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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

菅谷婦人会『しらうめ』第7号(1986年4月)目次

2011-01-01 23:29:17 | 『しらうめ』7号(1986)

『しらうめ』第7号 嵐山町・菅谷婦人会 1986年(昭和61)4月発行

●別れ道 菅谷婦人会長・中村きみ

●母を想う 増田和枝

●料理講習会に参加して 三区会員

●菅谷八区婦人会の活動について 久留田悦子

●『そのひと言に気をつけて』読後の話し合いから 小久保

●「婦人国際交流集会」に参加して 青木

●文化部の行事によせて 文化部長・五井万里子

●体育部三つの活動 体育部・熊井弓乃

●今、思うこと 上原・中田芳恵

●『しらうめ』第7号 文芸欄

●『しらうめ』第7号編集後記 文化部


『しらうめ』第7号編集後記 文化部 1986年

2010-05-16 12:16:35 | 『しらうめ』7号(1986)

   編集後記
 寒い冬もようやく過ぎ、甘い春の香りが開け放った窓からどこからともなく漂ってくるそんなうれしい季節になりました。今日、「しらうめ」第七号をお届けします。
 会長の出会いの大切さ、教育長の町の木、梅についての興味あるお話、又会員の皆様の体験談、そして私達の身近かな問題についての記事等大変ためになる記事でいっぱいになりました。いろいろな場で言われている事ですが、「皆で考え、学習し、行動する婦人会」でありたいものです。お忙しい中、原稿をお寄せ下さいました方々、ありがとうございました。   (文化部)

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


『しらうめ』第7号 文芸欄 1986年

2010-05-15 22:10:00 | 『しらうめ』7号(1986)

《川柳》
          恒木花子
  親心知らずにもれる情報かな
  教育は、子供のふれあい、あいさつで
  よい町は、すむ人たちで花ざかり
  こそこそと、夜中の茶のみ、老婦かな
  目をとじて、なき父母の、年をこし

《短歌》
          五区・中島清子
  旅の宿しじまを破って鐘の音
    修善寺の朝は静かに明けぬ

  霧のうみ前方を見つめる運転手
    ハンドルをたくみに使い下りて行くなり

  山門の仁王の肩のひび割れて
    小暗き中にしのぶ秋風

《雑詠
  シグナルが赤に変わってしばらくは
    たたずむ街角木枯し寒し

  一日中風の吹きたる夕空に
    姿やさしき三ヶ月の凧


   母のこと
          五区・中島清子
  七年前ひこ孫抱きて縁側に
    倒れし母の今日は七回忌

  兄妹で母の墓前にひざまづき
    霊安かれと祈りてゐたり

  明治、大正、昭和を強く生きた人
   父なきあと三十四年目に逝く

  十二月は霜枯れて
    山茶花のみが青にとして

  眠ってゐるような母の顔のまわり
    孫達が赤き山茶花をならべる

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


今、思うこと 上原・中田芳恵 1986年

2010-05-14 20:10:19 | 『しらうめ』7号(1986)

 今年も、例年通り恒例の菅谷婦人会六十一年(1986)度新年会が、嵐山町中央公民館で、一月二十四日開かれました。
 中村会長の挨拶の後、町長代理で助役のお祝の挨拶が有りその後、これ又、恒例の地区ごとの出し物が始まり一等賞の七区の芸能人が乗り降りする成田空港風景の皆さんのそれぞれの扮装が、とっても楽しかった。それから二等賞の四区の二人羽織は最高に笑った。私達もやろうと云っていた芸なので楽しかった。八区の子供コーラスも、頭にかわいいリボンを付けて、とってもかわいらしかった。
 私達上原も、お尻にフーセンを付けて二人で割って、三等賞をもらいました。
 レク部の西尾部長さんそのほか皆さんの御協力で楽しい一日を過ごしました。
 こう云う行事も、皆が健康で平和な世の中だから楽しく行われるのであって、不健康であっては、楽しく過ごせません。
 二月の婦人学級での講義で、健康食品と水のお話が有りましたが、簡単に書きますと、健康食品と名の付く物は無いと云う事です。加工品を買って来て、食卓に出すのではなく、主婦の手で煮焚きして食べさせる物で。土と太陽のエネルギーを吸収した物を料理して食べるよう心掛けましょうと云う事です。それには、その源の水が一番大切で、きれいな水でなければ健康な体は保つことが出来ません。川の汚染、土の汚染をみんなで防ごうではないですか、それには、何から始めなければならないか、菅谷婦人会のみんなで考え、話し合って実行したいと思いますが。
 今からでも遅くないと思います。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


体育部三つの活動 体育部・熊井弓乃 1986年

2010-05-13 06:47:10 | 『しらうめ』7号(1986)

  まず始めに、社会見学です。
 今年は、全員一緒のバスで、行きたいと言うことで、観光バスを利用することになりました。群馬の森の博物館と美術館は、いかがでしたか、又赤城のつつじも、寒い日がつづいていたので、開花が、心配でしたが、美しく咲いて、私達を待っていてくれました。

  次は、フォークダンスです。
 夜に行なうと、言うことで、参加が心配でしたが、“夜だから参加出来たワ!」と言う人もいて、お勤めの人が、多くなって来ているので、夜の行事も、必要なのですね。青少年相談員の方々に、教えていただいての二日間、楽しいリズムに、のって、いい汗かいて、シェイプ・アップは出来たでしょうか。

  最後はハイキングです。
 昨年に引つづき、長瀞七草寺めぐりを、行ないました。10月22日、天気が気になる、一日でした。でも大雨に、ならず、のんびり萩寺、少々きつい道を、登って葛寺での昼食、自然の、ぬくもりに、ひたりながら桔梗寺、おまけの藤袴の寺をめぐりました。29人全員で、入った、素敵な喫茶店のコーヒーのかおりとチーズケーキの味、忘れられません。

 以上の活動を行ないましたが、下調べや準備が大変で……。でも大切なのですね。
 本部役員の方、教育委員会の方に、指導を、受けながら、一つ一つの活動が無事に終わることが出来ました。
 会員の皆様にも参加協力をいただき、ありがとうございました。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


文化部の行事によせて 文化部長・五井万里子 1986年

2010-05-12 06:45:51 | 『しらうめ』7号(1986)

 何を行うにもほんとうに日頃の皆様の御協力の元にと云うことがつくづく痛感させられました。はじめに会員の方々の御協力を感謝いたします。
 さて文化部での今年の第一回の行事は例年行われる籐手芸でした。初めて籐を手にする人、もう何度か何かを編みあげた人さまざまですが、皆一緒にインテリアボックスをと云う事で井沢様にお願いいたしました。
 同じ長さ同じ本数ですが、形はさまざまの出来上りです。「店で売っていたら買わないわね」と言いながら自分の作ったものは一番かわいいものです。家に持ち帰ってそれぞれの目的に合わせて大事に使っていることでしょう。
 皮工芸も昨年に続き楽しみにしておりましたが、残念なことに先生の御都合で出来ませんでした事又の機会に是非お願いいたしましょう。二度目の行事は東京電力様の御好意でお正月を迎えるにあたって東芝家電の先生をお迎えしお正月料理を作りました。献立は、鳥料理、リンゴ入りきんとん、ごまめなど、ビデオを観て新しい調理器具や正しい電気の使い方などを勉強しました。参加者全員にエプロンをいただきました。
 最後にこれは又楽しい美しい花ずしの講習会でした。講師は会員の中の鴨下さんです。小さい頃からお母様の作られたおすしを見ておぼえられたそうです。千葉の木更津地方では何かの行事に必ずといっていい程この花ずしが使われているそうです。梅の花、松、さざえ、その他色々、これには四八名の会員の参加でした。各テーブルで思いもよらない出来上りに歓声がきこえおいしくいただきました。米消費の事で町長さん始め産業課の方もお招きしましたが、都合がつかず、収入役の阿部様が御来席下さいました。文化部の小岩様、逸見様いろいろと御協力ありがとうございました。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


「婦人国際交流集会」に参加して 青木 1986年

2010-05-11 11:31:52 | 『しらうめ』7号(1986)

 二月十九日~二十日の両日、婦人会館において在日外国人との交流集会が催されました。これは今、日本に住んでいる外国の方々との交流を通じて、外国の様子そしてそこに生きる人々の風俗、習慣等を知るという趣旨の集会でした。国内各地から国際交流に関心のある人達、そして南北アメリカ、ヨーロッパ、アジア地域、アフリカからの人達等多勢の参加がありました。
 イベントとしては、講演会、映画会、地域別交流会、文化交流会、交流の夕べと幅広いものでした。中でも第一日目の夜、玄関ホールで行われた交流の夕べは、本当に楽しいものでした。フィリピンの留学生、韓国の舞踊団による民族舞踊は色あざやかな民族衣装を身にまとい、優雅な踊りに目を見はりました。私達は地元ということで、民謡会の人達の笛や太鼓の応援を得てそろいのゆかたで秩父音頭を踊りました。外国の人達も踊りの輪に加わり本当に楽しい一時でした。フィナーレはキャンドルサービスで全員が右手にろうそくを持ち、輪になってダンスを踊り、“一日の終わり”を合唱して第一日目は終わりました。二日目には地域別交流会があり前にあげた四地域を代表する人がレポーターとなってそれぞれの出身国の風俗、習慣、婦人問題などを発表しその後話し合いが行われました。私はアフリカ部会に参加しましたが、すでに様々な報道機関を通じてその悲惨な現状は知らされていましたが、実際にガーナ大使夫人やコートジボアール出身の方の話を聞いて改めてその深刻さに胸が痛みました。また中近東では物質主義(豊かさ)から来るいろいろな問題をかかえていて同じ悩みを持つ仲間という気がしました。このような交流集会は今回が初めてということでしたが、この次は皆さんも是非参加してみてはいかがでしょうか。(青木記)

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


『そのひと言に気をつけて』読後の話し合いから 小久保 1986年

2010-05-10 06:33:28 | 『しらうめ』7号(1986)

   「そのひと言に気をつけて」 読後の話し合いから
 六十年度活動の中で三月十一日に中央公民館にて小沢禄郎先生をアドバイザーとして、読書会を持ちました。児童文化研究家である吉岡たすく先生の本を回読してからの話し合いです。標題にこだわらず、又回し読み期間が長かったので忘れた部分も沢山あるということで自由に話し合われました。その中から、

・ことばは人間関係に結びつくのでなかなか嫁姑の一緒の生活なので気をつかう。
・何気なく言った言葉が一生を左右する事すらある。
・言葉は人を守ることも殺す事も出来る。
・言いたい事は、少し間をみてから言えば間違いがないのではないか。
・子供を叱るひと言の難しさ、親の一方的な押しつけはまずく、自我の目ざめ始める年頃の子供にとっては、一人の人格を認めながら指導していかなければならないのではないか。
・子供が成長してしまって年代的な隔たりがあり逆に教えられる事が多い。

などさまざまな意見が出されました。要は、相手に対して暖かい思いやりの心で接しながら話す事により、言葉はいろいろな面で生きてくるのではないかという事でした。私達が何気なく言っている会話の中で随分相手にさまざまな影響を与えている事を考えると、これからの日常の生活の中で、もっと自重しながら人と接していかなければと思いました。やさしい思いやりの心を育てていく難しさの中でだんだん「いじめ問題」に迄話が広がっていきました。鎌形小学校長として教育に携わってこられた体験の中から教師と生徒父兄が一体となり愛情に満ちた指導がなされている事を知り、マンモス校に通わせている親として羨ましい限りです。この様な学校では到底いじめは考えられないとの事、PTAのあり方をもっと深く考えてほしい気がします。親の会でなく、親と教師の討議の場である様努力してほしいものです。「ひと言」に発して話し合いの場が大きく展開し、大変参考になりました。
 この様な機会がもっと早く得られていたなら、子供の成長が早いので手遅れだったかしら、そんな思いもからみながらも、素晴しい一日でした。指導者によって子供はどうにでもなる様な気がします。
 又親としても出来るだけの努力は必要です。最後に会長さんの言葉で「教育は愛から始まる」と言われた言葉が強く心に残りました。
 少人数ながらも有意義に過ごす事が出来ました。(本部 小久保記)

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


菅谷八区婦人会の活動について 久留田悦子 1986年

2010-05-09 01:15:55 | 『しらうめ』7号(1986)

 役員に付いてから、一年が過ぎていきました。初めの頃は、一年間の計画を立てて見ましたが、しかし、実際に進行するにつれて、計画倒れの方がかなり多く、会員の皆様にはいろいろとご迷惑ばかりお掛けしたことと思います。
 又、割ばしの鉢カバー、盆踊りとか、いくつか行うことができましたのは、皆様のおかげと感謝しております。あと、菅谷婦人会の行事にも参加させていただきましたが、初めは大変と思うことばかりでしたが、参加させていただきますと、楽しく終了することができました。
 やはり、心の中で考えて躊躇するより、行動して見ることだと通観させられました。又、沢山の人達と出会うことができ嬉しく思いました。この一年間、いろいろと有難うございました。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


料理講習会に参加して 三区会員 1986年

2010-05-08 01:13:00 | 『しらうめ』7号(1986)

 北風の吹く、二月二十五日十時より婦人会館に於いて、手巻寿司の講習会がありました。講師の鴨下さんの手巻寿司は前から話に聞いていたのでぜひにと思い参加しました。
 最初に作り方の説明がありました。一つ出来上るたびに皆「ホー」と言うばかりでした。六種類の説明が終わり、自分達の作る番になり皆で分担して作り始めました。聞いた説明を思い出し、プリントを読みながら、サンプルを見て作りました。チューリップが一番難しかった様です。作り終わった物を切った時、初めてにしては良くきれいに出来たと思いました。子供にも評判が良かったので忘れないうちに作ってみたいと思います。材料など、いろいろ変えてもおもしろいと思いました。まだまだ種類があると聞きましたので機会があったらまた教えていただきたいと思います。この日は小学校の授業参観が午後からあったので時間がなかったと思いますが、感想とかアドバイスなどの時間が持てたら尚良かったと思いました。楽しい一時を持てた事は、役員さんのお骨折りだと感謝致しております。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


母を想う 増田和枝 1986年

2010-05-07 01:10:00 | 『しらうめ』7号(1986)

 昨年のことです。師走を目前にした十一月二十七日、七区支部では、ご近所にお住まいのお年寄りと楽しく過ごす会がもたれました。六十一年(1986)の干支(えと)のトラのぬいぐるみを作りながら「私のは顔が長すぎた」とか、ひげのつけ方がどうのとかでお年寄り達もしばし童心にもどられた様でした。その後、もち寄った手作りの料理を皆でたべながら自己紹介や、雑談をして初冬の一時を楽しく過ごしました。お年寄りの方々が皆、「ご近所の奥様達と親しく楽しく過ごせて大変うれしい」と言って下さった事で、喜ぶと同時にふと亡き母の事を思い出してしまいました。引っこみ思案の母は、当時婦人会にも入ってはいたのですが、ほとんど行事には参加していなかった様でした。引っこみ思案だからと言っていましたが今考えるとやはり少しでも子供達に何かあたえたいという気持からなるべく自分の楽しみを持たなかったのではと思われます。そんな母も、子供達がそれぞれ独立し、さてこれから自分が楽しむ番という時に父の後を追う様にこの世を去ってしまいました。せめてもう一年でも丈夫でいてくれればこの様な楽しい一時も過ごせたのにと思わずポロット涙してしまいました。今、私は菅谷婦人会でいろいろな行事に参加させていただき大変楽しく有意義な日々を送っています。母に感謝しつつ、母の分まで……。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月


別れ道 菅谷婦人会長・中村きみ 1986年

2010-05-06 01:08:00 | 『しらうめ』7号(1986)

 降る一雨毎に春の息吹が感じられ三寒四温の頃となりました。毎年の事乍ら三月は別れの季節です。受験、卒業、人事異動、役員交替等々、今年も其の人の人生を大きく左右する別れ道を幾つかまのあたりにしました。二つに一つで悩む人、三叉路で迷う人、四つ角に立たされて困る人。こうした時、周囲の人の助言や一言で其の人の道が決まるのですか人と人との繋がりの大切さ、尊さを痛感せずにはいられません。
 昨年は国連婦人十年の最終年でした。県婦連の会長でもあり全婦連の大友よふ会長は日本の代表として、ナイロビで開かれた国際会議に出席致しました。そして各国の婦人代表と世界の平和と平等と発展を誓って参りました。戦争が何時起きるか解らない様な国際情勢ですが戦争と平和と云う別れ道もあり、一歩まちがえば世界人類の滅亡にもつながります。一方この平和の「和」の精神こそ人間にとっても尊いものはないと思います。もともと人は独立しては生存する事が出来ないのですから、お互いに相依り相助けるところに繁栄と発展があるのです。「和」こそ創造と進化の源点と云えるでしょう。
 婦人会も「和」の精神をもって連帯意識を高め楽しい婦人会活動を通じてよりよい人間関係を作って参りたいと思います。「不平不満は地獄、感謝は極楽」と申します。不平や不満を並べ不機嫌な顔で暗く不愉快な思いをさせる人、喜びの心と感謝の心で明るい雰囲気を家庭に職場にかもし出す人。これはすでに別れてしまった心の道でしょうか。
 婦人会も役員交替ですが、役員を受けられる人、都合で受けられない人、これも小さな別れ道ですね。
 76年ぶりにハレー彗星が現われそして消えてゆきました。宇宙の神秘さとその雄大さに目と心を奪われておりました春三月、今年度の婦人会活動も白梅の作成を残すのみとなりました。種々ある事業がスムースに運ばれました事は大変有がたく嬉しく存じます。その都度、役員の方々を始め会員の皆様方のご理解ある御協力にたいしまして心より厚く御礼申し上げる次第でございます。どうもこの一年間ありがとうございました。

   菅谷婦人会『しらうめ』第7号 1986年4月