新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

陸中松川の忘れ形見

2008-09-22 23:54:21 | 東北線/常磐線

 大船渡線最後の貨物列車、陸中松川発着のセメント列車が消えて早12年。当時、失職した東北開発のタキ1900が連日東海道の3363レに連結され、九州に旅立っていったのを思い出されます。九州に旅立った仲間たちも無き今尚、陸中松川のセメント工場入口に、2輌のタキ1900が取り残されたように置かれています。エアスライド関連の配管は全て撤去され、自然に呑み込まれつつも、帰らぬ仲間たちを待ち侘びているのであろうか…

 岩手はもうコスモスの季節。関東ももう少しかな…後ろの建屋は東北砕石工場の貨物ホーム上屋、昔は工場からトロッコで製品をホームまで運んでいました。今の東北砕石工場は宮沢賢治ゆかりの施設として観光地化され、トロッコの廃線跡には新たなレールが引き直されていますが、JRの中古レール流用らしく(37kg?)いくらなんでも太過ぎ…

(撮影:2008年9月21日 陸中松川にて)


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1 コメント

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なつかしいです (匿名希望)
2009-09-21 11:07:33
ここは、陸中松川ですよね
当時はよう、別名停車場ともいいましたが
こどもの頃は、蒸気機関車が走っていました。
東京に上京するころは、ほとんどDE機関車にかわりましたが。気仙沼発上野行き急行南陸中号
が臨時で、でていました
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