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「男たちの大和」辺見じゅん

2023年04月24日 07時40分51秒 | 読書(戦争/引き揚げ/ 抑留)


「男たちの大和 決定版」(上)(下)辺見じゅん

著者については、「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を既に読んでいるので、
取材能力、力量は相当なものと認識している。
読んでいて、「やはりすごいな」と改めて感じた。

(上)P118
井上成美(しげよし)は、米内光政が海軍大臣の時代に軍務局長を務め、海軍次官だった山本(五十六)を加えて、海軍省の左派トリオと称された。
「山本さんはなぜ、海軍は対米戦争などやれない、やればかならず負けますと、あのとき答えなかったのだろうか」

(上)P125
この米内と井上成美に山本を加えた三人が、三国同盟問題をはじめ、戦争回避に志を同じくして抗戦派の陸軍と激しく対峙したことが公になったのは戦後のことである。井上成美に対しては年下の友人という意識が強かったが、米内光政と山本は、盟友と呼んでもさしつかえない時期を過ごしている。

(上)P226
たとえ保有燃料の節約のためとはいえ、最も大事なときに速力16ノットで走り、払暁の対潜警戒時でさえ18ノットで敵潜水艦に先を越され待ち伏せされたのは、重大なミスであった。このとき、敵潜水艦は速力19ノットで追跡していた。
しかも、潜水艦に弱い巡洋艦を旗艦にし、艦隊先頭に対潜警戒のための前衛駆逐艦を配置する用意もなかった。レイテ沖海戦の緒戦はその後も大きく響いただけに、艦隊司令部の対潜水艦への状況判断の甘さはいかんともしがたい。

(上)P367
「要するに、死んでもらいたい。一億総特攻の規範となるよう、立派に死んでもらいたいのだ」
草鹿参謀長は言った。
「それならば何をかいわんやだ。よく了承した」
伊藤司令長官は、答えた。
ただし、一つだけ条件があると言い、
「もし、征途の半ばで艦隊が大半を失い、沖縄突入ができなくなったときは、指揮官として作戦の変更をしてよいか」
と念を押した。
ただ一人の乗組員たちも無駄死にさせたくないという思いが言外にこめられていた。

(下)P27
明治38年、アナポリスの海軍兵学校を卒業して間もないニミッツは、少尉候補生として戦艦「オハイオ」に乗り、日本を訪れている。日露戦争が終わってすぐのころだっただけに、日本海海戦で勝利を収めた東郷は、ニミッツにとって憧憬の対象だった。園遊会で東郷を遠くから眺めていたニミッツは、候補生を代表して、
「われわれのテーブルで歓談して下さいませんか」
おずおずと申し出た。
東郷は快く話をしてくれた。
(後に、ニミッツは太平洋艦隊司令長官、兼、太平洋戦域最高司令官となる)

(下)P60
艦長は茂木史朗航海長に、
「艦を北向きにもっていけ」
と命令した。
死者を北枕にして寝かす慣習にならって、沈没する前に艦首を北に向けるようにとの指図と思われる。

(下)P89
「おい、みんな、艦と運命を共にせい」
花田掌航海長が叫んだ。
高地たちは互いに、体を舵輪へくくりつけた。
伝声管を通じて防空指揮所にその騒ぎが伝わったのか、有賀艦長からの声が聞こえた。
「馬鹿なことをするな。助かる者は助かって次の戦闘に参加せい」
高地たちは、舵輪にくくったロープをほどいた。

(下)P102
呉は海軍の町だ。なぜ、呉にいて陸軍憲兵隊が横暴なのか、また、海軍がそれを黙ってみているのか不思議だった。その後、海軍に入った水野は、陸海軍と陸を上にいう理由を、軍の成立を通して知った。やはり、陸軍の方が力をもっていた。

(下)P106
「大和の艦体が真っ二つなったときの火炎の熱さは30有余年経っても忘れられない。天から艦体の大小種々雑多な破片が、ハンドレールが、機銃の一部が、砲塔の一部が降ってくる。思わず、鉄兜を頭につけた」

山本五十六長官の言葉
(下)P328
長官は実に聞き上手な人だった。あるとき内田は長官にそのことを言った。
「それはね、きみ、人間は山、川でくるのがいいんだよ」
「山、川といいますと・・・・・・」
「人間は一本調子でしゃべってはだめなんだ」
長官は噛んで含めるようにいった。
「人間はね、山や川や平地があるようにしゃべらないとね。知ってることでも、ときにはフーンととぼけれ、しっかり相手の考えてることを聞いてやることだよ。相手に話す間を与えてやらんとね。自分ばかりしゃべっては、何もわからなくなる。これはね、きみ、人間はそのしゃべり方でわかるということなんだ」

(下)P356
数年前、内田は台湾に行ったとき空港の警報装置に引っかかった。三名の係員が内田を裸にした。全身の傷跡やひきつれに言葉もなかった。
「戦争ですか」
係員は流暢な日本語で訊ねた。
「そうですがな、戦艦大和に乗っとりました」
内田は答えた。
三人の係員は、瞬間、敬礼をした。

【コメント】
著者・辺見じゅんさんは、角川春樹氏の実姉。
だから、映画化に向け角川春樹氏は尽力した。
2005年に映画公開されたが、「大和」どころか、「宇宙戦艦ヤマト」さえ知らない若者世代になっていた。それでも、興行収入 50.9億円(東映の興収ランキング2位)観客動員数  400万人は立派。

【参考図書】

「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん

「よみがえる昭和天皇 御製で読み解く87年」辺見じゅん/保阪正康 

【ネット上の紹介】上巻
昭和十六年十月、極秘のうちに誕生した、不沈戦艦「大和」の予行運転が初めて行われた。同十二月、太平洋戦争突入。そして戦況が悪化した昭和二十年四月六日、「大和」は三千三百三十三名の男たちを乗せ、沖縄への特攻に出撃した。日本国と運命を供にした「大和」の過酷な戦いと男たちの人生を、丹念に、生々しい迫力をもって描く、鎮魂の書。新田次郎文学賞受賞作。

【ネット上の紹介】上巻
沖縄への特攻に出撃した翌日、昭和二十年四月七日十四時二十三分、戦艦「大和」、米航空機部隊の攻撃により沈没。死者三〇〇〇余名。東シナ海の海底に散る…壮絶な「大和」の最期と生存者、遺族の戦後を描き切り、日本人とは何かを問う、戦後ノンフィクションの金字塔。

【上巻目次】
1章 神話
2章 待機
3章 海戦
4章 特攻

【下巻目次】
5章 爆沈
6章 桜
7章 鎮魂

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