よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

棒、羽、籠、塩

2004年09月27日 | Weblog
日曜日、近くの小学校の芝生で「ターゲットバードゴルフ」大会に参加。

ゴルフのピッチングウエッジを使い、バトミントンのシャトルに似た形状でビニール製の羽を打ち、傘を逆さまにして網を張ったような籠に放り込む競技です。

以前にゴルフを少ししたことがあるので、普通に打つのは問題ないのですが、籠の近くに来てから網の部分に放り込むのが大変。短かったり行きすぎたり、近づけば近づくほどコントロールが難しく、籠のそばに来てから行ったり来たりであっと言う間に5打6打になってしまう。上手な人はいとも簡単にひょいと入れてしまうのに。

天気予報は雨だったのに段々上天気になりました。
2時間半くらいかけてパー3ばかり9ホールを2度回って、スコアは48と41。別の組でまわった妻はホールインワンもあったとかで私より随分スコアが良くてムフフと小鼻をふくらませ喜んでいました。
帰り道、何気なく腕をさすったら、ザラッと塩を吹いていました。芝生のある小学校、町内やPTA・OBの参加者、天気、などなどに恵まれよい運動をしました。景品は発泡酒のチビ缶が4本。ぼっちり。
コメント (1)
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木も人も Ⅱ

2004年09月20日 | Weblog
齋藤孝教授の講演要旨を新聞で読んだ。

自由とは、選択肢がいくつかある状態のことをいい、勝手好き放題にさせておいて出来ることが他にない状態に放置するのでは、本当の自由を与えたとは言えまい。どんな分野でもある時期は多少窮屈であっても基礎基本を身につけることで、それが自分のものになれば作文でも音楽でもスポーツでも自由に表現できるようになる。

しっかりした土台がないのに、ああしたいこうしたいと言ってもかなわない。

植えっぱなしの放置林を向いてその話をしてもせんないが、その話を聞いても自分のことかときがつかない、そんなことになってやしないか、木になる。唐変木。

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木も人も

2004年09月18日 | Weblog
間伐のボランティア、によど川森林救援隊で吾北村上八川の村有林に行った。民有林を最近買い上げたが、植林してから一度も手入れをしていない「放置林」で、間伐しようにも曲がった木、低いところから太枝がはびこった木ばかりで「売れる木・残せる木がない」ありさま。
 造林のサイクルは70年余りあり、植林の後、下草刈り、枝打ち、間伐などの手入れが度々あってやっと「一人前」の木になると世話役に教えられたが、この現場は「植えっぱなし」。ぼうぼうに枝は伸びるし、蔦に絡まれ幹が腰砕けのようになっている。
 責められるべきは木ではなく、人であるとおもうが、なんだか人間社会にも同じことが当てはまるような事件が多くないか、と思う。
 朝から断続的な雨だったが、作業を切り上げた途端に土砂降りになった。高校生の頃「ギターが泣いている」という曲を聴いたが、今日あたり山も川も泣いているのではと思うが、高知市内に戻ると雨の降った気配もなく、人も車も何事もなく往来している。はてさて。

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同じ廊下の同じ椅子

2004年09月09日 | Weblog
市内を運転中、広島にいるはずの級友から携帯電話に「父が倒れた。日赤病院にはどう行けばいい?」

インターチェンジからの道順を教え、自分の用事を済ませてから駆けつけ、受付で告げるとすぐ案内してくれた。手術室と集中治療室をつなぐ廊下の椅子に、友人とお母さんと親戚らしい人たちが寄り添うように座っていた。

「いかんかった」と彼は言い、まだ信じられないという表情のお母さん。かける言葉もない。

まもなく手術室からベッドが出てきて、家族は死後の処置をする部屋に一緒に入っていった。

ひとりで廊下の隅に残って、この同じ廊下の同じ椅子に自分と妻が座っていたことを思いだした。6年前の初夏、義母も急に倒れ、翌未明帰らぬ人になったのだった。

同じ廊下の同じ椅子、同じ部屋の同じドア。

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