の方が多いことに気がついて愕然としている。私の祖父母はみな兄弟姉妹が八、九人いたから、父も母も従兄弟まではたくさん居た。

その父が八十歳を過ぎ車いすを押していると、思いの外軽くなっていて父は本当に生きているのか、もしかしたら心は「死んでいる」のか疑ったことがある。

父は大正末年生まれの関東育ちで、旧制高校の同級生の運動神経の良い人は「学徒出陣」で航空隊にとられ、「赤とんぼ」というあだ名の練習機での訓練中に米軍グラマン戦闘機群に遭遇しそのまま突っ込んで行った、と聞かされた。

私の母も高知でグラマンの機銃掃射にあったことがあるが、すぐそばをかすめる操縦席のパイロットは、ガムをかみながらニヤニヤしていたという。装備のない「赤とんぼ」が重装備のグラマンにどんなことをされたのか。

東京空襲では、同級生のお姉さんが絨毯爆撃に追われ隅田川で焼夷弾の油で蒸し焼きになった。

その頃のことなどを字が書けるうちに書き残したらどうかと勧めると、
「本当のことなんか書けるもんか」とおそらく四十年ぶりに、ニヒルに笑った。

親父は生きている、ことがわかった。

こんどはこちとらの心配。

もしかしたら、
もう、、、。

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生きている、か?

2007年05月26日 | Weblog
ビジネス雑誌で「見える化」という言葉をみかける。

ものごとを「見える」ようにする方法を言っている。
裸の王様のように、客体が全く自分と別なら話は簡単だが、現実の話はそうはいかない。

国の債務は国民の債務だから、自分の話なのにピンと来ない。
世の中に本当に自分と何の関係もない話というのは少ないのかもしれない。

テレビで映画「男とたちの大和」を観て、急に涙が出てきた。

60年以上前の戦争で死んだ人々と、60年以上引きずっている男たち。
今は砲弾や爆弾が飛んでくる戦場ではないが、これからもそうならないように自分も何かしなくてはいけない。それが何かわからない。歯車が狂えばあっというまに「地獄絵図」になりそうな予感だけして、自分が何をしたらいいのか、わからない。

そうならないように当節「美しい国」ではないので「美しい国」にしようとしている最中だとおっしやる御仁もあり、なんだか涙が止まらない。

「美しい国」の「見える化」はなんだか怪しい。
それこそ気がついたら「鎧甲の王様」になっているのでは。







コメント (1)
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呆けても惚れる

2007年05月21日 | Weblog
ガンの闘病生活を送る映画監督・岡本喜八の最晩年。

食事がのどを通らず、三食とも妻が手と心を尽くして工夫した「いのちのスープ」。本人はタバコをぷかぷか吹かしている。煙を食って生きている仙人の気配。

仙人、ついに妻に向かって「あなた、どなた。」

映画作りでも監督を物心両面支えてきた気丈な女は、さらにかわらず尽くす。

どのくらい経ってか、妻が散歩に出た後、仙人はそばにいた娘に
「あのひとと結婚してもいいか。」

娘、おおいにうなずき
「どうぞ、どうぞ。」


寝ては覚め 呆けても惚れる いのち妻


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焼きそら豆

2007年05月14日 | Weblog
ビールのつまみに枝豆を食べる。

おいしい枝豆というのに無頓着だったが、あるとき街路市で「枝付き土付き」の枝豆を買い、自分でむしってゆがいて食べたら、生まれてからそれまで何十年も食べてきた枝豆と全然味も風味も違うのに驚いたことがある。私は本当の枝豆を知らずに40数年「馬齢」を重ねてしまった。

空豆もおいしく食べられるのは1年のうちに限られる時候があるとは知っていたが、先日生産している人から「取れたて」をたくさんいただいた。「さやごと焼く」のがおいしいと妻が聞いてきてやってみた。

普通店先にならんでいる空豆をさやから豆をとりだしてゆがくと、暖かいうちは豆の外皮と実の部分が一体になって食べることができる。それが冷めてしまうとありゃま外皮は固くなってしまい、中の実だけをつまみ出して食べたくなる。

「さやごと焼いて」蒸し焼きにして粗塩をつけてたべると、皮と身が一体になって色も緑の、しかも味が逃げていないこくの濃い味がする。
http://www.kamata-sueko.com/osusume/060501o.html


どちらにしろこの季節にしか食べられない旬の味ではある。

生きてるうちにあと何回、口にできるのだろう。

我が老親たちは、こんな「ぜいたく」な食べ方をしたことがあるだろうか。

これから何回かあるのだろうか。



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誰がそんなもん頼んだ

2007年05月12日 | Weblog
テレビで新国立美術館を紹介していた。

http://www.nact.jp/

広い空間においてあるイスが北欧調だという。
誰がそんなもん頼んだんだろう。

田舎に住んでいて、一生に一度そこに行けるかどうかわからない中高年の人間が何千万も老後の心配をしているのに、あんな建物たてて、イスが北欧調?何言ってるんだろう。先に実家の便座をウオッシュレットにしたいのに!

国立て、誰のための施設なんだろう。
腹具合の悪いときは何を見聞きしても面白くない。

「東京人」という雑誌を見たら「庭園特集」で、
ふうんすごい取材量ね、とめくって最後まで行ったら「バックナンバー紹介」で同じような企画の号が5つくらいあって、ははぁこういう下地があるのね、と理解。

 コンクリートの東京では庭園は意識する対象であり、雑誌で繰り返し特集されている。

 ど田舎に居たら、どこまでが庭でどこからが裏山で、どこからが放置林なのか。
見たらわかるけど、それをこれからどうして行くんだ、ということになる。

 考えているといたたまれなくなって、たまには東京さ行ってグラビアで見た庭園でも拝見してこようかしら。

大空から見下ろしたら、小さな島の中で右往左往しているだけなのに。

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出し汁ありがたや

2007年05月08日 | Weblog
夜は酒を飲み、朝はご飯に味噌汁で出かける。

昼は麺類が多く、うどん、そば、ラーメンの順番で食べている。私の通った中学(私立)の学食では、この三種類を麺の色に合わせて、「しろ・くろ・きいろ」と呼び習わしていた。

若い頃は確かに腹が空くので麺を食べていたのだが、中年になってくると麺よりもおつゆ、出汁の方を体が求めているような気がする。

腹が減る、のどが渇く、というのではなく、味噌汁とかうどんそばの出汁、ラーメンのスープを飲むとなんとなくホッとする。

炭水化物とかナトカリではなく、何か安らぐ成分が出汁に出ているように思う。

テレビでたびたび辰巳芳子さんという先生の「命のスープ」という話を聞いて、ああこういうものが合う心身になってきたんだなと。

http://www.tatsumiyoshiko.com/



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ゆっくり地震と地殻変動

2007年05月07日 | Weblog
科学記事で、ゆっくり地震、というものがやはりあることを知った。
http://www.asahi.com/science/update/0502/TKY200705020368.html?ref=rss

阪神大震災の後、学生時代に見慣れた西宮や神戸の町が変わってしまったことに驚いた。地震があったのだから仕方がない。

ところが別に地震があったわけでもないのに、しばらくぶりに行ったら元の様子や気配がないという場所もある。もとは人がたくさん生活していたのに、経済や産業の構造が変わり、まるで寂れてしまい建物がなくなりあっけない更地になっていたりする。

一夜にしての震災でなくても、年月をかけての、しかも逃げようのない地殻変動のようなことは今でも起こり続けているのに違いない。

それを見る目、感じる感性が私にないだけのこと。


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ここは何処、私は誰?

2007年05月07日 | Weblog
私は昭和30年に千葉県市川市で生まれ、33年に父母の実家のある高知市に帰ってきた。

 一番古い思い出は、34年5月に生まれた弟のほ乳瓶を落として割ってしまい母に叱られたことである。

 あれから50年近く時間が経過しているが、自分が何処にいて何をしているのか、未だに確信が持てないような気持ちに時々襲われる。

 出張で東京から帰ると、ああ高知は田舎だな。とても都会には住めない、と思う。ドライブで山の中に入り、人っ子ひとりいない場所にたつと、本当はこんな場所にもともといたのではないかしら、とさらに惑うことがある。
しかし山の中で暮らせる力があるわけでもない。

 こりゃいい年して何をしているのだろう。
 今日はこういう記事に行き当たり、なんとなくそんな気がしていたが、団塊の世代の次に立っている我々は「ぬるま湯」なんだなと思った。
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/74/index.shtml

子どもたちのこれからは大丈夫だろうか。
ここは何処、私は誰?なんてまだ言ってられない。はあ、よかったような、よくないような。


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伐り株に切られた

2007年05月06日 | Weblog
早起きをして車を走らせ、安芸市を通り抜け安田川をさかのぼり、馬路村を通り魚梁瀬の千本山まで行った。

登り口を歩き回っただけだが、杉の巨木のそばに不思議な切り株を見つけた。

大きな木を実際に見ると、長い時間の流れが目の前に形となって立ち上がってくるのがわかるが、この切り株は切られた部分となぜか残された部分が同居していて、切られるまでの姿と切られてからの年月が同居しているような不思議な感覚になる。

今見えている姿はその木の本当の姿なのか。
ものごとの本当の姿を見る目を私は持っていないのではないか。

見ざる、聞かざる、言わざる、か。


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