ぐるりのこと。
2008年/日本
‘真面目さ’再考
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
私が『レスラー』のミッキー・ロークに全く同情しない旨は以前書いたが、それでも彼の言っていたことで共感できることはあった。ランディとキャシディがビールを飲みながら会話をしているシーンで、「ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N' Roses)、デフレパード(Def Leppard)などの音楽でお気楽に過ごしていた80年代の空気をニルヴァーナ(Nirvana)の‘マジメ’な音楽が滅茶苦茶にしてしまった」というランディの言葉である。そしてこのランディの一言が、1993年から10年間の日本が描かれている『ぐるりのこと。』のテーマになっている。
妻の翔子は何事に対しても真面目で几帳面な性格であるが、夫のカナオは物事に対して特別なこだわりを持たない‘いい加減’な性格である。
90年代に日本を襲った災害や事件を真面目であるが故にまともに受け止めたかのように翔子は精神のバランスを崩してしまう。思い返してみるならば90年代の事件の犯人たちも全員‘真面目’であったが故に罪を犯したのではなかったか? ではそのような被告たちを法廷で目の当たりにしているカナオは何故冷静に対処できたのであろうか? それは彼が描く絵のスタイルにある。法廷画家としての彼の絵は‘斜に構えている’ようなラフなスタイルであり、これはそのままカナオの、物事を真剣に受け止めないクールな性格を暗示していると思う。
勿論、橋口亮輔監督は‘真面目さ’が悪いように描いてはいない。それは翔子の回復の仕方の中で描かれている。翔子はカナオに絵を習って、寺の天井に見事な絵を描き、やはり‘真面目さ’が‘正統’を生み出すことを明かしている。
‘真面目さ’と‘不真面目さ’。この二つのバランスの良いコンビネーションがカナオと翔子を理想のカップルに見せるのであり、21世紀を生きる私たちに物事に対処する時のヒントを与えてくれていると思う。
バンキシャ「誤報起こる体制」BPO勧告へ(読売新聞) - goo ニュース
日本テレビ「真相報道バンキシャ!」の“誤報起こる体制”について私は詳しくは
ないが、“誤報起こる象徴”ならば想像がつく。言わずと知れた菊川怜の事である。
恐らく菊川怜ほど東大を卒業したことを後悔している人はいないのではないのか?
通常であるならば東大卒であの仕事振りではとっくにクビになっているはずである。
東大卒という肩書きと賢そうに見える佇まいが本来彼女の能力では無理な仕事を
彼女に強いているような気がする。菊川怜はコメディアンヌの方が向いていると思う
のだが、東大卒という肩書きが菊川怜を“おバカタレント”にさせないために、その
ブームに乗れないのである。これほど不幸な東大卒がいるだろうか