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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

菅谷婦人会『白梅』第1号(1980年)目次

2011-01-08 12:48:37 | 『白梅』1号(1980)

『白梅』第1号 嵐山町・菅谷婦人会 1980年(昭和55)発行

●白梅発刊にあたって 菅谷婦人会長 村瀬信子

●追憶 山岸乃婦子

●秩父札所めぐりに参加して 佐々木ユ基

●町議会を見学して

●水泳教室に参加して 増田宇多恵

●みかん狩り 加藤清子

●はじめての試み チャリティーバザー報告記

●『白梅』1号文芸欄

●『白梅』第1号あとがき


『白梅』第1号あとがき 1980年

2011-01-08 12:23:43 | 『白梅』1号(1980)

 白梅第一号を皆様のお手許にお届けいたします。
 内容が会の事業のみになりましたが、もっと幅広い、菅谷の今昔、移り住んだ方のふるさとの思い出、主婦の生活の智恵等もお寄せ下さい。
 又編集についての御意見等、よりよい“白梅”が発行出来ますよう御協力いたゞきたいと思います。


『白梅』1号文芸欄 1980年

2010-03-15 06:56:00 | 『白梅』1号(1980)

          松本茂子
 山里は夕やみ深く静もりて
   梅ほのぼのと匂い来たれり

          奥野ハナ
 人柄の変りし如く風邪気味の
   我を気づかい休めといふ夫

          村瀬信子
 年毎に姿消しゆく山つつじ
  はつはつ芽吹く木洩れ陽の中

          伊東ときゑ
 撒く豆の空しく散れり息子(こ)等の部屋
   久に灯して鬼やらいなす

         加藤清子
 山頂の芽吹き明るく無住寺

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


はじめての試み チャリティーバザー報告記 1980年3月

2010-03-13 23:42:35 | 『白梅』1号(1980)

   はじめての試み チャリティバザー報告記
               三月十一日 於 中央公民館
 三月十日午後、会員の皆様の善意によって持ち寄られた多種多様な品々。どこから手を付けて良いやらと思ったが、役員の方々の努力で夕方には値札もつけられ会議室にしつらえたそれぞれのコーナーに並べられた。
 翌十一日、菅谷婦人会のはじめての試みとしてのチャリティーバザーの日。
 午前九時半、果して買いに来て下さるだろうか? 不安と期待の入り交った気持で売場に立った。ドアーの外には開店(?)を待つ何人かの顔も見える。定刻にドアーが開かれると真直に新品コーナーに進む人、入口近くよりゆっくり吟味して歩く人などさまざま。私の売場は五〇円~一〇〇円までの新品コーナー。主婦の常なのか先づ男性用の靴下、肌着、Yシャツなどから売れ、次いで子供の物、おばあちゃんになどと言ひ乍ら買って下さる。
 約三〇分位で隣りの新品一人一点のコーナーは(毛布、敷布、コタツ掛けなど)きれいに売切れとなった。
 次いで台所用品、小間物などの売場も売切れとなり、衣類を中心とする中古品コーナーも十一時半頃には殆どの品物を売切ることが出来た。
 終了後、役員が集まり次の点を反省点として話し合った。
 ○ サークル、ベビーバスなど大きな品物の申出もあったので黒板に書いておいたが、気付かなかった方が多かったので、今後この様な品物の売り方も考えたい。
 ○ 持ち帰って組立てる品物のネジが無く御迷惑をおかけしたのであらかじめ部品の点検をする。
 ○ 各支部長が品物を集めて公民館へ運ぶ労力が大変であった。
 ○ 値段が適正であったか。
 ○ 今後も行うか。行うとすれば毎年か隔年とするか……等々。
 家庭に眠っている品物を必要とする方に使って頂く事によって得た浄財九万二五〇円は「社会福祉協議会」に寄付させて頂き福祉のお役に立てて頂く事になりました。このやうに、全会員の協力によって盛会裡に終了致しました事を御報告致します。

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


みかん狩り 加藤清子 1980年

2010-03-11 10:20:58 | 『白梅』1号(1980)

 昨年(1979)の十一月二十二日婦人会の主催で蜜柑狩りと札所めぐりが挙行された。この秋の一日を楽しみにしていたが、当日は朝から小雨模様。七十余名の会員は雨支度でバスに乗り込む。
 バスは初めの目的地である東秩父村大内沢の蜜柑山へと向った。蜜柑の産地は寄居町風布が北限だと言はれているがこの大内沢も風布のすぐ隣りに接する山峡で蜜柑の歴史はまだ新しいらしく木はあまり大きくないが南傾斜面にきれいに色づいた蜜柑がぎっしりと見事になっていた。
 はさみと籠を借りて蜜柑山に登った。雨の為つるつると滑って足元が悪い。先づ色のよくのったのを一つ食べてみる。とてもおいしい。甘味が強く酸味も程よく、本場の蜜柑と競べて勝るとも劣らぬ味だ。たてつゞけに二つ三つと食べた。あちらこちらから「ここのがおいしいわよ。」と声がかかるとズボンの裾のよごれるのも忘れ、夢中でかけ登っては食べた。
 土産の分も採ってバスに乗るとみかんの他に、しいたけ、こんにゃく、柚子なども大そう持ち込まれていた。
 バスは大内沢から秩父札所めぐりのコースに入り、二十三番音楽寺から始められた。ここは急勾配の山道を登りつめた丘にあり、晴れていれば秩父市内を一望出来る場所である。明治十七年(1884)の秩父事件の際に打ち鳴らしたという梵鐘が本堂の前の鐘撞堂にあった。心をこめて一つ打つと、やわらかい音色は秋霖の中にいつまでも響き渡った。
 ここで昼食をとり二十二番栄福寺、二十一番観音寺、二十番岩之上堂と廻った。
 秩父に来ると何処からでも武甲山が見える筈なのに、この日は見ることが出来なかった。開発の進んだ山肌は時には他人に見せたくないこともあるのかもしれず、「又秩父においでなされ。」と霧の中から叫んでいるやうにも思えた。
 帰りのバスの中は賑やかで、それぞれ自慢の「のど」を披露しながら楽しく一日の旅を終えた。

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


水泳教室に参加して 増田宇多恵 1979年

2010-03-09 17:33:49 | 『白梅』1号(1980)

 私はぜんぜん浮きも泳げもしなかったのですが、おかげさまで少しですが泳げるようになりました。プールの端から端まで何回も立ちますが……。とっても楽しかったです。
 その他、コーラスや健康について教えていただき、とてもためになりました。
次の役員さんにお願いいたします。ぜひ又やっていただきたいと思います。他の人も楽しみに待っていると思います。

   

菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


町議会を見学して 1979年

2010-03-07 13:49:00 | 『白梅』1号(1980)

 6月27日、菅谷婦人会で、嵐山町議会定例第二回の一般質問を見学に行きました。去年に続いて二度目の傍聴でしたが、定員三五名を越す申し込みがあり皆さんの関心の深さが感じられました。
 6月というのに、十日近く真夏日が続きやっと小雨が降り出したむし暑い日でしたが、天井に扇風機が廻る議場で熱心に答議が進められました。議員が立って質問すると町長や町役場の担当の課長等が立って答えます。教育、下水道、福祉等身近な問題から一般消費税の事等、幅広い問題を真剣に論じ合って、聞く私達も暑さを忘れ有意義な二時間で文化的田園都市嵐山の実現も近いと心強い思いがいたしました。

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


秩父札所めぐりに参加して 佐々木ユ基 1979年

2010-03-05 13:47:00 | 『白梅』1号(1980)

 五月二十二日菅谷婦人会、町教育委員会共催の秩父札所めぐりに参加させていただきました。その日の思い出をたぐりつつ感想の一端を記させていただきます。
 参加者は五十余名、二台のマイクロバスに分乗してまいりました。秩父路は緑の中に白いアカシヤの花が咲き香り、春たけなわの頃でした。
 参詣した寺は、五ヶ所(一、四、三十一、三十二、三十三)。
 先づ第一番は誦経山四万部寺。ご本尊は聖観世音(四番寺以外は同じ)。山門を入り、正面の入母屋造りの本堂は、元禄十年の建立で、県の指定文化財でもあり、古美術的な美しさがひとしおでした。
 第四番 高谷山金昌寺。ご本尊は十一面観世音。バスから下りて細道を登ると山門。それは仁王門で秩父地方の代表作といわれる立派なものです。金昌寺で心に残るのは、境内せましと安置されている石仏群です。一三一九体もおわすとか。もう一つ忘れられないのがマリヤ観音。あのやさしい顔立ちの子育観音!こどもに乳を与えているその姿はなんとも印象深く忘れがたい。
 第三十一番鷲窟山観音院。水子地蔵で知られる地蔵寺前でバスを下り、暫く小道を行くと石の仁王様の山門、それより道けわしく進んで本堂、この寺は畠山重忠のゆかりの寺……。本堂左手の滝とその岸壁には爪掘千体仏といわれる磨崖仏が刻まれている。それの自然風化が懸念される。
 第三十二番 般若山法性寺(別名 岩船観音)。奥の院の巨大な岩石が船の形をしており、御本尊が岩船に乗って到来したという縁起にふさわしく頂上の岩石の中に御堂があり、神秘的な霊気がたゞよう。是非脚を鍛えておき再度の参詣をと願う寺の一つです。
 第三十三番 延命山菊水寺。観音堂が本堂形式の土間のある堂でした。
 その他、往復のバスの中での皆さんとの歌や語らい、山川草木、秩父の大自然にひたっての一日。まことに筆舌につくしがたいものが次々と浮びます。

  風ぐるま御手に持ちます石仏の
     水子地蔵は並びいませり
  授乳するマリア観音慈悲あふれ
     抱く赤子の顔の笑ましき

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年