夕方から
午前中、昨日から読んでいた山住正己『點鬼簿』を読み終わる。
様々な交友関係は興味深いものがあった(斉藤喜博ととっくみあいのけんかをしたことなど)。その中に、「山村公治(歌詠・音楽教育)」の頁があった。この人のことは知らなかったが、奈良学芸大学時代の附属小学校の先生だったとのこと。次のように山住は書いている。
「音楽教育の会の集まりでお会いするだけでなく、毎年秋に開かれている付属小の公開研究会に何度か出かけていった。山村さんはやがてそこの教頭におされた。校長は大学の教師であったから、実質上、責任者は彼であった。この学校には、日本作文の会や歴教協など民間教育団体に参加する教師が何人もいた。いずれも論客であり、こういう人たちの手で選ばれ教頭になるというのは、なかなかのことであるが、それだけ仕事の仕甲斐があるように見えた。」
今は、附属小学校もかわったが、しかし、そのような教育実践の水脈がとぎれていないことを願う。
京都の大学で、「障害児教育の教育課程論」の講義。障害児教育の制度を説明するために、歴史を話をしていると、話が脱線して、戦前の障害児教育萌芽期のこと、そして、戦後改革と学校教育法のことで時間切れ。次回は、養護学校義務生の実施から…。しかし、障害のある人達の中に障害児教育の歴史が刻印されているともいえるので、そのことも触れている。
講義の終わった後、イギリスのインクルージョンを研究している奨励研究員の方と少し話をする。
6時から大学で、臨時の学生委員会。特急で大学へ向かうが、遅れる。学生委員会は、2時間強やっていた。この委員会はとにかく忙しい。
科研費の結果が出たようだ。今年は、はずれだったようだ。残念。研究費の確保を考えなければ…。それより、すこし休めということか…?


午前中、昨日から読んでいた山住正己『點鬼簿』を読み終わる。
様々な交友関係は興味深いものがあった(斉藤喜博ととっくみあいのけんかをしたことなど)。その中に、「山村公治(歌詠・音楽教育)」の頁があった。この人のことは知らなかったが、奈良学芸大学時代の附属小学校の先生だったとのこと。次のように山住は書いている。
「音楽教育の会の集まりでお会いするだけでなく、毎年秋に開かれている付属小の公開研究会に何度か出かけていった。山村さんはやがてそこの教頭におされた。校長は大学の教師であったから、実質上、責任者は彼であった。この学校には、日本作文の会や歴教協など民間教育団体に参加する教師が何人もいた。いずれも論客であり、こういう人たちの手で選ばれ教頭になるというのは、なかなかのことであるが、それだけ仕事の仕甲斐があるように見えた。」
今は、附属小学校もかわったが、しかし、そのような教育実践の水脈がとぎれていないことを願う。
京都の大学で、「障害児教育の教育課程論」の講義。障害児教育の制度を説明するために、歴史を話をしていると、話が脱線して、戦前の障害児教育萌芽期のこと、そして、戦後改革と学校教育法のことで時間切れ。次回は、養護学校義務生の実施から…。しかし、障害のある人達の中に障害児教育の歴史が刻印されているともいえるので、そのことも触れている。
講義の終わった後、イギリスのインクルージョンを研究している奨励研究員の方と少し話をする。
6時から大学で、臨時の学生委員会。特急で大学へ向かうが、遅れる。学生委員会は、2時間強やっていた。この委員会はとにかく忙しい。
科研費の結果が出たようだ。今年は、はずれだったようだ。残念。研究費の確保を考えなければ…。それより、すこし休めということか…?

