仕事(2022.12.11日作)
今の自分の仕事を
誰も分かってくれない と
嘆く事はない それが
真実の仕事であるなら 未来の
今の人間よりは もっと賢く
聡明な人達が 何時かきっと
理解して くれるだろう
今はただ ひたすら
自分の仕事に打ち込み 磨きをかけ
真実の道を突き進んでゆけば
それでいい
芸術作品(2022.12.15日作)
芸術とは
人間を映す鏡だ
優れた芸術作品は
どんな種類の作品であれ
観る者の心を 人間性を
的確に映し出す
芸術作品を美醜で見るのは誤りだ
人の内面 心の奥底に光りを当て
照らし出すもの それこそ
芸術作品
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私は居ない(7)
伯父はソファーの肘に両腕を置いたまま女の話しを聞いていたが、軽く頷くと、なる程と言って、それから言葉を続けた。
「多分、あなたとしたら、今更という気持ちがあるのかも知れない。だけど、この事はここだけの話しとして、どうか本当の事を言ってくれませんか。この人も本当の事を知れば気が済むだろうし、あなたに、今になって迷惑を掛ける心算もないので、いや、宜しかったら、失礼だが、多少のお礼を差し上げてもかまわないって、この人は言ってるんです」
女は伯父のその言葉にもすぐに応じた。
「はい、そのお志はとても有難いと存じます。でも、実際に母親でないわたくしには母親だと偽る事は出来ませんのて・・・」
「困ったなあ。あなたにそう依怙地になられては」
と、伯父は心底、困惑したように言った。
「いいえ、依怙地になっているのでは御座いません。おそらく、先生の方の何かの思い違いではないでしょうか」
実際、そう言った時の女の表情には依怙地の影は微塵もなくて、むしろ、伯父を諭すかのような静けささえが浮んでいた。
伯父はそんな女の表情をじっと見詰めていたが、ふと、何かに気付いたかのようにソファーで軽く身を乗り出すと、
「あなたは確か、昭和十五年頃、横川と交際していましたよね」
と聞いた。
「はい」
女は肯定する表情で静かに頷いた。
「横川の死んだのが昭和十五年だった。その前の年にあなたはこの人を産んで、自分一人の手で育てるとかなんだとかで、すったもんだしたじゃないですか。その当時の事はよく覚えているが」
伯父は首を伸ばし女の表情を覗き込むようにして言った。
言葉には確信に満ちた強い響きがあった。
女はそんな伯父の、問い詰めるような言葉にも動じる気配を見せなかった。
「確かに、横川社長さんのお亡くなりになられたのは昭和十五年でした。わたくしと社長さんの交際はその前の二年足らずでしたからよく覚えております。わたくしは横川社長さんに奥様がいらっしゃる事も存じ上げておりましたし、奥様の座を奪おうなんて、そんなお怖れた気持ちを持った事も御座いませんでした。でも、わたくしはどうしても社長さんとの間に出来た子供が欲しくて、わたし一人の手で育てますから、と何度もお願いしたのですが、社長さんは、うんとは言ってくれませんでした。そして、そんなこんなをしている間に社長さんがお亡くなりになってしまわれたのです。わたくしは社長さんがお亡くなりになったと知ると、お腹の子供を失った悲しみと共に打ちのめされた思いで生きる気力も失くしてしまって、川万も辞めたのです。ですから、先生のおっしゃるのは誰か他の方では御座いませんか」
伯父はその言葉を聞いても、なお強い調子で譲らなかった。
「いや、そんな事はない。わたしはこの人を引き取る時に川万の女将と一緒に立ち会っているんだから」
「わたくしがその席に居たのでしょうか」
女は言った。
「居た。確かに居た。わたしはあなたに会っている」
「いいえ、それは先生の御記憶違いで御座います」
女もまた、静かな口調だったが譲らなかった。
「記憶違いじゃない」
伯父の口調は次第に熱気を帯びて来ていた。
私はそんな伯父の様子を見ると少し気懸りになって来て、
「伯父さん、僕が会った川万の女将という人は、〆香もその子供も死んでいるって言うんですけど」
と、横合いから口を挟んで念を押した。
すると、私の言葉を受けて女が言った。
「それは若旦那様、川万の女将じゃ御座いませんよ。川万の女将は何度も申しますように、二十五年程前に亡くなっておりますので。わたくしが川万を辞めて郷里に帰り、二年程居て、また東京へ出て来て三年目に最初の結婚をしたのですが、その年に川万の女将が亡くなったのです。わたくしが結婚の知らせ方々、川万へ伺った時には女将は病床に居て、それから半年程後に亡くなりましたので、よく覚えております」
「でも、私が会った女将という人は、父の事や当時の〆香の事をよく知っていましたよ」
「いいえ、それは多分、違う人です」
女の言葉はやはり、自信に満ちていた。
「間違いなく、川万の女将だって言ったのかい」
伯父が言った。
「ええ。だって、〆香の事を聞いたらはっきりと家に居た、って言ってましたから。それに表札も間違いなく川万でした」
「しかし、〆香が死んだなんておかしいじゃないか。現に、此処にこうして居るのだから」
伯父の口調は疑いに満ちていた。
「ええ」
私は言ったが、正直なところ頭の中は何がなんだか分からなくなっていた。それで私は最後の結論を出すように、
「もし、宜しかったら、お二人でその川万の女将という人に会って貰えませんか」
と尋ねた。
「ああ、構わないよ」
伯父は気軽に請け合ってくれた。
「どうでしょう、お会いして貰えませんか。お忙しいところ、何度も済いませんが」
私は女に聞いた。
「はい。わたしの方は結構で御座います。そうした方がいっそ、事がはっきりして宜しいんじゃないでしょうか。わたくしとしても、死んだなんて言われて、いい気持ちのものでは御座いませんので」
「そうして戴けると助かります」
その日の話し合いはそれで終わった。が、いずれにしても真相は闇の中だった。
翌日、私は川万に電話をしてもう一度、お会い出来ないかと聞いてみた。
何時でもどうぞ、という答えだった。
その翌日、川万を訪ねると例の女将は既に承知をしている私の顔を見て、
「なんですね、また」
と、親しみを込めた笑顔で言った。
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桂蓮様
新作 拝見しました
不眠症 わたくしには無関係 何処でもわたくしは
よく眠れます 以前 母が病院通いをしていた時
付き添って行き 診察時間までの待合室でも椅子に座ったまま
グウグウ居眠りをしてしまいますので こんな所でよく眠れるねえ
と 母に呆れられたものでした
今でも横になればバタンキュー寝入ってしまいます
それにしても指圧 これはバカにしたものではありません
眼の 耳の 喉の 鼻の 首の 腕の 至る所の指圧を毎日欠かしません
身体を揉みほぐす 大事な事です 血流の滞りが 万病の元ではないのでしょうか
長年の神経痛も自己流の柔軟体操 指圧で治しました
老化現象を除いて、悪い所は何処にもありません 健康診断の医師には
百歳まで生きられると言われましたが 人の命ばかりは分かりません
何時もながら冒頭の写真 いいですね なんだか夏の雲に近いものを感じます
それにしても空だけの写真の中に広い空間が感じられて
庭の広さが想像出来ます 日本の都市空間ではなかなか望めない景色です
いろいろ お忙しい中 このブログの為に時間を割いて戴き感謝申し上げます
有難う御座います
takeziisan様
今回も美しい自然の風景 数々の写真 楽しませて戴きました
枯れた樹々の間に通う小道 子供時代に暮らした日々と自然が
甦ります
大連旅行 いい思い出ですね それにしも数多くの旅行経験
人生の宝物ではないでしょうか 歳と共に自ずと遠出も出来なくなります
アオジ 懐かしいですね 松林の多い自然豊かな地で暮らした子供時代
ホオジロ ウグイス アオジなど 自分で編んだ竹籠に入れて
飼育した記憶が蘇りました いい思い出です
細ーく 長ーく・・・・無理をせず
七十代の終わりごろ 一年で一・五センチ身長が縮んだ事がありました
幸い 体重 胴回り ここ何十年も変化がありません
おかげで健康体です
下駄 わが家にも桐の古い男物の下駄があります
雨や小雪の日などには履いて庭に出ます
素足に桐の下駄の感触は心地良いもので
鳥の名前 ほとんど知っていた事に我ながら驚いています
懐かしい歌のあれこれ 古いレコードなども持っていますが
こういう機会でないとなかなか聴く時間がありませんので
懐かしく 楽しく拝見させて戴きました
何時もながらに御礼申し上げます
有難う御座いました