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新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

新潟製タムと言えば

2017-04-29 20:10:42 | 臨海鉄道

 新専貨末期に活動していた私の世代だと、やっぱり三菱瓦斯化学のタム3450と3700ですね。新崎や新潟臨鉄に行くと大抵見られたので、味タムに次いで?馴染み深い2軸タンク車でした。

SUS製タンク体の珍車タム3450ですが、見た目はタム3700新潟製(MGCだと3710-11)とほぼ同じです。新潟製タンク車全般より受ける印象と言うと、細くて背の高いドームでしょうか。太くなった台枠側梁のチャンネルや、帯金の締結方式など時代に応じたアップデートがなされていますが、全体のフォルムは南相馬のタム500の旧い方とそっくりですね。この細長いドームは新潟製タンク車末期のタキ4000(東京化成品所有の34013-17だったかな?)まで受け継がれています。

飯野製は基本フォルムは新潟製に似ていますが、造船屋らしく大型プレスで曲げた大判の一枚板を上下真ん中で接いでいたのが特徴的でした。


本牧行ってきました

2013-05-26 20:19:18 | 臨海鉄道

 横浜本牧駅でのC56公開イベントがあったので、出掛けてきました。この駅はほぼ丁度南北に線路が伸びているので、光線状態を考えると昼前後はサイドに陽が当らずNG、朝一番で開場と同時に踏み込むか、終了間際にのこのこ行くかどちらか、と言う事で後者を選択しましたが(と言うか朝方は曇りがちだったので)、これがちょっと裏目に出た始末で。

  

本日の主役C56139は、無火で後ろからDLで押されているだけとは言えやはり人気です。某鉄道に行くという噂が出ては消えたりしていますが…機次位のトラ145000が決まっています。

 

臨鉄の現有機も。先代のトイ的な?塗色とは打って変わって、シンプルな塗り分けに。丁度先々代の塗色の色違いと言った雰囲気です。リバイバルカラーやらないかな?

  

恒例の?銀タキとタキ1000の1と2。1,2は試作車なので、両者で細部が色々と違います。京葉村田の時より好条件なので、今回もショット。カラーコーンが少しうるさいですが仕方ないですね。イベントに呼べるタンク車がこの程度になってしまったのは悲しい事ですが。

 

コキ50000に白緑清一満コンもついでに頂きます。コキ50000も大分減ってきましたね。

アントとワムで遊んでみたいな…那珂川だったら出来るかな?

  

今回一番撮りたかったのがこれですが、C56+トラ+コキ+コキ+シキ+ヨと実演編成に組み込まれ、コンテナホーム側(つまり午後順光側)にはコキが被り見えませんでした。と言う事で道路側から逆光ショットです。やはり朝から張り付き、朝方はシキとヨを、昼前後は昼食タイムとグッヅ漁りに充て、午後からC56とタキを頂くべきでした。公開終了後、帰りのバスの中からヤードの彼方に、手前のコキやタキが片付けられて、西日を浴びて輝くシキ1000を恨めし気に眺めるのみ…

 そう言えばこの駅、意外にも初訪問です。新専貨健在だった当時からコンテナ扱いがメインで、車扱いの大ネタは国際埠頭→渋川(関東電化)の工業塩トラと、麒麟麦酒のホキ9800程度で、両方共新興とかでも撮れたので、敢えて足を運ぼうとはなかなか思わなかったからでしょうか。

(2013年5月26日 神奈川臨海鉄道本牧線 横浜本牧駅)


臨海DD13の思い出

2013-03-17 21:56:49 | 臨海鉄道

 臨海鉄道では最もポピュラーなDD13クラスのDL、今度KATOから一つ目、イコライザ台車のタイプがモデル化されるそうなので、ちょっとそのネタを。

 東港に貨車を撮りに行った時の事、国鉄色のND55213が機関庫の前にいたのでパチリ、それは良いとして左端に写り込んでいるDD13が何かちょっと変…

同時に撮った引きの写真があったので当該部分を拡大してみると、変なDD13の正体はXII=12号機=ND55212と判明。車歴を調べてみると、昭和34年日本車輛製の国鉄DD1312の払下げ! でも見た目は2灯ライトで111~の形態で??? で、違和感を感じた原因はどうもキャブの寸法にある様で、大宮の1号機や旭川通運の40号機を見ても判る通り、初期型でも最初期のグループは窓の天地寸法が小さく、正面の窓が後のより横長なのが判ります。しかし何でちゃんとアップで写していないんだ!!と我ながらツッコミを(苦笑) それで、本車は後年にボンネットと台車を7次形以降の廃車発生品と振り替えたので、なんちゃって後期型の如き形態になってしまった、しかしキャブと燃料タンク、尾灯にお里が知れる、と言うのが真相な様です。

東新潟港の入れ替えに活躍した新潟臨海鉄道DD551(=国鉄DD1361)。この機体ではキャブはもう後期型と同じ形態になっています。Web上で画像を探してみたのですが、50号機は前者の、56号機が後者の形態になっているので、51~55号機のどこかで設計変更が行われている筈ですが如何に?

遥か後ろの車庫の中にもDD13一つ目がもう一輛、手前のタキ10000と言い、今となっては大変贅沢なシーンです…


普通に見えるけど実は珍車

2013-03-05 00:17:56 | 臨海鉄道

 一見プレーンで均整の取れたフォルムのキセ付き化成品タンク車、でも銘板を見てスタイルと製造年のギャップに???というパターンです。タキ8000形8026は昭和44年汽車支店でタ580形液化アンモニア専用車の597(昭和25年新潟製)より改造された車で、経年高圧ガスタンク車の有効活用を図った数少ない例です。種車のままだと台枠の長さが不足する為、真中で切断して継ぎ足すという模型みたいな事をやっている様で、一見すると新製車とほとんど変わらない様ですが、この時期にしては台枠側梁のチャンネルが細かったり、ジャッキ受けが無かったりします。

数年しか使わずに廃車された山手線のサハE230みたいに、用済みになれば直ぐに捨てて新しいのに換えてしまう昨今の風潮に対し、昔は一つの用途で用済みになっても、物理的に使える限りは知恵を絞って新たな命を吹き込んでまで大事に使っていたという好例ですね。

(1998年7月 新潟臨海鉄道 太郎代駅)


極めて普通のタンク車で…したが

2013-02-28 22:18:32 | 臨海鉄道

 今ではタンク車と言っても異径胴ドームレス、フレームレスな奴ばかりですが、チョイ旧いファンには直円筒形ドーム付きで平台枠こそタンク車らしいタンク車だとお考えの方も多いかと。化成品ではタキ3500や5200とかがストライクですが、沢山いるうちは当たり前過ぎて余り真面目に撮っていません、そして残り少なくなったら慌てると言ういつものパターンです。足回りの草が見苦しいですが、草生したヤードと言うシチュエーション自体今ではほとんど見られないシーンになってしまいました。

 

 太郎代ではタキ7250や7950などに交じって各種多数のタキ5200を見る事が出来ました。同じように見えても、受台や手摺、踏み板などの形態でメーカーが見極められたらディープなマニア道まっしぐら? 今じゃタンク車を造っているメーカー自体2社しか無く、相互間で細部まで標準化が進んでいるので面白くありません。いや、扱う立場からすれば全部同じ方が良いのは承知していますけどね。

(1995年8月15日 新潟臨海鉄道 太郎代駅)


もう少し早ければ…はお約束ですが

2013-02-23 00:56:51 | 臨海鉄道

 貨車を撮り始めた当時、ヨンサントオや58-Xが恨めしくて、「もう少し早く生まれたかった、いや、もう少し早くから撮っていれば…」と散々思っていたものですが、それでもまだ2軸タンク車が当たり前のように見られるポイントが残っていたのはラッキーだったのでしょう。2軸車はおろか、撮り始めて15年後には化成品系私有タンク車自体ほぼ絶滅したのですから…

 新潟臨海鉄道の太郎代駅と藤寄駅は当時でも珍しくなっていた、2軸タンク車が常時観察出来るポイントでした。タム3700とタム7900、流石にタム3450は滅多に見れませんでしたが。ある時は万代シテイBCから新潟交通のLV314Q北村ボディ「ナマズ君」に揺られて行ったり、ある時は黒山駅から延々と歩いて行ったことも遠い思い出…

(1995年8月15日 新潟臨海鉄道 太郎代駅)


これかな?

2013-02-12 21:47:49 | 臨海鉄道

 タキ11200形のダルマさんが新潟某所にあるという話題が出てきたところで、太郎代の主だったコープケミカルのタキ11200の写真を探し出しました。

 コープケミカルの社章は褪色してほとんど見えなくなっていますが、社章板が縦長なのに注目。良く見ると新製時の所有者である新潟硫酸の社章らしきものが薄らと見えます。因みに新潟硫酸の社章は、同根である旧日本石油の前身企業の一つ、宝田石油のそれと同じだったはずです。

 因みに新潟硫酸(株)は昭和45年に日東硫曹(株)を吸収して(株)サン化学と社名を変更し、昭和58年に三菱系肥料メーカーの大合同で日東化学工業(株)とラサ工業(株)の肥料部門と共に東北肥料(株)に統合され、コープケミカル(株)となり現在に至ります。

(以上2カット、1995年8月15日 新潟臨海鉄道 太郎代駅)

   

 折角なので11202~05の4輛全車貼ってみます。夏場だとこちら側は雑草が凄くて踏み込めなかったので、冬場を狙ってこちらに入りました。結局枯れ草で酷い仕上がりですが…太郎代の引き上げ線に永らく姿を留めていましたが、これを撮って程なく姿を消したようです。タキ29300似の最終ロットが廃車後早々と姿を消したのは、やはり台車を流用する為だったのでしょうか?

(1996年3月16日 太郎代駅)


銀タキ

2012-11-24 17:04:24 | 臨海鉄道

 久し振りに私有貨車を撮りに行きました。前回展示されたシキ600と280がもう一度出てこないかな…と淡い期待を抱きながら十数年ぶりの千葉貨物駅(当時は村田駅)のイベント会場に足を運びましたが、流石にそれは叶わず、前々回と同じ銀タキことSUS試作車タキ143645を撮って帰ってきました。まあ今まで一度もまともに撮ったためしの無い車輛ですし。(見るだけなら何度も目にしてはいるのですが…)

色だけでなく、台車が今は亡きコキ1000の形見、TR215Fであることも忘れてはなりません。北海道の石油専貨全廃の噂もあるだけに、75km/h系私有タンク車の大粛清は時間の問題であるかも知れません。

機関車の世代交代は進み、臨鉄かつての定番だったDD13タイプの影は薄くなっていましたが、KD55103(元国鉄DD13346)が唯一、体験乗車で活躍中でした。以前来た時は駅正門前の道路は未舗装だった記憶があるし、今はワム80000になった救援車もまだワム90000だったし、駅構内のレイアウトも新専貨拠点のヤード駅からコンテナターミナルに役割が変化したこともあり、かなり変わってしまった様で、改めて十数年の時代の流れを実感しました。

(2012年11月18日 京葉臨海鉄道 千葉貨物駅)


青春18きっぷ最後の1回で

2010-04-10 21:43:30 | 臨海鉄道

 青春18きっぷの期限が今日までなので、タキ車が置き換えになる噂もある、福島臨鉄の「東邦号」52レを撮りに行きました。但し全行程普通列車のみだと、撮影地にギリギリ間に合いそうに無いので、土浦~水戸間だけ特急でズルして…

 常磐線の勝田以北がE501系10連ばかり(たまに415系SUS車4連もあるけど)なのは参りましたが…ガラガラで無駄に長編成走らせるのも国鉄時代じゃないんだから。

 栗原も小坂も無くなったし、腕木信号機も絶滅寸前ですね。
ついこの前まで相模線や秩父鉄道とかで見られたような気がしたけど、良く考えてみればこれも結構前の話なんですね。

(P:2010年4月10日 福島臨海鉄道 泉~宮下間)


東港より…タキ6905

2010-02-14 21:52:56 | 臨海鉄道

 名古屋臨海鉄道の東港駅は、東海道・山陽・北陸各方面からの新専貨列車が集結する一大要所であると共に、光線状態の良さや架線の無いすっきりした形式写真が撮れる場所であるということもあり、私有貨車ファンなら一度は足を運んだ事がある、或いは一度は行ってみたい憧れの撮影地、であったことでしょう。

 駅本屋の輸送本部で挨拶を済ませた後、いざヤードに繰り出すと、音も無く転がって来る突放された貨車が、すぐそばを掠めていく恐怖?が味わえる訳で、嫌でも指差し確認の重要性を実感した次第で。今となっては入換作業中の貨物ヤードに部外者が立ち入ること自体、まず許可が下りませんので、まあ大らかな時代のひとコマではあります。

 尚且つ東西の要所であることから、全国各地の多種多様な私有貨車がここ一ヶ所で観察できる貴重なポイントでもありました。写真はその中の常連の一つ、東水島(三菱化成)~宮下(日本化成)間でアセトアルデヒドシアンヒドリン(ラクトニトリル)を輸送していたタキ6900形です。後にコンテナ化されましたが、当時はこのタキ6900の他、タキ2050、4850、20350など個性豊かな顔触れがよく2輌ペアで運用されていました。

(P:1994年3月20日 名古屋臨海鉄道 東港駅)