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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

ともろう会第4回スポーツレクプログラム 1982年5月

2009-06-26 09:27:00 | 1982年

   第4回 スポーツレクリェーション
     プログラム     昭和57年5月20日(木)
               場所 第一公園

   種目         回数  人数
1 準備体操           全員
2 ラケットレース     10  各チーム10人
3 借り物競争        5  各チーム5人
4 スナック食い競争    4/5  寿楽会、来賓(24人)各チーム5人
5 風せん割りゲーム    10  各チーム10人
6 カード合せ二人三脚    5  来賓(10人)各チーム5人
7 ボールサンドリレー    5  各チーム10人(2人組)
8 障害物競走        5  各チーム5人
9 ゲートボールリレー   10  寿楽会(20人)各チーム5人
10 宝探しゲーム       5  各チーム5人
11 綱引き            全員(地区対抗)
     昼食
12 民踊、フォークダンス  2/2  全員
13 手の鳴る方へ       5  各チーム10人(2人組)
14 玉入れ          2  寿楽会、来賓
15 着付け競争        2  各チーム12人(仮装行列)

参加者名簿 【参加者氏名 略】
 黄(23)
 赤(23)
 白(23)
 緑(21)

競技点数
 1位-5点、2位-3点、3位-2点、4位-1点

※この資料は、町沢朝子さん提供。当日は雨のため、5月21日(金)9時30分開始となった。参加者は黄チーム21人、赤チーム22人、白チーム25人、緑チーム21人、計89人。「15 着付け競争」には、「モデルは手を出さない。正しく著せる。ただ早いだけではだめ」との審判の注意が書き込まれている。


「ともろう会会事務局だより」31号 1982年12月

2009-04-12 12:26:31 | 1982年

   事務局だより 31 S57.12.2
                   ともろう会事務局
  手づくり音楽会へ協力
 障害者の文化をひろめ、市民の啓蒙運動を目的として行われる、みんなでつくる〝手づくり音楽会〟へ是非協力をとの呼びかけがありました。
 協力内容は、チケット販売、資金カンパ、当日の障害者の介助などです。
 ともろう会としてボランティアグループがこれに応えることになりました。又予備費の中から一〇〇〇〇円を寄付いたします。チケット販売については是非ご協力下さるようお願いします。
 期日 昭和五十八年一月三〇日
 場所 東松山文化会館
 実行委員会の主な団体 ・障害児をかかえる親の会 ・肢障協 ・東松山手話サークル ・嵐山手話を学ぶ会 ・生協ママさんコーラス ・青い鳥福祉 ・比企守る会

  福祉バザーに協力しましょう
 武蔵野ユートピアによるチャリティバザーが自治会館で12/11・12両日行われます。御家庭の不用品(新品)を御寄付を八日迄に関根宅まで。当日の購入にも協力を

  ユートピアの大掃除
 12/16 9:30 自治会館集合 一人でも多くの協力をお願いします(八日迄に関根宅まで)

  地域に広がるボランティア
 ボランティアグループでは九月二十一日、寿楽会の皆様をお招きし、手作りの昼食をかこみながら、歌に踊り、又おしゃべりと一時を楽しくすごしました。
 寿楽会の皆様は来年を楽しみにしているとの事。少しでも私達の活動がお年よりに、又地域の皆様にお役に立つように努力していきたいと思っています。
 皆様と手をつなぎ住みよい町にして行きましょう。

  秋をテーマに力作ぞろい
 去る十一月十二・十三の両日、第三回作品展が行われました。
 場内いっぱい晩秋のふんいきにあふれ、ともろう会の五周年記念を飾るのにふさわしい各班の合同作品や個人の力作が並びました。制作から準備まで、実行委員さん達の自主的な意欲が感じられ、その過程において各班で常にない盛り上がりをみせていました。
 実行委員の皆さんごくろうさまでした。

・作品展決算報告
  予算 40000円
  御祝儀 1000円
  収入 41000円
  支出 37724円
  残金  3276円

  行事予定
12/7 新年会実行委員会
12/13 自治会館の大掃除
58・1/11 新年会
各部
・広報部 12/ 茜雲発行
・教養部 12/3 電気教室
     12/14 部会
・文化部 12/3 電気教室
     2/4 お菓子づくり
・ボランティアグループ 12/16 ユートピア大掃除 シーツ交換
            1/30 手づくり音楽会
            2/5 研修旅行(笠間市)
・レク部 12月中旬 部会
・各地区 各地区とも新年会の取組

  おしらせ
☆民踊のお誘い!!
 地区活動の一つとして高木班の皆さんで毎月第一、第三木曜10時より自治会館で、大石先生指導による民踊を習っています。
 班以外の方の参加も自由です。
 来年度は同好会のような形にもっていきたいと思っています。
☆〝粉石けん〟御利用の方
 教養部長の鈴木宅と大畠宅に置いてありますので利用して下さい。
☆自治会館の大掃除を12月13日(月)9:30分より行います。一人でも多くの人の参加をお願いします。
☆新入会員 小室班 小島徳子 文化部
☆退会者 千代田班 小川知恵子 レク部

  経過報告
九月
・作品展実行委員会
・婦人会連絡会議
・各部
  ボランティアグループ 交流会 北海道、奈良県
             寿楽会とのお楽しみ会
  広報部 編集会議
  レク部 ジャズダンス、民踊等
      レクリーダー研修 九月~十一月(五回)
  教養部 西武美術館へ美術鑑賞
・各地区 作品展の準備
十月
・役員会
・町民体育祭
・バスハイク 40名
・交流会 長野県
・作品展実行委員会
・各部
  レク部・ボランティアグループ 部会
  文化部 パンフラワー講習会
  教養部 洗剤についての部会
・各地区 作品展の準備
十一月
・嵐山まつり 接待と、お弁当づくり。踊り
・歩け歩け大会の接待
・作品展
・七つのお祝
・各部
  レク部 お鍋を囲む会
  広報部 編集会議
  ボランティア部 民生委員の方との会合
  文化部 作品展に出品
  教養部 粉石けんP・R 作品展会場で
・各地区 作品展の反省会


「ともろう会会事務局だより」30号 1982年9月

2009-04-11 18:21:00 | 1982年

   事務局だより 30 S57.9.17
                   ともろう会事務局
  教育に一石を投じた旭高校
 三ヶ月余りの準備期間を経て、八月二十八日実施された〝教育は死なず〟は756人の参加者によって大成功の裡に終りました。
 御協力ありがとうございました。
 自主上映という大事業は、大勢の協力があって実現するものです。こうした活動が連帯感を育てながら地域に問題提起をしたり、啓発の機会をつくることを考えると、地域の発展を願うともろう会としては、今後もこのようなことを実現させる努力をしなければならないと感じました。

・講演と映画の会の収支報告
収入 759000円(チケット売上)
支出 708750円
  内訳
 諸経費 543750円
 寄付   40000円(市川房枝記念館設立、嵐山町社会福祉協議会)
 活動費  25000円
 積立  100000円
 残金50250は予備費として会計へ繰入ました。

  運営委員会報告
・〝教育は死なず〟講演会と映画上映の収支決算報告
・映画上映の収益金の使途について討議
  1 寿楽会との交流会の補助金 一万円
  2 町の福祉協議会寄付 三万円
   市川房枝記念室募金 一万円
  3 積立金 十万円
   予備費 五万円

  経過報告
七月
・商店街夏まつり手伝い
八月
・第五回運営委員会
・嵐山町盆踊り大会6名参加
・〝教育は死なず〟講演と映画 教養部協力
・ボランティア 寿楽会交流会打合
・ボランティア ユートピア納涼大会練習3回
・ボランティア 青少年健全育成総決起大会出席
・ボランティア 部会
九月
・役員会
・広報部 茜雲第15号編集会議
・教養部 反省会
・レクリェーション部 スポーツレクリーダー養成講座7名参加
・文化部 和紙工芸26名参加

  各部の行事予定
・役員会
9/17午後 ゆかた作り
9/18 作品展実行委員会
9/25 婦人会連絡会
10/10 町民体育祭
10/21 バスハイク
11月 作品展(11/12~11/13)
・ボランティアグループ
9/21 寿楽会との交流会
9/28 北海道婦人会交流会
9/30 奈良県婦人会交流会
・広報部
10/1 部会
・レク部
9/22 ダンスの練習
・教養部
9/22 西武美術館 故宮博物館美術鑑賞
・文化部
10/13・25 パンフラワー講習会

  作品展に向ってGO!
 実行委員さんも決まり各地区とも作品の製作に向ってすすんでおり、〝ケッサク〟続出のもようです。
 57年度作品展実行委員
 ・庄司保子 ・斉藤今朝美 ・木村敬子 ・小沢律子 ○大村琴代 ・瀨能正子 ・山田加代子 ・磯田春枝 ・文化部長安在清子 ・副部長岡本和代 以上10名の皆さんです。

  紅葉の日光へ バスハイク
 十月二十一日(木)本年は少し遠出をして、日光霧降りと決まりました。今年は秋も早く紅葉を賞でながら大笹牧場でバーベキューの昼食を予定しています。大勢の参加を待っています。

  おしらせ
 前回の事務局だよりでおしらせしました国立婦人教育会館五周年記念行事に、ともろう会として発表の予定でしたが、参加団体が52団体と予想以上に多かったので、地元としては辞退することにしました。御了解下さい。

☆新入会員 小原班 鞍貫ミキ 文化部
☆退会者 小原班 今井美智子


「ともろう会会事務局だより」29号 1982年7月

2009-04-10 22:16:00 | 1982年

   事務局だより 29 S57.7.2■
                   ともろう会事務局
  自主上映「教育は死なず」中間報告
 七月二十六日現在チケット販売枚数五八三枚。
 おかげさまで目標まであとひと息です。
 ありがとうございました。

  運営委員会報告
バスハイク
 十月十五日(金)の予定
 目的地の決定や下見については関根マサさんに一任することになりました。
三回目を迎える作品展
 作品を中心に会員の交流が更に深まることを目的に一年おきに行われてきました。優劣を競うのではなく主婦らしい創意工夫で完成した作品が望まれています。個人でもグループでも気軽に出品して下さい。
 詳細は実行委員会で検討、おしらせします。
 日程は十一月中旬の予定です。

  経過報告
六月
・リーダー研修 27名参加
・レク部 卓球・バトミントン
・教養部 映画「人間を返せ」話合 生協合同
七月
・映画「教育は死なず」試写会 役員会
・レク部 ジャズ体操
・ボランティア ユートピア慰問
・深谷福祉大学 看護学習会
・広報部 茜雲14号発行 反省会
・教養部 部会(2回) 講演会46名参加
・文化部 藤手芸

  7/20 ボランティアグループ主催
       深谷福祉大学へ看護学習会
 ユートピアの婦長さんにより血圧や癌など成人病、又老人が食物をつまらせた時の処理等についてのお話しを聞きました。
 血圧の測り方を実際に行いながら、自分の身になって生活の中での看護法に、みんなの顔も一生懸命でした。22名参加しました。

  秩父方面へ研修
 6/25(金)八時半、町のバスで57年度のリーダー27名は、西口を出発しました。
 目的地の三峯神社で参拝し、頂上にある野口雨情や茂吉の歌碑が霧の中で特に印象的でした。

  各部の行事予定
役員会
 七月三十一日・八月一日 商店街主催夏まつり協力
 八月二十八日 「教育は死なず」上映
レク部
 九月 民踊の練習
ボランティア
 九月 寿楽会との交流会
    ユートピア納涼大会に参加
教養部
 八月 映画手伝い
 九月 中学の先生をまじえて映画の話合い
    西武美術館へ美術鑑賞
文化部
 九月 和紙工芸

  おしらせ
・文化部長交代の件
 三井幸子さんが都合で部長を交代することになり次のように決まりましたので、おしらせします。
  部長 安在清子(元副部長)
  副部長 岡本和代(千代田班)
・商店街夏まつりに協力
 7/31・8/1夜七時三十分 ともろう会は踊りに協力して夏まつりを盛り上げることになっています。大勢参加しましょう!! 服装は自由です。
・新入会員
 小室班 四組六班 平野一江 レク部
・自治会館清掃
 八月十七日 よろしくお願いします。


「ともろう会会事務局だより」28号 1982年6月

2009-04-09 22:44:00 | 1982年

   事務局だより 28 S57.6.25
                   ともろう会事務局
  経過報告
5月
・スポーツレクリェーション(実行委員会4回)
・埼玉テレビ出演(民踊の練習3回)
・役員会
・ボランティアグループ ユートピア訪問
・自治会館清掃
・第一公園清掃
・広報部(3回)
・自治会運動会協力
・教養部部会
6月
・広報部部会(5回)
・文化部 七宝焼
・教養部 部会・新聞社見学
・レク部 ジャズダンス
・ボランティア部会
・自治会館清掃
・嵐山町婦人連絡会
・地区懇談会(5地区)

  再び自主上映!!
 青少年問題が深刻化している現在、各地で感動の渦をまきおこしている映画「教育は死なず」の上映を、ともろう会主催で行うことになりました。当日は原作者の若林先生の講演もお願いしております。
 尚、上映にさきだち学校関係者、団体の代表者を招き試写会を行います。
 試写会 7/3  上映会 8/28

  国立婦人教育会館五周年記念
 会館では五周年を記念して女性フェスティバルを開くに当り、利用団体として、ともろう会にも発表の場を与えられることになりました。つぎの企画委員により立案し、ユニークな発表を検討する予定です。
 企画委員メンバー
  中田邦子
  三井幸子(安在)
  千代田恭子(清水)
  大畠勢津子 他役員

  ともろう会の衣がえ
 新しい会員がふえて、ゆかたを持たない会員も多いことと、今までと同じ柄を揃えることはむずかしいので、五年間おなじみになったゆかたを替えることになりました。
 秋の町民体育祭には、イメージチェンジで出場できるように多勢の方に買っていただきたいと思います。一反五五〇〇円(数が多ければ割引もあります)。見本は七月二日だけ自治会館におきますので見て下さい。

  スポーツレクリェーション
 5/21 五周年記念にふさわしいプログラムを実行委員の努力により、盛大に行うことが出来ました。
 優勝チーム 赤組122点 二位 白組115 三位 緑組106 四位 黄組 103
 次の方々から御祝儀をいただきました。
  志賀二区自治会長(中野光子氏) 寿楽会 カトレア会 むつみ会 教育委員会 熊ぼっこ 宮川公一氏

  嵐山町婦人連絡会の報告
・今年度の事業として文学講座百人一首がすでに行われていること
・婦人学級は、水泳教室と、ともろう会教養部主催の講演会がきまりました。
 七月十三日(火)十時より中央公民館にて、「飲み水の安全性について」の講演会が開かれます。身近な問題として考えるべきことです。会員はもちろん、近所の方にも声をかけて一人でも多くの方に聞いていただきましょう。

  57年度町からの補助金は68100円です。

  各部の行事予定
6/22 レク部 バトミントン
6/25 リーダー研修
7/2 文化部 藤手芸
7/3 「教育は死なず」試写会
7/6 ボランティアグループ ユートピア訪問
7/  茜雲十四号発行
7/13 教養部講演会 「飲み水の安全性について」

  おしらせ
 わかめについて……今回から値上げになりました。とりあえず申込書を廻しましたが今後のことは検討中です。
 ともろう会文庫……高木班の里見さんから本棚を寄付して頂きました。まだスペースが大分あまっていますので、読み終わった本の寄付をお待ちしています。自治会のご好意で自治会館にあります。御利用下さい。

  新入会員よろしく!!
 中田班 小林啓子 レク部・文化部

  自治会館清掃
・次回は七月二十日第三火曜日です。


「ともろう会会事務局だより」27号 1982年5月

2009-04-08 20:14:00 | 1982年

   事務局だより 27 S57.5.6
                   ともろう会事務局
  自立を目標に
 お陰さまでともろう会も五周年を迎えるまでに成長しました。
 基礎づくりの段階から、今年は一歩前進して、ひとつの目標に向けて意識をもり上げていきたいと思います。
 〝自立をめざして、まず自分の考えを持ちましょう〟

  紹介いたします
新役員
 会長   武谷敏子
 副会長  西野万亀子
 事務局長 森恭子
 会計   加藤圭子・北原恵子
 書記   比嘉和代・大山幸子
 会計   中野光子
 監査   中山富子

運営委員
 生活教養部長 鈴木育代
  〃 副部長 大畠勢津子
 文化部長 三井幸子
 〃副部長 安在清子
 レク部長 町沢朝子
 〃副部長 大沢祥子
 広報部長 岡田元子
 〃副部長 根岸和江
 ボランティア部長 関根マサ
  〃   副部長 井上睦美

地区連絡員
 斉藤冨子 高木和歌子 中田邦子
 田中君子 千代田恭子 清水千鶴子
 小室圭子 鶴田千枝子 小室とみ子

  スポーツレクレーションのお知らせ
 新入会員が多いので親睦を兼ねて今年もスポーツレクを行うことになりました。
 今年は五周年記念行事の一つとして種目を多くし時間を延長して、行うことにしたいと思います。
 日時予定 五月二十日(木)午前九時三十分~午後二時
 前日十九日には、第一公園のおそうじを予定していますので、よろしくお願いします。
 第一回実行委員会
  五月七日 午前十時より 於自治会館

  テレビ埼玉に出演!!
 タイトル 〝みんなの広場〟
 ともろう会からは、嵐山音頭、どんけつゲームに出演します。
 放映日 五月二十八日午前九時二十五分より三十分
 再放映日 五月二十九日正午より三十分
 是非チャンネルを廻して下さいネ

  秩父の美術館へ
 土蔵屋敷を改造したユニークな美術館が秩父市にオープンしました。今年のリーダー研修はこの美術館を見学することになりました。

・4/30日現在会員数115名 会費103500円
 間もなく名簿をお配りします

  本部よりお知らせ
 七宝焼 六月四日 自治会館にて 午前と午后行います

・市の川清掃には約50名の方が参加されました。
 御協力ありがとうございました。


「ともろう会会事務局だより」26号 1982年3月

2009-04-07 22:16:00 | 1982年

   事務局だより 26 S57.3.26
                   ともろう会事務局
  運営委員会報告
 三月十二日(金)に行なわれました運営委員会で次の事が決まりました。
・リーダー研修
 今まで新運営委員の親睦を目的に行なっていたリーダー研修を新旧一緒にしてはという意見がありましたが町のバスが、30人乗りなので新役員のみとなりました。

・ボランティアグループの位置
 今まで通り、部ではなくグループとしてやっていくが予算は他の部と同じに出す。グループの責任者は運営委員会に出席する。

・班編成について
 班によっては人数が多くなり連絡員が大変です。班を分ける必要があると思われるところは各班ごとに集まって話し合い、その結果を事務局に届けて下さい。(総会日まで)

  五十七年度の役員を選考する人たち
・選考委員
 富樫班 高橋紀子
 岡田班 岡田元子
 室班  高橋静江
 菅原班 今井美智子
 安藤班 大村琴代 ○副委員長
 西山班 日下部ヨリ子
 福村班 鈴木育代 ◎委員長
 根岸班 欠員

  自治会館清掃
四月二十日(火)十時 毎月第三火曜日

 五周年目の行事
 ともろう会も発足以来、来年度は5周年を迎えることになりました。57年度の事業計画としてどう行なうかが討議されました。例年行なわれているスポーツ、レクリェーションや作品展など年間の行事に5周年記念を盛りこんで計画を立てることで、特に記念行事として、新しい事業は考えないことに決まりました。

  経過報告
12月
・新年会実行委員会
・文化部 藤手芸
・生活教養部・文化部 家計簿を学ぶ会
・ボランティア 定例部会
  交流会 ユートピア訪問
・レク部 定例踊る日
1月
・新年会 
・実行委員会反省会
・生活教養部 かるた会
  西部地区洗剤協議会出席
・ボランティア 定例部会
・レク部 バトミントン大会
・広報部 茜雲12号 反省会
2月
・役員会
・運営委員会
・レク部 定例踊る日
・文化部 ケーキ作り
・広報部 茜雲13号企画会議
3月
・役員会
・運営委員会
・事務局便り編集
・ボランティア部 部会 公開講座後話し合い
・生活教養部 部会 公開講座後話し合い
・レク部 バトミントン大会 定例踊る日

  不用の本棚(本箱)がありましたら会におゆずり下さい。

  総会のお知らせ
 四月九日(金)十時 自治会館


「ともろう会会事務局だより」25号 1982年3月

2009-04-06 18:21:00 | 1982年

   事務局だより 25 S57.3.5
                   ともろう会事務局
 五十六年度も残り少なくなり、各部、各班とも一年間の成果をふり返りながら総会前のまとめの時に入りました。よりよき運営をめざして役員会が提案したいくつかの問題について話し合った二月二十三日の運営委員会の要旨をお知らせします。

  重要な仕事
 順番だからとか、選考委員の仕事は簡単だからと引き受けていた今までの考えを変えて下さい。ともろう会の運営を任す役員を会員に代って選ぶのですから何よりも重要な仕事です。
  ・公正な考えを持っている。
  ・会の主旨を理解し建設的な考えを持っている。
 このようなことは、会員であるなら誰もが持っているはずの最低の条件です。地区によっては少ない人数の中から選ばなくてはならないむづかしさはあるでしょうが、選考委員の意義を、もう一度認識しなおして積極的に参加して下さい。今までは選考委員会の選ぶ役員は、会長・副会長・事務局長の三役でしたが、五十七年度からは、役員全員と監査まで選考することになります。

  役員会提案
一、ボランティアグループの位置
〈現在はグループとして存在しているボランティアグループを他の部と同じ位置にすることで連絡上の不備の解消と活動費を予算化したい。〉
 右の提案に対しての主な意見
・部員だけの活動になるので、今まで通りグループにして、ボランティア活動を自由に参加出来るようにしておく。
・グループの代表が運営委員会にオブザーバーとして出席する。
 その他、たくさんの意見が活発に交換されましたが、ボランティアグループの代表が出席していないところで話し合う不合理さから結論は次回へ持ちこされました。

二、各部の部員募集
〈少しでも早く部活動を行うために、部員募集を総会前にしたい。〉
(部長選出は総会後)
・部によっては、どちらでもよいが、早く活動したい部のために提案に賛成と決まりました。

三、リーダー研修
〈今まで新役員だけのリーダー研修を来年度からは旧役員もいっしょにしてはどうか。〉

四、宿泊研修
〈娯楽を目的にし、少し遠方にしたらどうか。〉
・近い婦人会館だから安心して参加出来るということもあり、学習を兼ねてという意味からも婦人会館がふさわしいのではないか。

五、作品展とバスハイク
 例年行われている次の二つの行事について検討されました。
・十月 作品展、バザー(一年交代)
・十一月 バスハイク
 十一月は日も短く帰りの時間が気になるので、紅葉を見るということでなければ、作品展をバスハイクの月と交替してもよいのではないか。
 三、四、五の件については、いづれも役員会に一任ということになりました。

  第五回総会 四月九日(金)

  新会員 よろしく
 富樫班 久保田光子さん

  新年会の笑い始め
 一月十二日実行委員により行われた新年会。今年は参加人数63名という盛況で、ついに中央公民館の大広間で行うことになりました。舞台せましと各地区からのすばらしい珍芸又珍芸で感心したり、お腹をかかえたりの楽しい新年会でした。一人でも多く、あの雰囲気をあじわってほしい。無芸でも笑いには参加出来るのだから、ためらわず仲間に入って、大いに笑いましょう。

★事務局だより25号の発行がおくれましたので、経過報告は省略しました。
★毎月第3火曜日10時より自治会館の周囲の清掃をしています。よろしく。


国立婦人教育会館初代館長 縫田曄子氏が退任 1982年

2009-02-08 21:58:55 | 1982年

   婦人問題 新たな気持ちで
     縫田さん、国立婦人教育会館館長を退任
 国立婦人教育会館(埼玉県比企郡嵐山町)の初代館長の縫田曄子(ぬいた・ようこ)さんが九日付で退任することになった。五十二年(1977)十月に就任以来、ユネスコの国際セミナーを招致するなど、幅広い活動を続けてきたが、今後は婦選会館の理事に専念して、新たな婦人問題に取り組むという。
 縫田さんは、NHKの解説委員だった四十六年(1971)六月、二期目を迎えた美濃部革新都政の初の女性局長として民生局長にスカウトされ、三年十ヵ月務めて五十年(1975)四月辞任。その後NHKに戻ったが、国立婦人教育会館のオープンとともに婦人教育問題に経験の深い点をかわれて初代館長に就任。
 この間、「国連婦人の十年」中間年の五十五年(1980)にはユネスコの国際セミナーを同会館で開催するなど、婦人教育の全国集会を次々に開いたほか、地元の婦人を中心にした会館ボランティア制度を発足させ、ボランティア同士の研修、親ぼくを図るなどユニークな会館運営を進めてきた。
 退任を前に縫田さんは五日「最初から五年くらいの約束だったし、今後は婦選会館(東京新宿区)理事として、会館改修などに取り組んでいきたい」と語った。
 後任には、文部省婦人教育課の志熊敦子課長が内定している。
     『毎日新聞』1982年(昭和57)7月6日

   退任惜しむ地元の人々
      国立夫人教育会館の縫田曄子館長
 「私が館長に発令されたのは、五十二年(1977)七月。ちょうど五年間、国の施設なのに地元の方々には、本当にお世話になりました」-九日付けで退任することが決まった比企郡嵐山町の国立婦人教育会館、縫田曄子館長はまず、地元の協力に感謝の弁。しかし、地元では「特に、私の町では、会館施設を町民のために開放して下さり、地域文化向上に計り知れないお力添えをいただいた。これからも、ご指導を期待していたのに……」(関根茂章・嵐山町長)と退任を惜しむ声が強い。
 縫田館長は、NHK勤務時代、婦人教育を専門に担当、長い間の実績がかわれて初代館長に懇請された。文部省の局長級の人事としては珍しい民間からの起用だ。五十二年(1977)十月に開館するときも「国立の施設として孤立するのは好ましくない。地域にどしどし開放しよう」が方針だった。
 会館の研修施設、体育館、プール、コートなども地元の婦人を中心に、町民に利用することを勧めた。「会館の威容にたじろいでいたが、シキイが高くないのでびっくり」という声も町の人から聞かれた。秋の菊花展も会館で開くことを勧め、花づくり目標の町民を喜ばせた。
 一昨年(1980)四月から地元の婦人を対象にした読書グループ「花の会」の講師をボランティアで引き受け、毎月一回「女性の生涯」をテーマに話し合いをしてきた。
 退任後は、今年三十周年を迎える東京・新宿の婦選会館の理事として老朽化した会館の建て直しに専念する。「市川房枝先生のご遺志を継いで、全国の女性が気軽に立ち寄れる場にしたい。市川先生の生前をしのぶ記念室も」と抱負は大きい。「後任は会館の生みの親でもあり、最適任の志熊敦子・文部省婦人教育課長。後顧の憂いはありません」と言う。
     『  新聞』1982年(昭和57)7月 日

  支局日記
 「私はやることがたくさんあるの。会館は来年で五年目を迎えるし、運営のレールは敷いたつもりよ」
 国立婦人教育会館の縫田曄子館長から「辞意」とも受け取れる言葉を聞いたのは、昨年(1981)秋頃のこと。文部省から強く要請され、「五年くらいなら」と館長を引き受けたいきさつは、今回の正式退任決定で初めて知った。
 「私は婦人教育家ではないし、一応、会館の性格づけが出来、全国に知れ渡れば、私のお勤めは終わったと思うの。あとは専門家にお任せしたい」とも語った。
 責任問題さえ転嫁して、保身にキュウキュウしている公人(政官界の人)が多い中で、人生の目標をしっかり見定め、きれいに辞めていく縫田館長の「引き際のよさ」にむしろ、さわやかさを感じる人も多い。
 実は、「毎日川越女性教室」が昨年(1981)十一月に発足した時、教室の方向づけを示してくれたのも縫田館長。①指導者は商売と考えない②女性の生涯教育の一環と言う目標を持つ-。これは、教室の憲法でもある。
 これからは、市川房江さんの「婦選会館」の再建に情熱を傾けるという。しかし、会館のある当地を忘れずにどうか、今後もご教示ください。(隆)
     『毎日新聞』1982年(昭和57)7月 日

      国立婦人教育会館初代館長
         縫田曄子さん退任
             後任に志熊さん
 国立婦人教育会館(比企郡嵐山町)の初代館長を務めた縫田曄子(ぬいた・ようこ)さんが九日付で退任する。後任は文部省婦人教育課長の志熊敦子(しくま・あつこ)さん。
 同会館は婦人教育の振興を図るため、指導者を養成したり婦人教育に関する専門的な調査研究などを行う社会教育施設。日本では唯一の機関だが、外国でもあまり例がない。縫田さんは五十二年(1977)七月の就任以来、婦人教育活動の充実を図るため各種研修活動、国内交流はもとより、ユネスコ国際交流など海外婦人との交流を成功させるなど幅広く活動してきた。退任後は婦選会館理事の仕事に専念するという。
 縫田さんは四十六年(1971)六月、NHK解説委員を辞め、第二期美濃部都政の初の女性局長として民生局長(現在は福祉局)に就任、四年間美濃部都政に貢献した。その後、再び嘱託解説委員としてNHKに復帰したが、文部省の強い要請で初代館長に。
 就任後は毎日、東京の自宅から通勤、遅くなると泊まり込むという生活が続いたという。在任中の大きな仕事の一つに挙げたのは、同会館に婦人問題に関する情報センターの機能を果たさせたこと。いま情報図書室には内外の婦人教育、家庭教育に関する情報資料が収集され、広く活用されている。
 縫田さんは「一つの地位に長くいることは…」と昨年から辞意を表明していた。
     『埼玉新聞』1982年(昭和57)7月9日


若いお母さんが学習するために 1982年

2009-02-04 22:18:50 | 1982年

 去る八月二十八日、国立婦人教育会館におきまして、ともろう会が主催した「講演と映画の会」にお子さん連れの方が何人かお見えいただいたのですが、終了後のアンケートに“四時間を無駄にした”と、書かれた方ヘお詫びを申し上げると共に、状況を説明させていただき、併せて一つの問題提起をしたいと思います。
 現在、国立婦人教育会館を利用する場合の幼児の扱いについては次のようになっています。
 一、事前に保育の申込みをする。
 二、定員二〇名。
 三、幼児が、一グループ五名以上になる場合は、保育担当者を同伴する。
 四、幼児は二才から学令まで。
                     (会館幼児室利用のしおりから)
 右のようなことなので、あらかじめご相談のあった方にはご理解いただくことができたと思っておりますが、なお、徹底していなかったことにつきましては、大変にご迷惑をおかけしまして申しわけございませんでした。
 今回の例に限らず、多人数を対象とする催しごとの場合は、いつも幼児のことが問題になります。
 生涯教育とか、社会教育とか叫ばれていながら、子育て中の女性が気がねなく会場に参加できる例は極めて少ないと思われます。
 その解決は、もちろん、本人が努力するべきでしょうが、核家族化している現代社会では、なかなかむずかしいようです。
 教育の重要さは幼児期にあることは、いまさら言を持たないところであり、学習の機会均等の点からも早急に考慮されなければならないことだと思います。
 今回、私どもが主催するに当りましても、知る限りの人を頼って保育担当者を探しました。
 こうした場合にも、ボランティア情報センターとか、人材バンクのようなものが設けられていれば比較的簡単に解決することではなかったかと思います。
 幼児を持つ若いお母さんたちが自分の問題として考えていただくとともに、地域に散在しているボランティアや、心ある人たちが連係することで、打開の方法は見つかるのではないかと思うのですが……いかがなものでしょうか。   (武谷敏子。志賀二区・ともろう会会長)
     『嵐山町報道』309号 1982年(昭和57)9月30日


飽きない学習会 -なごみグループのこと- 1982年

2009-01-02 09:57:19 | 1982年

 研修中の利用者から、お茶や、電話代の両替えなど、希望が多かったことからはじめたサービスも、今では大変利用者によろこばれています。
 会館だよりの発送も、すでに一五〇名となり、来年度の継続も受けているところです。
 このようなことは、グループが出来ない時には考えられないことでした。しかし、連けいを保ちながら利用者に対応するには、常に連絡が必要となり、そのためにも、毎月の学習会は、欠かせないものになっております。
 相互理解を深めながら、問題点を話し合ったり、活動を円滑にするため、時には職員を交えての学習会は、グループ結成以来、毎月続いています。
 受付、案内という協力内容から要求される必然性はあるにしても、よくも毎月続くものだと、メンバーのひとりでありながら感心しないわけにはいきません。
 ともあれ、五十六年度は、なごみグループの自主的な活動と目標を掲げたわけで、学習会を重ねながら、一歩ずつ目標に近づいていることを確めることができます。
 かわら版やフォトニュースも、適性を生かした活動ではありますが、更にメンバーがふえて、それぞれ特色のあるものを出し、会館に定着していくことこそ、グループの望ましい形ではないでしょうか。(武谷敏子)

     ◇56年度にみるなごみの学習会◇
     4月 ボランティア研究集会 年内計画案・年間当番表づくり
     5月 「会館だより」申込み受付け開始。同発送
        仕事の内容を区分し分担をきめる
     6月 「新聞情報の生かし方と再整理」(J・T・Vと合同)
     7月 幼児室について
     8月 土浦市ボランティアグループと交流
     9月 日常の活動に関する問題点について
     10月 美術工芸室を利用して七宝やき
     11月 大阪府婦人会館ボランティアと交流」(J・T・Vと合同)
        ボランティア研修会について他
     12月 懇親会(会館職員と交流)
     1月 視聴覚教材についての学習会(№1)
     2月 視聴覚教材についての学習会(№2)
     年間 かわら版(31号まで) フォトニュース

     会館ボランティアグループ活動の記録集『ななまたち』その2(1982年)6頁~7頁


全国婦人教育交流集会 高齢化社会で質疑 1982年

2008-12-29 18:56:24 | 1982年

   嵐山町 高齢化社会で質疑 
     全国婦人教育交流集会始まる

 婦人を取り巻く課題、特に高齢化社会に焦点をあて、今後の取り組み方について、広く意見や情報交換を行う「昭和56年度全国婦人教育交流集会」が十八日、比企郡嵐山町菅谷の国立婦人教育会館で開会した。
 今回のメーンテーマは「“高齢化社会を迎えて”高齢化社会の中私たちの課題」。参加者は全国から公募して集まった主婦、公務員、など百人。
 この日は午後一時から開会、縫田曄子館長のあいさつのあと、一般公開のシンポジウムが行われた。シンポジウムでは、NHK解説委員東浦めい氏、東京都老人総合研究所社会学部長前田大作氏、甲南大学文学部教授増田光吉氏、機械振興協会経済研究所調査役松山美保子氏の四氏が“来るべき高齢化社会について”それぞれの立場から意見を述べて、それについての質疑応答が行われた。
 きょう十九日には①健康・福祉②家庭・家族③経済・就労④社会参加⑤学習について-をテーマとした分科会と交流、最終日に全体会が行われる。
     『埼玉新聞』1982年(昭和57)2月19日


女性中心で運営の嵐山町志賀二区自治会 1982年

2008-12-20 00:21:36 | 1982年

  婦人の地位向上図る 嵐山町志賀二区
    会長ら役員大部分 女性中心で運営の自治会
      もう二年目 頼りになる存在目指す

 男性が前面に立って運営することの多い自治会の中で婦人がその中心になっている自治会は、まだまだ少ない。そんな社会状況の中で会長が女性、役員の大部分も女性という自治会が比企郡嵐山町にある。通称、地産団地、志賀二区の自治会がそれだ。
 同団地が造成されたのは四十六年(1971)。東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約十五分。現在、約七百八十戸、約二千七百六十人が住んでいる。
 会長は中野光子さん。五十三歳。職業は消費生活アドバイザー。昨年四月に同会長に推された。現在二期目。
 「大部分がサラリーマン家庭で大半が東京に通勤しています。そのため、時間的に余裕がなく自治会の役員に世帯主が連ね、実際の活動は主婦が行うというような状態が続いていました。昨年、この際、女性で自治会を運営したらという声が内部で高まり、会長も役員もほとんど女性という自治会がスタートした」と中野さん。
 今年度は会長、副会長三人、事務局長、会計二人、組長十二人のうち副会長一人、事務局長を除いて全員が女性。また、環境衛生、社会教育、交通、災害防犯、広報部の五事業部も役員六十人のほとんどが女性だ。
 中野さんは昨年、自治会の運営を預かった際に「これまで自治会活動は役員の仕事と考えられていた。これは自治会の在り方になにか問題があるのではないか」と考えた。そこで「必要な時に相談に応じ日常的には干渉しない頼りになる親せきのような存在、そういう自治会をめざそう-」と申し合わせた。昨年は会員の要望から実現可能なものから取り組んだ。自治会則の改正、自治会館の改修は、現在各委員会を作って取り組んでいる。運動会や年度途中から始めた少年健全育成講座、生涯教育講座はこうひょうだった。また、団地内のメーン道路の安全を確保するために「三十キロ制限を守ろう-」と手作りの交通安全対策運動にも取り組んでいる。これは、女性中心の自治会らしいきめ細かい仕事の一つだ。さらに各事業部も会報の発行、地区内の清掃、防災訓練、ジョギング会の開催などそれぞれの成果を収めている。
 中野さんは、この一年を振り返り「女性でもなんとか動けるのではないでしょうか。しかし、自治会を円滑に運営するために会議の回数が多くなり、時間的に余裕のある主婦にとっても二年と続けられないという意見が圧倒的。役員の人選に苦慮するという状態がくり返されるので、会員のだれもが役員になりたがるようなリーダー養成講座が必要ではないでしょうか」といい、さらに「女性の社会性を育てることが女性の地位向上につながると思います」と話している。
 最後に「志賀二区では男性がまわりから見守りながら、私たちの社会性を育ててくれています」とニッコリ。
  【メモ】労働省は、このほど町内会やPTAなど地域社会でどのような男女の活動の違いや差別があるかについて、調査結果をまとめ公表した。その中で、町内会、PTA、老人会、青年会などの地域団体で女性が会長になっているのは全体の四%、さらにその他の役職でも、ほぼ半数の組織は男性だけで占めているという。
     『埼玉新聞』1983年(昭和58)4月27日


ひとつのレポート 1982年

2008-09-07 21:10:41 | 1982年

 ここ三年ほど、私は、ある学習会に参加している関係で、必要に迫られて、近代女性史に、婦人運動の先達として足跡を残した女性たちをしらべることがあります。
 いろいろな資料にあたった結果、それらの女性の多くが、キリスト教に深くかかわっていることがわかってきました。
 女たちが、社会の底辺に、忍従を強いられていた封建時代に、ありとあらゆる因習と戦いながら、女性の自立をめざした彼女たちが、いちように教会の門を叩いたのは、どんな理由からだったのでしょうか。私は非常に興味を唆(そそのかさ?)られました。
 同性のために、女医を志した荻野吟子は、辛酸をなめつくした果てに、茨の道を拓き、医家を開業し、のちに受洗しております。
 前半生をあめゆきさんといわれる数奇な運命を辿った山田わかは当然のことながら、信仰によって救われ、評論家として終世、女性解放に力を注いでいます。
 又、女子教育の先駆者として知られる矢島楫子(やじまかじこ)は、婦人矯風会の設立者でもあり、自らも洗礼を受けております。
 羽仁もと子は『婦人の友』を創刊すると共に、信仰にもとづいた真の自由人を育てるために、自由学園を創設しました。
 最も身近なところは、婦選運動に一生を捧げた市川房枝がおります。
 彼女は、名古屋時代にかかわった六合雑誌の縁で、上京後、三田四国町にあったユニテリアンの統一教会へ通っています。
 ウーマン・リブなどと、華々しい運動の、はるか以前に、時代に抗(あらが)って、狼火(のろし)をあげた彼女たちの戦いは、孤独な戦いであったろうことは想像にかたくありません。艱難辛苦(かんなんしんく)にうちひしがれ、あわや挫折に至ろうとする時に、光と平安を与えられて、彼女たちは、再び立ち上る力を蘇(よみがえ)らせることが出来たはずです。
 彼女たちを支えたものが、教会であり、信仰であったのは極く当然のことであったのでしょう。
 明治初期から大正にかけての、女性の先駆者たちが、身をけずるようにしてかち得たものを、今私たちは安易に掌中にしていることをあらためて考えてみたい気がしております。


ボランティア 1982年3月

2008-08-31 17:56:01 | 1982年

 目立ちたがりやも いない
 尻ごみする人も いない
 みんな 善意の 人たちばっかり

 力まず たゆみなく
 心と時の ゆとりを
 ほんの少しずつ 持ちよって

 誰かわからない
 誰かが 喜んでくれたら
 助かったよ、といってくれたら
 だいそれたことではない
 どこにでもある 小さなこと
 でも ひとりではできない
 そんなことを
 みんなで やりたい
     『ボランティアだより』(1982年3月)掲載