MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『サクラダリセット 後篇』

2017-05-24 01:27:53 | goo映画レビュー

原題:『サクラダリセット 後篇』
監督:深川栄洋
脚本:深川栄洋
撮影:清久素延
出演:野村周平/黒島結菜/平祐奈/玉城ティナ/恒松祐里/岡本玲/八木亜希子/及川光博
2017年/日本

現代の「サクラダ」を巡って

 本作の前篇で「石」を巡る考察があったように後編においては「板」を巡る考察が展開される。後篇では咲良田という街の超能力の存在に関して、主人公の浅井恵(ケイ)と街の管理局対策室室長の浦地正宗の攻防が始まるのであるが、超能力の一掃を企んでいる浦地に対してケイは同級生の相麻菫の、身を賭した活躍も手伝って、超能力の保護を試みる。その時、ケイと浦地の間で「カルネアデスの板(Plank of Carneades)」に関するパラドックスの解釈が問題になるのである。
 難破した船から生き残った男が壊れた船の板切れに掴まっていると、もう一人の男が同じ板に掴まろうとし、二人で掴まったら板が沈むと思った男は後から来た男を突き飛ばして水死させてしまったのだが、その後、救助されたその男は殺人罪では問われなかったのである。当然浦地はこの男の正当性を主張するのだが、ケイは2人共助かる可能性を模索するべきなのだと提案するのである。
 例えば、浦地と、浦地に電話をしてきた菫を中心に2人の周囲を回るカメラワークやカラオケボックス内でのケイと浦地との会話を聞く索引さんの眼球の動きなど思い切った演出も悪くはない。時折、登場人物のセリフをこれほどはっきりと左右に振り分けて流す音声の演出面も特筆すべきものだと思うのであるが、浦地と加賀谷の超能力によって浦地の両親の身に起こった不幸な出来事や、咲良田に引っ越してきた時にケイの両親に起こった不幸な出来事の描写が不十分で、浦地とケイの悲壮感がいまいち力強く伝わってこない。
 『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 2016年)がハリウッドの知的SF作品の雛形であるならば、本作は日本の知的SF作品の金字塔のはずだった。驚くべきことに前篇を観に行った映画館で後編が上映されておらず、わざわざ遠出して観に行ったほど客が入っていない。実際に、観に行った上映館でも3人しか観客がいなかったのだが、本作は例えば、米軍基地を巡る日本と沖縄の関係の問題提起でもあるはずで、本作に対する関心の低さが、そのまま日本人の沖縄問題への関心の反映でもあるように思うのである。


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