原題:『Transformers: The Last Knight』
監督:マイケル・ベイ
脚本:マット・ハロウェイ/アート・マーカム/ケン・ノーラン
撮影:ジョナサン・セラ
出演:マーク・ウォールバーグ/ローラ・ハドック/イザベラ・モナー/アンソニー・ホプキンス
2017年/アメリカ
「言葉」に対する関心が活かされない作品について
主人公で発明家のケイド・イェーガーと彼が偶然知り合った14歳の少女のイザベラとの組み合わせ、さらにロードムービー的なストーリー展開から『LOGAN/ローガン』(ジェームズ・マンゴールド監督 2017年)を想起させたりもするが、484年頃のイギリスの暗黒時代が描かれた後に1600年後の「現代」が描かれたり、剣が重要なアイテムになるところまで『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(アレックス・カーツマン監督 2017年)とそっくりな物語で、本当に面白いのかどうかよく分からない中途半端な「ギャグ」を多用しているところまで似ている。
本作の方にまだ見どころがあるとするならば、アーサー王の頃は男同士の戦いで終わっていた戦闘が、「現代」においてはイザベラの命令によるスクィークスの行動から形勢逆転が起こったり、オックスフォード大学の女性教授のヴィヴィアン・ウェンブリーがキーパーソンになるなど女性や子供が重要なポジションを占めるところで、そこは「ヒロイン」が台頭し『ワンダーウーマン』(パティ・ジェンキンス監督 2017年)で頂点を極めようとしている現代のSF映画の流れを踏襲してはいるのだが、創造主のクインテッサに洗脳されたオプティマス・プライムがバンブルビーの声で洗脳が解けるシーンは安易過ぎないだろうか? 「イギリス訛り」や「フランス訛り」に言及しているから「言葉」に関する問題意識はあるはずなのだが、それが上手く活かされていないと思う。