よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

甘えない 自立 地域社会

2005年08月29日 | Weblog
というキイワードで検索したら、櫻井よし子さんのブログに出くわした。

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2001/08/post_76.html

甘えない、自立、自分、ではどうなるか。
、、、。

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見えざる憲法

2005年08月27日 | Weblog
地元新聞の「続・憲法を考える」という連載インタビュー(共同通信)で、山崎正和氏の「見えざる憲法」という言葉を知った。

山崎氏は、憲法とは国家と国民との約束事であり、そこで戦争放棄を謳っても「相手国には通用しない」。かつて田中美知太郎先生が「法に戦争禁止と書いて済むなら、台風禁止も書けばいい」とおっしやったとも聞く。憲法に未練のある人にいくら理を説いても、情でしばられているのでは届かない、と俗物は思うが。

さらに山崎氏は、憲法には条文で書いてある「見える憲法」もあれば、時々の政府の解釈による「解釈憲法」もあり、現に20万を越す自衛隊の存在を認めてきた国民の同意に基づく「見えざる憲法」もあるという。「声なき声が私を支持している」と同じ都合の話かもしれない。

「見えざる憲法」が戦争をしたいとは思っていないのなら、根こそぎ憲法を変えなくても、必要な部分について「国民投票」を行い、憲法に「修正条項」を付け加えればよい、というのが氏の大人の知恵のようであるが、戦争に相手があるように、国民は大人ばかりではないので相手にされないかもしれない。

そこを見越して氏は、憲法修正に必要な賛成は、アメリカ式に「三分の二以上」ではなく「二分の一以上」でないと、何も前に進まなくなる、とも。そこでアメリカが出てきますか、と一息ついてしまう。

なんだか話の入り口にもどったような気持ちになるが、今更見ざる言わざる聞かざる、ではないとはしっかり思う。憲法9条を紙に書いて本にして売って喜んでいる人もいるが、見えない憲法に責任があるのは商業媒体ではなく、「声なき声」の持ち主一人一人だと思う。

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汗をかきかき、汗を書く

2005年08月26日 | Weblog
暑い。昨日の高知は一時気温が36.9度に達した。

外を歩いていると、髪の毛の中に熱気がこもり、頭が自然発火するのではないか、なんだか焦げ臭くなってくる、ほどの暑さ。

当然汗もでる。
 最近それも首筋にたくさん汗をかくようになって気になって仕方ない。女性なら更年期障害の不定愁訴というところだろうか。男にだって更年期はあるらしいから、それかもしれない。

インターネットで検索したら、こんなページに出会った。理屈がわかっても汗はかくのだけれど。

汗をかく人
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/mobile/asewokakuhito.htm

汗をかく
http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/ase3.htm

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歴史認識、共通理解、の道具

2005年08月23日 | Weblog
目の前に現れたトルコの人と話をしてみたいが、言葉が通じない。

トルコにおいても、ホロコーストについて歴史認識の問題が生じている。大戦で中立国だったトルコにはナチスとのつながりがあった人たちもいて、強制収容所はチフスか何かの疫病が広がるのを防ぐための手立てだった、と最近の著作で主張しているグループがあるとのこと。そのことを同じイスラム教徒ながらユダヤ人への差別意識として指摘しているのが彼の立場らしい。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-29.html

彼は英語を使えるが、こちらは使えない。相手は自国語以外に物事を伝えたり考えたりする道具として英語を使いこなしているのに、こちらは普段の生活に必要ないから、素養として外国語を習得しようとしていない。

言葉は会話のためだけでなく、考えるための道具でもあるので、外国語を習得しないということは、自分のことをほかの言葉で考え直すという作業も当然していない。

つまり、相手のことも考えないし、自分のことも考えないという、それこそ井の中蛙、島国のお猿さんそのものが私、ということになる。反省。反省だけならサルにも出来る。反省プラス行動。ううむう。英語か中国語でホームページ作ってみようかしら。

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突然トルコ、飛んでイスタンブールか

2005年08月22日 | Weblog
前夜、テレビでF1のトルコ・グランプリを見たばかりだった。

友人西悟が主宰する現代絵画のグループ展の搬入を手伝った。
http://www.geocities.jp/seigo24art/edge.htm

そこでトルコから来たベドリ・バイカム氏を紹介してもらったが、自分では英語が話せないのでろくに挨拶も出来ずもどかしくはずかしい。
 インターネットで検索したら、氏がホロコーストのことで発言していることがわかった。英語がもっと話せたらいいのに、とほんと思った。聞きたいことはあるけど、自分は何を伝えたらいいか白紙だが。

http://www.bedribaykam.com/

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どこでも強制収容所

2005年08月20日 | Weblog
BBCのドキュメンタリー「アウシュビッツ」を見た。
http://www.bbc.co.uk/history/war/genocide/

原題は Auschwitz: The Nazis and the 'Final Solution'

「アウシュビッツ強制収容所」についての熱心極まるホームページも見た。
http://www.asahi-net.or.jp/~VR3K-KKH/musicandauschwitz/auschwitz/campfotos.htm

それについて言うべき言葉もないが、今になっても事の大小はあれ、同じようなことはあちこちで起こっていて、知ってか知らずか我々もそれに加担しているようなことがあるのではないか、と思った。

60年経って、イスラエルはガザ地区を撤退するものの、そこにはろくに仕事もなく、なんのことはない手間ひまをかけずにパレスチナ人の強制収容所を区画しようとしているにすぎないとの見方もある。

いつどちらの立場になるか知れたものではない。平和は与えられるものではなく、作るものだと思うが、どうしたらいいのか今この年になってもわからない。お経か祝詞のように9条を唱えていて済むならいっそ気楽なのだが。

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思い出のメロディ、重いで。

2005年08月19日 | Weblog
NHKテレビで第37回思い出のメロディを観て少し驚いた。
http://www.nhk.or.jp/omoide/

フォークソングのコーナーで、ジローズの「戦争を知らない子供たち」に続いてあのねのねの「赤とんぼの唄」が流れたが、今の時点で「歌になっている」のはあのねのねの方だった。

ジローズは杉田二郎の声が出なくなりハーモニーが元聞いたみずみずしさがなく、あやうい初老期の足取りになっているし、歌詞そのものがこのご時勢に「戦争を知らない子供たち」と言い放つ無邪気さ加減が、だから日本がだめになる、と思わせる。

それに比べたら「赤とんぼの羽を取ったら油虫」の方が、理にかなっている。知ってか知らずにか、清水と原田の二人のほうが堂々としている。ように見えるだけかもしれないが。

戦争を知らない子供たちには間違いないが、今はビールのつまみに柿の種をほうばる俗なおやじでしかないのか、と思った。思い出の中だけでいいメロディもあるかも。

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大きな木の下で

2005年08月17日 | Weblog
自宅で飼っていた兎「もいの」が死んだ。12歳。兎としては長命だったと思う。

末っ子が幼稚園の頃、日曜市の終い際に買わされて、その頃はマンションの9階のベランダが彼の住まいだった。餌をやったり、ゲージの掃除をするときはベランダに放すと、草花の鉢をつついたりして遊んでいた。

数年して、ゲージに敷いてある新聞紙に血がついていて、下腹部から脱腸のように瘤がぶら下がっているのを見つけた。動物病院に連れて行ったが、瘤の中にまで血管が入っているようなので、切り取るのは危ないとのことだった。末っ子は自分が連れてきたので、兎の世話だけはよくしてきた。

それから2度引越しをし、今年の初夏、その瘤が自然に落ちていた。以前のように元気に動き回ることは少なくなっていたが、それでも身軽に動けるようになって喜んでいた。それが真夏日が続き、毎朝洗濯物を干すとき妻が覗き込んでも、ゲージの中でねころんだまま動こうとしない日が続いていた。

暑いのと忙しいのとで昼食を外で済ませて帰ってきてから、末っ子が、手足を伸ばしきって薄目を開けたまま眠るようにして死んでいるのを見つけたらしい。妻から知らせの電話があり家に帰ると、末っ子は兎のゲージのあるベランダに干してあった洗濯物を、この暑いのに鼻をすすりながらたたんでいた。

兎の亡骸を、実家の裏山の大きな木の下に埋めることにした。息子たちと穴を掘り、布団代わりに新聞紙を敷いて、その上に寝かせた。

せまい家なのに、ベランダだけはぽっかり穴が空いたように虚しくなってしまった。

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草刈り従事君

2005年08月16日 | Weblog
あまりに夏草がはびこったので、草刈りをすることにした。

チェーンソーは何度もさわったことがあるが、エンジン付きの草刈り機は久しぶり。10年くらい前やったとき、草むらの中にある塩化ビニール製水道管を袈裟懸けに切ってしまい大事(おおごと)になったことがある。

今回は緊張して作業したが慣れないので、力んで両手で草刈り機を持ってしまい、あっと言う間に握力がなくなり、狙ったところに刃先が走らない。慣れた人なら、長い草刈り機の刃先とエンジン部のバランスを取りながら、斜面に生えた草を手際よくなぎ倒すのだろうけど、素人の悲しさ、足腰にも力が入らなくなり勾配のある斜面には怖くて立ち入ることができない。

炎天下、二日酔いのせいもあり、熱中症気味であっさりギブアップ。情けないけど仕方ない。まだまだ修行が足りない。

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古本図書館蔵書募集中

2005年08月04日 | Weblog
というチラシをみて、引越しのたびにもてあまし気味の「森鴎外」「柳田國男」「山本有三」などの全集ものを持ち込むことにした。本棚二棹分はある。

場所は安芸市畑山温泉。閉校になった小中学校校舎を利用して今秋「創作の里」という計画が実行にうつされるとのこと。
http://www.hatayamamura.jp/

安芸市内から車で40分。切り立った山肌のあいだを縫うようなかぼそい川をさかのぼっていく。車とは時々出会い道を譲り合うが、人はほとんど見ない。田畑と人家のある集落も途中ふたつくらいしか見かけなかった。

こんな山奥に持ち込まれた森鴎外、柳田國男、山本有三は日の目を見ることが出来るのだろうか。我が家の押入れの中よりは幸せなはずだけど。

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