MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>』 100点

2009-12-23 21:13:45 | goo映画レビュー

バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>

1987年/西ドイツ

ネタバレ

‘周辺’の人間関係

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 最初から最後までこれほど謎に満ちた作品も珍しいのではないだろうか? オープニングではドイツからアメリカに旅行に来ていた夫婦が理由が明かされないまま喧嘩をしている。妻のジャスミンが夫と車を残して一人で砂漠の中の1本道を歩いて行ってしまうのだが、後から車で彼女の後を追いかけていった夫は何故か途中でジャスミンに遭遇しないままバグダット・カフェに着いてしまい、結局妻を待たないままどこかへ行ってしまい、何故かその後再び姿を見せることはない。ジャスミンが何故男性用の服を持っていたのか結局明かされることもなく、何故手品のセットを持っていたのかも分からない。ブレンダの夫が出て行った後に心配してカフェの様子を少し離れた場所から双眼鏡で見ているのだが、何故か彼の視線は私たち観客の視線と同じである。ラストシーンも不思議で、ルーディに求婚されたジャスミンは何故か自分の夫ではなくて‘ブレンダ’に相談してからと答える。
 これだけ訳が分からないとなると普通は失敗作となるのだが、そのように判断する前にやはり私たちはこの作品のタイトルを改めて考察する必要があるだろう。
 『バグダッド・カフェ』というタイトルはシャレたものであり、この作品がヒットした要因でもあるはずだが、原題は『Out of Rosenheim (ローゼンハイムの外れ)』である。‘バグダッド・カフェ’ならば、そこに集った人たちが心を通わせるようになって親密なコミュニティーを築き上げる感動の物語として楽しめる。そのように楽しむことに異存はない。しかしあえて原題の‘ローゼンハイムの外れ’としてこの作品を観るならば、彼らの別の様相が見えてくる。
 ドイツに存在するこの街がどれほどの規模の街なのか寡聞にして分からないが、タイトルの意図としては‘街の郊外’であるということに間違いはないであろう。つまりジャスミンやブレンダたちは夢や希望を抱いて‘中心’に集った人たちではなく‘端’に追いやられて他に行く場所がない人たちなのである。それ故に彼らの関係というものは決して積極的なものではなくて、ガラス細工のように脆いものであるだろう。だからそのことを察して、関係が壊れた後の心的ショックを避けるために入れ墨師のデビーは「あまりにも仲が良すぎる」と言い残して出て行ったのであろうし、関係が不安定であることが分かっているからこそ、ルーディに求婚されたジャスミンはブレンダに相談すると答えたのであろう。まるで1つでも謎が明かされると一気に関係が崩壊するような雰囲気である。
 『バグダッド・カフェ』とは、このような儚い人間関係を「コーリング・ユー(=あなたを呼んでいる)」という名曲と鮮明な美しい色彩で包み込んだ傑作である。


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