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「教養としての「中国史」の読み方」岡本隆司

2022年02月15日 08時14分50秒 | 読書(台湾/中国)


「教養としての「中国史」の読み方」岡本隆司

読んでいて気持ちの良い充実の読書だった。
今年ベストの1冊、と思う。
高校生や大学生は、教養として本書を読むべし、と思った。


P58
幕末の日本で、天皇を奉じて外国勢力を退けようとした志士たちが「尊皇攘夷」というスローガンを掲げましたが、これはもともと春秋時代の覇者が用いた言葉なのです。

P86
実際『論語』を読むと、二千五百年も前にできた内容であるにもかかわらず、現在のわれわれから見ても、驚くほど違和感がありません。
きちんと挨拶しなさいとか、親孝行をしなさいとか、人生訓のようなことが書いてあるだけです。つまり、儒教の本来の教えは、わたしたちの生活の中に、リアルなものとしてある人間関係、人間のありようを、そのままモラル化・教義化したものだといえます。
そうした中で、なぜ儒教はあれほど上下関係にうるさいのか、とよくいわれます。
でも日本人がこうした疑問を抱くのは、西洋思想の影響なのです。
西洋では、「神のもとの平等」といって、絶対的な神の前では、王も庶民もみな平等だと考えます。でも現実に即して考えると、これはおかしくはないでしょうか。
そもそも神がいるという前提が、まずおかしい。だれも見たこと、会ったことがないのに、なぜ神がいるといえるのでしょう。
王も庶民も平等というのも、おかしい。社会的には平等に扱われることはないからです。会社の中もそうでしょう。上司がいて部下がいます。年上がいて年下がいます。
また身体的にいっても、背の高い人もいれば低い人もいます。腕力の強い人もいれば頭の良い人もいます。
現実の社会には必上下関係があるものなのです。儒教はそうした現実を素直に認め、受け入れるところからスタートしているのです。
人間関係には、常に上下があり、平等などありえない。
そうした現実を認めたうえで、上の人であれば何をしてもいいのか、下の者はいじけていいのか、いや、そうではないだろう。

P88
常に「私」が優先し、しかるのちに「公」に尽くすというのが、儒教の教えの基礎にある考え方なのです。(中略)
たとえば、「礼」にもとづいた行為である「お辞儀」一つをとっても、頭を下げるという行為は、自分が高いからこそ「下げる」という行為が成立するのです。自分が高いことが前提なのです。
自分を優先・尊重するからこそ、謙譲の精神が出てくる。

P89
われわれは、めざすべき「理想」は未来にあると思っています。そして、「理想」に向かって日々進歩向上していくことが善だという意識をもっています。
しかし、こうした考え方が、実は「西洋的考え」だということは自覚していません。
(中略)
儒教的な考え方は、まったく違います。
理想を掲げるのではなく、いまある現実を受け入れて、その中で自分たちがより良く生きるためにはどうすればよいのか、と考えるのが儒教だからです。

P96
西洋では、人は神のもとでは平等である、という意識があるので、自他の間に平等意識が育まれ、結果的に社会全体の範囲が広くなります。18世紀できた経済学では、奇しくも「見えざる手/invisible hand」という表現をしていますが、個々人の行動の背景には、見えないけれど共通に影響する力のようなものが存在すると、西洋の人々は無意識のうちに感じているのです。(そう言えば、「女神の見えざる手」という映画があった)

「窮波斯」という言葉
P168
つまり、直訳すると「貧しいペルシャ人」という意味ですが、この言葉は「ありえないもの」、自家撞着の比喩として使われていた言葉なのです。

P171
唐はなぜ滅びたのかというと、唐という国の体制自体が寒冷化を前提にしたものだったので、地球が温暖化に転じたとき、体制のシステム変更が追いつかず破綻してしまった、ということでしょう。

P188
疫病がなかったとしても、モンゴル政権の寿命が永く続いたとは限りません。温暖化によって生まれた、温暖化に対応した政権であり、体制だったからです。(中略)
再び訪れた寒冷化に対応できず、モンゴル政権も滅ぶことになった、とみたほうが合理的です。

P226
つまり科挙とは、実際に政務を行う官僚にふさわしい人材を選抜・登用するための制度ではなかったということです。科挙とは、実際には「士と庶」という差別社会において、士の庶からの搾取を、より合理的に正当化するための制度だったのです。

P244
賄賂や横領が横行するのも、国際ルールを無視するのも、いきなり態度を豹変させるのも、中国共産党から始まったことではありません。もともと中国はそういう国なのです。

P252
そして、宋と明では、「時代」がまったく異なります。
最も大きな局面でいえば、宋は温暖化の時代ですが、明は寒冷化の時代です。
宋と明の共通点は、皇帝が漢人だというだけのことです。

P268
中国人が発明したのが、蚕の繭から生糸を、生糸から「絹」をつくりだす技法でした。虫を家畜化したのは、おそらく世界広しといえど中国人だけでしょう。

P282
かれらの自称「マンジュ」は、文殊菩薩の「文殊」に由来するものですが、その音に「満洲」という字を当てたのは「明」が火をイメージさせる文字であることから、マンジュの発音に合う文字の中から水のイメージをもつものを選んだと言われています。ですから、最近は「満州」と「さんずい」のつかない表記が多いのですが、本来は「満洲」が用いられるべきなのです。

P288
少数派の清が北京を占領してすぐに、一つだけ漢人に強要したことがあります。
服従の証として「辮髪」にすることでした。(中略)
しかも十日以内に実行するようにと、期限まで切っているのです。(中略)
高圧的に見えますが、裏を返せば、当時の清にはこれぐらいのとこしか漢人に命じられなかった、ということができます。
そしてもう一つ、辮髪を強要したのには、人工の1パーセントにも満たない自分たちの存在を目立たせなくするという目的もありました。
外見は辮髪にさせ、服装も満洲人のものに変えさせているのですが、その一方で、満洲人たちは懸命に朱子学や漢学を勉強しているのです。
つまり、人々の外見は満洲人になったのですが、その中身は漢人のままで、むしろ満洲人たちのほうが漢人に近づいていったといえるのです。

17世紀=1億人、18世紀半ば=3億人、19世紀初頭=4億人突破
P293
人口の急激な増加は、清の社会にさまざまな問題を引き起こしましたが、最たるものは食糧問題でした。

P294
国内に生きる場所を失った人々は、海を渡って東南アジアへ移住の範囲を広げていくことになります。これが「華僑」の始まりです。(アイルランドのポテト飢饉のようなものか?)

P294
しかしいくら民間ががんばったところで、1億人のために作られたシステムが、4億人の社会にとても通用するものではありません。それでも清の政府は、既存のシステムを変えようとしなかったのです。変える力量がなかったというほうが、むしろ正確かもしれません。

P310
歴史を見るうえで大切なのは、他者と比べて優劣をつけ、毀誉褒貶に走ることではなく、それぞれの異同を知り、その由来を理解することです。

P311
念のためにいっておくと、こうした「法の支配」の有無は、その人々が暮らす自然環境と、それにもとづく歴史的結果であって、断じて本質的な優劣の問題ではありません。政治的なイデオロギーや主張ならともかく、学問的には現代世界のスタンダードから善悪を評価すべき問題ではないのです。

袁世凱の独裁について
P328
これはフランス革命後に議会がうまく機能せず、ナポレオンの独裁・即位を招いたのとよくにています。物事が進まないときは、トップダウンの独裁にするのが、最も手っ取り早い対処法だからです。
共和制の体裁を保ちながら、トップダウン方式をやろうとすれば、どうしてもレーニンが考えた「Party/党国家」、つまり一党独裁国家にせざるをえないのです。

P330
孫文は国共合作の翌年に亡くなりますが、中国国民党は折しも高まった反帝国主義運動に乗じて、広州に国民政府を設立し、翌1926年には、国民革命軍を北伐に派遣しています。このとき孫文の遺志を継いで国民革命軍総司令として北伐の指揮を執ったのが、蒋介石でした。

P344
「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕まえてくれさえすればいい猫だ」という有名な言葉の実行です。白い猫は社会主義を、黒い猫は資本主義を、そしてネズミは経済発展を象徴しているとされるこの言葉どおり、鄧小平は、中国に資本主義をもち込みます。これが「改革開放」といわれる政策です。
(中略)
上下乖離、官民乖離、士と庶という中国がどうしても克服できない「二元構造」に応じた「分業」政策だったからこそ「改革開放」はめざましい成果を収めたのです。

P350
中国との交わり方は、「水の如し」がいいと思います。
深入りするのはよくありません。とくに相手のことがわからないのに深入りするのは、相手に対して失礼、自分にとって危険です。

P352
教養のない専門ではタダのオタク、専門のない教養ではタダの物知り。

【参考図書】

「近代中国史」岡本隆司


「台湾海峡一九四九」龍應台 


「中国「反日」の源流」岡本隆司

【ネット上の紹介】
保阪正康氏、推薦!「中国を知る最良の方法とは何か? それは中国特有の歴史構造を読み解くことだ。本書はまさにその最適な書である」最も近接し、否応なくつきあわねばならない大国――中国。中国を知ることは、日本人が現代の世界に生きていくうえで必須喫緊の課題であり、いま求められている教養です。なぜ中国は「一つの中国」に固執するのか。なぜ中国はあれほど強烈な「中華思想」をもつのか。なぜ中国は「共産党一党独裁」になったのか。なぜ中国はあれほど格差が大きいのか。なぜ中国は「産業革命」が起きなかったのか。「対の構造」をはじめとする中国の個性がわかれば、こうした疑問を解き明かす道筋が見えてくる!東洋史研究の第一人者が明快に語る隣国の本当の姿。
中国は「対の構造」で見る
1 「中国」のはじまり―古代から現代まで受け継がれるものとは(なぜ「一つの中国」をめざすのか
「皇帝」はどのようにして生まれたのか
儒教抜きには中国史は語れない)
2 交わる胡漢、変わる王朝、動く社会―遊牧民の台頭から皇帝独裁へ(中国史を大きく動かした遊牧民
唐宋変革による大転換
「士」と「庶」の二元構造)
3 現代中国はどのようにして生まれたのか―歴史を知れば、いまがわかる(現代中国をつくり上げた明と清
官民乖離の「西洋化」と「国民国家」
「共産主義国家」としての中国)

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