目の前に現れたトルコの人と話をしてみたいが、言葉が通じない。
トルコにおいても、ホロコーストについて歴史認識の問題が生じている。大戦で中立国だったトルコにはナチスとのつながりがあった人たちもいて、強制収容所はチフスか何かの疫病が広がるのを防ぐための手立てだった、と最近の著作で主張しているグループがあるとのこと。そのことを同じイスラム教徒ながらユダヤ人への差別意識として指摘しているのが彼の立場らしい。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-29.html
彼は英語を使えるが、こちらは使えない。相手は自国語以外に物事を伝えたり考えたりする道具として英語を使いこなしているのに、こちらは普段の生活に必要ないから、素養として外国語を習得しようとしていない。
言葉は会話のためだけでなく、考えるための道具でもあるので、外国語を習得しないということは、自分のことをほかの言葉で考え直すという作業も当然していない。
つまり、相手のことも考えないし、自分のことも考えないという、それこそ井の中蛙、島国のお猿さんそのものが私、ということになる。反省。反省だけならサルにも出来る。反省プラス行動。ううむう。英語か中国語でホームページ作ってみようかしら。