原題:『Vice』
監督:アダム・マッケイ
脚本:アダム・マッケイ
撮影:グリーグ・フレイザー
出演:クリスチャン・ベール/エイミー・アダムス/スティーヴ・カレル/サム・ロックウェル
2018年/アメリカ
究極の忖度ができる副大統領について
まずは本作に関する批評を引用してみる。
「オリバー・ストーンの『ブッシュ』、マイケル・ムーアの『華氏911』を代表として、同時多発テロ事件とイラク介入は数多くの映画に描かれてきました。ただ、ブッシュは悪役というよりは愚かな政治家という印象が強いので、大統領のブッシュではなく副大統領のチェイニーに注目するのはよい切り口ですね。問題は、その悪の描き方にあります。
ローレンス・オリビエがシェークスピア劇を映画に仕上げた『リチャード三世』では、主人公が悪ければ悪いほど見ていてワクワクしてしまう。逆にストーンの『ニクソン』の場合は、孤独な姿に哀れを催してしまう。でもこの『バイス』のチェイニーは、ただ悪いだけの人なので、ちょっと平板な印象を与えます。
俳優の責任じゃありません。チェイニー役のクリスチャン・ベールは役づくりのためにぶくぶく太って、目的のために手段を選ばないリアリストでありながら家族への愛情は強い多面的な性格を伝えています。チェイニーの妻、いわばマクベスに対するマクベス夫人を演じるエイミー・アダムスも発声と姿勢によって芯の強いキャラクターを演じて見事。だから役者は揃ってるんですが、脚本が問題です。かつてアダム・マッケイ監督が関わったアメリカのコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のようなコントをちりばめるという方法が、一人の人間を描くという伝記の表現とうまくなじまない。できあがったのは、正統スタイルの伝記映画にバラエティー番組のくすぐりとマイケル・ムーアのような政治アピールが混ざったような映画です。
ううん、惜しい。せっかくの悪役なんですから、戦争犯罪を指弾する政治アピールなんて横に置いて、リチャード三世のように喜々として悪に勤しむチェイニーを見たいところでした。」(2019年4月7日付毎日新聞「藤原帰一の映画愛」)
チェイニーが「喜々として悪に勤し」んでいるのかどうかは微妙なところで、個人的にはディック・チェイニーがアドルフ・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann)のように見えた。つまり大学生時代には飲酒運転などで逮捕されたりするなどぶらぶらしていたが、役割を得るとその役割を忠実にこなしていく才能である。それはチェイニーの次女のメアリー・チェイニーにも受け継がれ、同性愛者であるにも関わらず父親と同じ共和党に所属し、同性婚を認めないブッシュ大統領を支持したことにも表れているのである。
本作の「語り手」はチェイニーの親戚らしく、彼が交通事故に遭ってチェイニーが心臓の移植手術をするのは2012年の出来事らしい(ドナーはフィクションである)が、取り出された彼の心臓のアップがその「強さ」を暗示している。
2006年にチェイニーが誤って猟銃で友人の弁護士を撃ってしまったのであるが、謝罪したのがチェイニーではなくその弁護士だった実際の映像を見た時、アメリカにも忖度があるのだと納得した次第である。