オロ
2012年/日本
‘フィクション’を生きる
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
チベットからインドへ亡命し、現在はインド北部の町のダラムサラで、チベット亡命政府が運営する「チベット子ども村」に寄宿しながら学んでいるオロという名前の少年のパーソナルな経験と同時に、『LEAVING FEAR BEHIND』というドキュメンタリー映画を製作中に中国政府に逮捕されたドンドゥプ・ワンチェンについても語られ、その‘政治色’は濃厚であるにも関わらず、岩佐寿弥監督の視点はその先を見据えているように見える。それは作品の冒頭で、監督の合図と共にオロが細い路地を駆けてくるシーンが示すように、本作が本当にドキュメンタリー映画なのか、あるいはオロに指示を与えて‘演技’をさせているフィクションなのかはっきりさせていないからである。オロは自分が主演となる本作がアクション映画になるのかと思っていたが、監督は歩かせるだけだったと述べ、しかし実際にオロが階段を下りるシーンで、下で(恐らく監督によってオロに内緒で用意されていた)待ち伏せていた30匹の野犬に対して戦う姿勢を見せることはなく、本作がドキュメンタリーなのかフィクションなのかさらに混迷を深める。ここは分かりづらいのであるが、重要なことはオロ次第で本作が‘アクション映画’になる可能性はあったという点である。
最初の方こそ「チベット子ども村」におけるオロの様子が淡々と描かれているが、冬休みに監督の友人のチベット人ツエワンと一緒に、10年前に製作した映画の主人公モゥモ・チェンガに会いにネパールのポカラのタシ・パルケル難民キャンプへ向かうシーンから様相が変わってくる。オロはそこで三姉妹と出会い、最初は恥ずかしがっていたオロだが、だんだんと打ち解ける。三姉妹に質問攻めにされたオロは少しずつ自分が亡命した当時の過酷な体験を語っていき、その後、モゥモ・チェンガと談笑し、やがて草原を歩きながら自分の想いを語るオロを見ていると、どこまでがドキュメンタリーでどこからフィクションなのか境目が分からなくなってくる。三姉妹との食事の席で、みんなが流暢に歌う中で、オロはあまり上手く歌えなかったのであるが、本作の最後でオロは見事な歌を聞かせる。
チベットの現実を直ぐに変えることは出来ないが、‘野犬’と戦う勇気と共に、語る技術や歌う技術を磨くことでオロは日常という‘フィクション’をより良いものにすることは出来る。それは例えば、‘OLO’というオロの綴りが、両目と鼻でしかなかったものが、下田昌克が描くオロの肖像画のように‘フィクション’のクオリティーを上げることはできるのであり、最後に岩佐寿弥監督は期待を込めてオロに撮影カメラを託すのである。
最少の映像素材で最高のパフォーマンスを引き出せる岩佐寿弥監督の才能はなかなか見かける機会がない類のものである。
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