goo blog サービス終了のお知らせ 

新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

黄タキ大移動

2010-01-02 00:28:29 | 臨海鉄道

 北海道曹達で運用されていたタキ5450形が、1996年の輸送廃止の為、南延岡に大挙して移動したことは、前にも述べたとおりですが、問題はその輸送ルートです。少し前なら、この類の輸送は苫小牧対本州の紙ワキ列車(5160レ)に併結して輸送されるところですが、この時には既に青函を越える車扱い列車の設定が無かったので、苫小牧~陸前山王(仙台港)間では臨貨を仕立て、22輌の黄タキを連ねた堂々たる編成で東北本線を走りました。仙台港からは既存の新専貨スジの余裕を利用して、少しずつ九州まで送る方法を取りました。

 写真はその回送の途中の、名古屋臨海鉄道東港駅で捕捉したものです。陸前山王への臨貨運転は事後に知っていたものの、それより先は全く情報が無く、偶然の出会いでした。ヤードに屯する貨車の隙間から、「港北駅常備」標記を発見した時は心が躍りました。車票は遠すぎて読めませんでしたが、とりあえず連結列車は3865レであることを確認、出発まで待つこと暫し、牽き出されて貨車の隙間を抜け出す瞬間を狙うも、少しブレてしまいました(涙)。それでも車体標記の独特な「輪西フォント」が確認できると思います。

 話は脱線しますが、北海道曹達の液化塩素タキ運用先について、昭和63年の青函航路廃止までは、本州の製紙工場へも運用され、富士辺りでは北曹と、南九州から来た旭化成両方の黄タキを見ることができました。青函トンネルは防災上、石油類や毒劇物等の危険品積載禁止となったため、以降、北曹はタキ車の一部を鹿島臨鉄知手駅に臨時常備し、苫小牧から鹿島港まで海上輸送した塩素を積み替えて、本州の需要家に供給していました。しかしそれも長続きせず、本州で北曹のタンク車を見ることは、極一部の例外を除き、ほぼ出来なくなりました。

(P:1997年12月 名古屋臨海鉄道 東港駅)


石油元売りのタンク車 その4

2009-04-08 22:58:12 | 臨海鉄道

 今度もやはり、北袖―汐見町で機械油を運んでいた共石のタキ3000です。同社のタキ1500と共に東海道3362/3363の常連だったので、見た方も多いと思います。機械油輸送用=旧車と珍車の溜まり場、を地で行くパターンですね。

 この運用と言えば、やはり「あの」車を出さない訳には行かないかな…

(P:1993年11月16日 京葉臨海鉄道 村田駅〔現:千葉貨物駅〕にて)


意外な形式の意外な所有者 その1

2009-01-11 11:54:02 | 臨海鉄道

 そう言えばこんなのもいましたっけ・・・と、ニヤクコーポレーションのタキ7250、太郎代で撮ったものですが、常備駅は前川、使用者三井石化なので、アセトンとか他の化成品輸送に使われていたのでしょう。でも前川に居た時は見たことも聞いたこともありません・・・しかも太郎代に移った直後に内外輸送に戻された模様…


似合わねぇ…

2008-11-28 23:30:06 | 臨海鉄道

 これを撮った当時でも、タキ2800型、しかも2800台の若番は稀少な存在でしたけど。。。車体標記がゴシック体なのが激しく似合っていません。新小岩で全検した車輌にたまに出現するパターンですが、「輪西フォント」の如く、その車両所への検査入場車全てが同じパターンになる訳ではないのが不可解です。

(撮影:1996年1月2日 鹿島臨海鉄道 知手駅にて)


夏草や…

2008-08-03 17:02:23 | 臨海鉄道

 この夏も大変暑い日が続いていますね。クーラーの効いた部屋から出るのがついつい億劫になるこの頃。出不精になりがちになるのは、単に歳を食ったから、というのもあるかも知れませんが、暑いのを我慢しても、是非見に行きたい鉄道シーンというのが少なくなったのも大きいのかな…と。
 さて、今度の盆休みはどこに行こうかと考えても、貨物にはレンズを向けたいと思う、もう残り僅かなポイントはお盆はほとんどウヤ、地方私鉄はどこもステンレスの箱が溢れかえり魅力薄、いっその事、準大手ながら鋼製車比率大、沿線風景にも意外とローカルムードの残る神戸電鉄でも行って見ようかな…まだ行った事ないし…

 で、ちょうど10年前はどんな物を見に行っていたかとファイルを引っ張り出して見ると…田園と閑静な住宅地の真ん中にある、夏草が伸び放題なヤード、その向こうにはカセイソーダのタンク車が数輌、草を掻き分け、汗を拭いながら貨車達にレンズを向け、シャッターを切ったあの日、もう二度と戻ってこない、真夏の日の新潟臨鉄・藤寄駅の思い出。

(撮影:1998年8月 新潟臨海鉄道 藤寄駅)


当たり前に見られるうちに。。。

2008-06-12 22:15:18 | 臨海鉄道

 味の素所有のタム5000形、所謂「味タム」、在籍輌数も多く、平成に入ってからも北は石巻港、南は熊本と広い範囲で運用され、2軸タンク車の代名詞的存在として親しまれてきた形式でしょう。私が良く撮影に出掛けた川崎貨物駅にも、常時何輌か転がっていたし、東海道線の3363レにも良く2輌位入っていたもので、余りにも当たり前過ぎる存在だった所為か、今振り返ると綺麗な写真が意外に少ないことに気付く始末で。。。

 写真を撮影したのは衣浦臨海鉄道の半田埠頭駅、同駅は私有貨車のとして有名ですが(バックにいる日鉱金属のタキ5750も敦賀から解体のため送られてきたものです)、通常運用で味タムと日本化学のリン酸タキ(タキ1250、11300)が到着し、醤油臨専のタキ3500が発送されていました。架線も背景に邪魔なものも無く、気持ち良い雪晴れで光線状態も申し分無いだけに、もっと気合を入れて撮っていればと。。。

(撮影:1995年12月 衣浦臨海鉄道半田埠頭駅)


太郎代駅2002番外-新潟臨海鉄道の終焉-

2008-06-01 11:36:51 | 臨海鉄道

 最初は当時、太郎代駅で見ることが出来た貨車たちを紹介するつもりでしたが、末期は形式が集約されていて、個人的には面白くないと感じたので、2軸タンク車などバラエティ豊かな形式が健在だった95~98年頃の様子を、機会を改めて紹介したいと思っています。

 冒頭で述べたとおり、新潟臨鉄は2002年9月末日限りで廃止されましたが、その直前まで藤寄~黒山間のみ存続させる方向で準備が進められていたのは、ご存知の方も多いかと思います。

 その「象徴」が、藤寄駅にあった日本曹達苛性ソーダ荷役施設を撤去した跡地に整備された、真新しいコンテナホームと、新車で配置されたトップリフターです。当初の計画では、従来太郎代からタンク車で輸送していたアセトンとメタノール、硫酸を、タンクコンテナに積み替えて藤寄までトレーラーで運び、そこからコキ車に積んで、オンレールで輸送するという形態だった模様です。

 しかし、最大荷主であるK社からこの案を一蹴されたという話で、(まあ新潟東港~中条間の短距離輸送で、わざわざ積み替えなければいけないんじゃ、東港からトレーラーで直接中条まで運んだ方が良いじゃん、という論理ももっともではありますが)、未来へ希望を繋ぐ「象徴」は、皮肉にも「墓標」へ転じる方向へ流されていくのでありました。。。


太郎代駅2002(その2)

2008-05-21 22:09:05 | 臨海鉄道

 2回目はいよいよ太郎代駅に踏み込みます。行ったことのある人は当時を懐かしみながら、行ったことの無い人も大まかなイメージを掴めれば幸いです。
(撮影年月日 2002年3月28日)

まずは入口の踏切(観音様踏切)。ささやかな看板も出ています。



踏切から黒山方を望む。


踏切を渡るとすぐ駅舎。撮影するときは挨拶をお忘れなく。


振り向けばそこは貨車ヲタク垂涎の光景。

歩道とヤードの間を遮る物はありません。

構内側から眺めるとこう。松林が良い感じ。
左端にはかなり広い空き地があるので、将来的には更なる拡大を考えていたのかも(涙)

更に足を終端方面に進めます。左端の草生した線路は、かつてコープケミカルのタキ11200が長期留置されていたのを憶えている方もいることでしょう。真ん中の線はカーブの先でスイッチバックして、クラレ、三菱瓦斯化学の積込施設に至ります。右端はコープケミカルの工場に至ります。

クラレ/三菱の積込施設はこんな感じ。タンカー船に積まれて新潟東港まで来たアセトンやメタノールはパイプラインを経由して、ここでタンク車に積み替えられます。


太郎代駅2002(その1)

2008-05-20 00:20:25 | 臨海鉄道

 最初に紹介するのは新潟臨海鉄道の太郎代駅です。皆様もご存知の通り、同鉄道は新潟東港の河川工事で路線が分断されるに至り、2002年9月末日限りで廃止となりました。どちらかと言うとメタリックな巨大プラントとパイプライン、どこと無く無機質で人工的な緩衝緑地帯というイメージを臨海鉄道に抱いている人がこの鉄道を訪れたら、きっとちょっとしたギャップを感じることでしょう。黒山を出て広がる風景は長閑な田園と静かな郊外の住宅地、唯一の途中駅、藤寄を出てしばらくするとコンテナターミナルの中を走り、少しらしくなってきたかな、と思ったら、松林をバックにした静かな環境の中に広がる、終点太郎代駅です。

 フェンスや架線柱など邪魔な物は一切無く、光線状態も良好で、私の好きな駅でしたが、何分にも公共交通利用前提では不便極まりない場所でもありました。万代バスセンターから「太郎代浜」行きバスに乗り、「太郎代局前」で降りれば歩いて数分なのですが、確か2時間に1本位しかバスが無かったと思いました。あとは豊栄駅でレンタサイクルを借りる、黒山駅から気合で歩く(1時間は優に掛かります。。。)しかありません。クルマ使えば大した事無いって?私はクルマ運転しないので。。。(一応免許はありますが)

 さて、この駅の概要ですが、私が最初に訪れた1995年頃は、発送のみの扱いだった模様です。発送貨物は、クラレ、三菱瓦斯化学のアセトン、メタノールが秋田港、中条、青海、黒井、新井に向けて、コープケミカルの濃硫酸が羽前水沢、中条、東新潟港、黒井向けに送られていた(と思いました。。。他にもあったかも?) あと藤寄駅に置き切れない日本曹達扱いのカセイソーダや三菱瓦斯化学扱いのホルマリン、メチルメタアクリレート、アセトアルデヒド等、各種化成品タンク車が置いてあることもありました。

 貨車の形式的には、かつてはタム3450、3700等の2軸車やタキ5200、6500、内外輸送のタキ9900や35000とか、珍しい物も見られましたが、末期にはメタノール、アセトン輸送用車はタキ7250と7950、13700、13800の35系軍団に集約されて面白みが無くなりました。硫酸車は殆どがタキ5750で、カクタス化成、三谷産業、日本鉱業他、末期には神岡鉱業からNRSの29300、46000も転入し、小坂以外では珍しかったドーム付きの住商化学品の汽車製5750(15769-15771)も姿を消しました。

 また前置きが長くなりましたが、次回は駅構内の様子を画像で紹介したいと思います。