冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
2009年/フランス=香港
‘記憶喪失’という快楽
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
まずは主人公のフランシス・コステロを演じた、ジョニー・アリディに関する文章を引用してみたい。
「その人影があのジョニー・アリディのものだといっても、二十一世紀に生きる人々がどれだけ心を動かされるのか微妙なところだ。歌手のシルヴィー・ヴァルタンや女優のナタリー・バイとの結婚歴や深い交際歴を持ち、有望な女優のローラ・スメットの父親でもある彼は、フランス語圏でレコードとCDの最大の売り上げを記録した有名な歌手なのだといっても、その最盛期は前世紀の六十年代から七十年代にかけてのことだから、知らない人の方が遥かに多いだろう。『ゴダールの探偵』(一九八五)に出演したとき、頬のこけたその陰鬱な存在感で社会の疲弊ぶりを監督の意図さえ超えてきわだたせてみせたのが彼だといえば、わかる人はわかってくれるかと思う。そのジョニー・アリディが、何故、香港の監督に出演を依頼されたフランスとの合作映画で、雨にけむるマカオの歓楽街を方向もわからぬままに徘徊することになったのかといえば、彼の役名コステロがジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』(一九六七)でアラン・ドロンが演じた人物から来ていると気づけばそれで十分である。」(『群像』2010年6月号 映画時評18 蓮実重彦 「よくできたごく普通の映画の二十一世紀には稀な貴重さについて」P.237)
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』はハードボイルド作品として高く評価されているようであるが、正確を期するならば、それは例えばジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』的なシリアスなものではなく、アキ・カウリスマキ監督の『過去のない男』(2002年)的なパロディとしてのハードボイルドである。実際に、‘復讐(Vengeance)’という原題でありながら、コステロは当初、銃撃された娘と銃殺された彼女の夫と二人の息子の復讐を三人の暗殺者に頼んでおきながら、頭に残っている銃弾の影響で記憶が薄れていくようになり、復讐を依頼した3人が殺されても、周囲にいる子供たちを通して理解する有様で、結局、相手のボスを銃殺して復讐を果たすことができたのではあるが、その相手がターゲットなのかどうかはボスが着ていたコートに頼る始末であり、最後のコステロの笑顔さえ復讐を果たした満足感ではなく、周囲の笑いに誘発されたものであり、復讐の達成感のようなハードボイルドとしてのカタルシスは全くもって感じられないのである。
だからこの作品を観終わった後、観客が思い出せることは物語の内容ではなく、誰も乗っていない無人のまま長々と画面を横切る自転車や、緊迫した瞬間に宙を大きく舞うブーメランであり、まるで自分たち自身がコステロのような記憶喪失状態に陥るのであるが、映画を楽しむということはまさに突発的な音や映像を楽しむということだけは忘れないように頭に刻んでくれる。
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