MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『月光ノ仮面』 90点

2012-01-22 22:10:05 | goo映画レビュー

月光ノ仮面

2011年/日本

ネタバレ

‘実体験’と‘物語’

総合★★★★☆ 90

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 『マイウェイ 12,000キロの真実』(カン・ジェギュ監督 2011年)の地上戦における‘泥試合’の迫力ある映像に関しては既に述べた通りであるが、それと比較するならば本作の戦闘シーンは極めて地味なものであり、むしろ本作においてはラストで主人公の森乃家うさぎがマシンガンで披露する‘落語’シーンに迫力がある。一見、奇を衒ったような板尾創路監督の演出は‘落語’というエンターテイメントを考える上では正鵠を得ているものだと思う。実際に戦場で戦う兵士たちは目の前の敵を倒すことと自分の身の安全に気を配ることに精一杯で、観客が映画を見るように周囲を見る余裕はないであろうし、落語や映画などのエンターテイメントが戦闘シーンを描写する場合には、事前に感動的にストーリーを組み立ており、精密で迫力のある物語が展開されることになる。それはまるで観客が本作で目撃するように、落語家が噺小屋を血まみれにするような‘リアリティ’を‘落語’にもたらし、観客が笑えば笑うほど、その‘落語’は‘面白い’が故に‘残酷さ’を増す。本作のモチーフである「粗忽長屋」の‘主人公’は2人の森乃家うさぎではなく、‘実体験’と改めて語られる‘物語’なのである。タイムスリッパーとして未来からやって来る男と、タイムトンネルを掘って過去と未来を繋ぐ女で、この‘粗忽長屋’という物語をループさせる演出は並大抵のものではなく、全ての物語が浅野忠信が演じる森乃家うさぎの‘夢オチ’ならぬ‘語りオチ’だったというラストシーンも冴えており、本気で「月光仮面」に成りきれなかった「月光ノ仮面」というフィクションは非常によく練られた作品だと思う。


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