原題:『ドライブ・マイ・カー』
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介/大江崇允
撮影:四宮秀俊
出演:西島秀俊/三浦透子/霧島れいか/岡田将生/パク・ユリム/ジン・デヨン/ソニア・ユアン
2021年/日本
「問題の先送りによる悲劇」について
例えば、主人公の家福悠介が妻の家福音と若手俳優の高槻耕史との浮気を知りながら、問題を先送りにした結果、話し合う当日に帰宅が遅くなり音がくも膜下出血で亡くなってしまったことを後悔したり、あるいは広島に滞在中の家福の専属ドライバーを担った23歳の渡利みさきが5年前の18歳の時に実家が土砂崩れに遭い、自分は助かったのだが、母親は生き埋めになり、それまで自分を虐待していた母親に対する思いが母親を助けようという思いの強さを阻害したのではないかと悩んでいる。
このような「問題の先送りによる悲劇」は村上の小説に一貫しているテーマだと思うのだが、そこで気になるシーンを論じてみたい。
家福と高槻がバーで飲んでいるところを高槻のスキャンダルを追っているパパラッチが勝手に写真を撮っており、高槻が立ち上がったところを家福がなだめて、先にバーを出るように促す。つまり本作を観ている観客はここで、前にも同じことがあったので家福がパパラッチと話を付けると想像するのだが、場面がバーの外に変わると高槻の後を同じパパラッチが相変わらず勝手に写真を撮っており、逃げたパパラッチを高槻が追った後に、再び戻って来て家福とみさきと3人で車に乗り込むのである。しかしこのシーンは明らかに奇妙なもので、高槻が先にバーを出たのであるから、家福とパパラッチは何らかの話をつけているか、あるいは家福は高槻にバーを出たパパラッチがどうしたか訊かなければ不自然で、舞台が上演される直前に高槻は殺人の罪で逮捕されてしまうのである。
これが家福が再び犯した「問題の先送りによる悲劇」であるのならば、結局「復讐心」が必ず勝利し、私たちはこの悲劇から決して逃れることはできないと思うのだが、私たちが知りたいのはどのようにしてこの悲劇を避けることができるのかということではなかったのか?
しかしだからと言って本作が駄作というわけではなく、寧ろ村上の小説の神髄を的確に捉えているという意味では傑作と言ってもいいと思う。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/anannews/trend/anannews-372422