愛を読むひと
2008年/アメリカ=ドイツ
‘朗読者’を越えて
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
今、私の手元にあるこの作品のパンフレットにはこのように書いてある。「突然終わった年上の女性との恋。20年後、彼はなぜ、本を朗読し、彼女に‘声’を送り続けたのか? 少年の日の恋が、無償の愛へと変わるまで。」私にはこの作品が、若い頃、性の手ほどきを受けた主人公マイケルが、そのお礼で無償の愛をその相手であるハンナに施したようには思えない。そのことを書いておきたいと思う。
勿論ハンナが自分が文盲であることを恥じていたことは確かで、それは車掌をしていたハンナがその仕事ぶりを認められて事務職に昇進したとたんに自分が文盲であることがばれることを恐れて家出をしたことで分かるし、アウシュヴィッツでの出来事の罪を全て引き受けてしまうのも同じ理由によるものであろう。
ではマイケルはどのような理由でハンナが文盲であることを公表しなかったのだろうか? ただハンナが文盲であることを隠したがっていることに共感したからだろうか? それにしてはその後のマイケルのハンナに対する態度は奇妙なものではないだろうか?
ところでアウシュヴィッツの悲劇の原因は何なのだろうか? 勿論様々な要因が考えられるのだが、その一つとして‘ユダヤ人の物語’の盲信があったことは間違いない。ハンナは‘物語’を聴くことが大好きで、マイケルは‘物語’を読むことが大好きだった。私はマイケルは文盲であることを隠したがっているハンナに共感したのではなくて、やはりハンナに罪を償ってもらいたかったのだと思う。そして‘朗読者’としてアウシュヴィッツの悲劇を決して他人事として片付けることができないマイケルもハンナと一緒に罪を背負うことを決意したのだと思う。
マイケルはただハンナに自分が朗読したテープを送り続ける。やがてハンナはテープと本を照らし合わせながら文字を覚えていく。マイケルはハンナから送られてくるようになった手紙に返信しないことで、更にハンナに文章を書かせるようにさせる。そしてついにハンナは‘ユダヤ人の物語’の盲信から抜け出し、自分の言葉で綴ることで罪を懺悔できるようになる。しかしハンナはそれを綴ったことで自分の犯した罪の大きさを改めて実感し、そのあまりの大きさに心が耐え切れず自死してしまうのである。私はマイケルはハンナがこのように自殺する可能性があることが分かっていたと思う。分かっていたからマイケルのハンナに対する行動は終始煮え切らないものになったのであろう。
マイケルはハンナの意思を継いで、当然許される訳はないのであるが、イラーナ・マーターに謝罪しに行き、ラストシーンでは自分の娘に自分の言葉で自分の過去を語ることで‘朗読者’であった自分に決別するのである。
これほど慎み深い懺悔を私は見たことが無い。
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