山々がやわらかな彩りにつつまれて春爛漫、強風がちょっぴり邪魔しているようです。
この度はお忙しい中、沢山の原稿をありがとうございました。御協力に感謝いたします。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
ふり向けば遺影と語る十二年
痛いの痛いの飛んで行かない胸のキズ
風邪三日弱気の虫と同居する
日脚伸ぶ逢えない人に逢いたくて
椿落つどうかしたのか出る涙
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
菅谷館跡周辺
祭り待つ館跡に幟旗笹りんどうと五三の桐葉
かさかさと落ち葉の山路歩みきて紫式部の輝きに会ふ
芽ぶき初むる雑木林の梢越し淡き影さす白き太陽
そよ風にひらひらと散る桜花木もれ陽受けて耀い舞ふも
栗の花著けき香りを放ちいて時折風に花房揺るる
ひそと咲く山百合の花愛ずる人新聞見しと朝よりにぎはふ
嵐山渓谷みどりのトラスト辺り
枯れ残る赤松の肌陽に映えて晶子の歌碑の歌詠み返す
コンビニにおでんの幟はためきて寒冷前線街を吹き直過ぐ
大根畑を鋤ふは無理と代はりたる息子汗して万能振ふ
木枯らしの頬なでて去る庭に立ち久に訪ねし息子を
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
八月二十九日 シャンソンの夕べ (参加者二十五名)
台風で雨、風が強い日でしたが、地産団地、アプローズにて、午後六時三十分から約二時間、歌手の池谷みどり、ピアノ町田真理子先生を囲み、お茶を飲みながら、時間のたつのも忘れ楽しいひとときを過ごしました。
一月三十日 新年会の余興の司会 中央公民館(参加者三十九名)
町長さん、教育長さんをお迎えし、カラオケ、本部の方々のビンゴゲーム、各区で工夫した劇や踊りに、皆様のご協力をいただきまして、楽しく終わることができありがとうございました。
二月十九日 ひな祭りを祝って太巻祭り寿司
健康増進センター調理室(参加者二十三名)
町のシンボルの蝶を型どった「揚羽蝶」と「桃の花」の巻き方を先生に教えていただきました。出来上がった時には、あちこちで「美しい、きれいね。このまま飾っておきたいわね」という声が聞こえてうれしく思いました。
一年間多くの方々に参加していただき、ご協力ありがとうございました。レク部一同心から感謝いたしております。(レク部一同)
※揚羽蝶(卵巻き)
材料 すしめし 白 二百グラム
すしめし 桃色 四百グラム
のり 四分の三(二枚)
のり 四分の一(一枚)
卵焼き 一枚
山ごぼう(細め) 二本
煮かんぴょう 約六十センチ
さやいんげん 三、四本
※桃の花(のり巻き)
材料 すしめし 白 三百グラム
すしめし 桃色 百二十五グラム
のり(全形) 一枚
のり(四分の一) 五枚
桜でんぶ 大さじ三杯(三十グラム)
ほうれん草の葉 五枚
スティックチーズ 二本
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
五月二十七日 ハイキング
東上線・八高線・バスと乗り継いで西平より大附「いこいの村」でそば打ちに挑戦。そして越生の「年金センター」までトレッキングを計画いたしました。
ローカルバスに乗り西平で下車、徒歩で大附に向かいました。長い上り坂が続き少しバテましたが、ゆっくり時間をかけて周りの自然にふれながら楽しく歩きました。いこいの里では、初めての人、ベテランの人も一体になりそば打ちを楽しみ、それなりに上手に出来上がりました。自分達の作ったそばに舌鼓を打って年金センターへ向かいました。普段車で通り過ぎてしまう道を歩くことで新発見をしたりして元気に年金センターに着き、希望者だけお風呂に入り疲れをとりました。
いつも車で来る所を歩いてみるのもとても楽しいもの。(参加者二十名)
十月二十六日 バス研修旅行
紅葉の軽井沢へ行きました。
行政バスが使用出来ず大変でしたが会員外の方も参加して下さり四十一名集まり実行できました。バスの中では恒例になりました自己紹介ゲーム、笑っているうちに雲場池に着いてしまいました。一周しても二十分足らず、静かで心安らぐ場所、今度はプライベートで大事な人と腕でも組んで歩いてみてはいかがでしょうか。何か新発見出来るかも……。
昼食は唐松の美しいゴルフ場のレストランでリッチにワインを飲みながら食事をしました。幸せ!
旧軽井沢に戻ってからショッピングタイム、掘り出し物がありましたか?私はキャベツを二ヶ買いました。何と一ヶ百円也、ラッキー!(定価三百五十円位だったぞ)
ちょっと忙しかったけれど、とても良い旅だったと思います。(参加者四十一名)
皆様のご協力の賜物で無事に行事を遂行することが出来ました。ありがとうございました。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
六月十二日 (於)中央公民館
六月十九日 (於)勤労福祉会館
二回にわたり洋裁教室をしました。講師は中島真佐子さんにしていただきました。参加者二十六名、外出着になるようなすばらしいシャツが出来上がり皆さんとても好評でした。
作品は文化展に出品しました。
七月八日 国立婦人教育会館(響書院)でお茶会をしました。参加者は十六名、講師は根岸千穂子さん、松浦みち江さん、奥平朋子さんにしていただきました。
日常の煩わしさから逃れて静寂を感じることができたことはとてもすばらしいことでした。
国立婦人会館内の響書院は皆さんに行って体験していただきたい趣のある場所です。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
川島支部の年間行事は、夏祭り、納涼大会での盆踊り。町民体育祭のお手伝いをはじめ鬼鎮神社の節分祭のおでん作り、美化活動の缶拾い、お料理講習やハイキング、忘年会、総会等、数々の行事がありますが、その中でも最大のイベントは、節分祭のおでん作りと夏の納涼大会での盆踊りです。
節分のおでん作りでは毎年、皆一丸となり、おでん、甘酒作りには、力が入る大行事でもあります。
一番気を使うのはおでんの味噌作りで、先輩の味を汚さぬ様教えを守り、失敗しないようにと、気を使う所でもありますが、今年もまあまあに仕上がり「ホッ」としています。甘酒もいつも評判が良く常連さんも数多く有り、「今年もおいしかったよ、ご馳走様」と言われると、うれしく、苦労が報われる所でもあり、皆んなが協力し合ってがんばった結果でもあります。
今年は、さらに一つになれた出来事がありました。夏祭り、ハッピ姿で、おみこしを担ぐ青年会の人達を見て、誰かが「私達もハッピを着て、担ぎたいよね」の一言で作る事となりました。費用を少しでも負担しようと、盆やぐらの時バザーをする事と流し踊りに出場して、入賞を目指すこととなりました。いつも、盆踊りの時、私は踊りは絶対いやだと言っていた人達も、出場してくれて、太腕、太股をおしげもなく出し、夢中になり踊り、また、第一部の踊りが終わった後、菅谷二区のテントでの心づくしのおもてなしを受け、ご馳走になり、第二部の活力になっておかげで入賞できました。おみこしも担ぎ、今までになく、和と言うものを感じ、気持ち一つになれた一時でした。
これからも、より一層、一致団結して、年間行事を、遂行して行きたいと思います。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
今から三年前の事です。夫が朝起きると瞼が少し腫れぼったく感じると言った。私は、夕べ少し呑みすぎたのではないの?と簡単にあしらっていました。でも気になるのなら病院へ行って検査をしてくるように言って夫は、その日のうちに病院へ行ったが検査の結果が判るのは二日後との事。心配しながらその日を待ちました。
結果を聞きに行くと即入院、診断は「ネフローゼ」との事でこの病気は時間がかかりますので覚悟してくださいと言われた。それでもあまりショックはなかった。病気に無知の私は時間が経てば治るのだから…と。でも経過は益々悪くなる一方で夫の訴えることも我儘にしか思えなかった。
入院して五日目の頃回診にみえた先生に、夫は何時ものように訴えると他の大学病院へ紹介状を書いてあげるからそちらにいってみなさいと言ってくださいまいした。その二日後受け入れ体制が整いましたとの連絡をいただき直ぐに他の病院へ参りました。
大学病院での診断は「急性腎不全」。直ぐに緊急透析の手術を行いました。その後主治医の先生から、もう一日遅れていたら死んでいたといわれ私は初めて事の重大さに気が付きました。結婚して二十余年病気らしい病気など一度もした事もなく風邪をひいても床で休んだ事もなかった。私の頭のなかは仕事はどうしよう、何はどうしようと将来への不安で気が動転してしまいました。そして夫の訴えることを私も早く気が付いていればこんなに悪くしなかったかもしれないと自分を責めました。
お陰様で二ヶ月の入院生活の後、家での食生活でまだ病院とは縁は切れませんが以前と同じような生活が出来るようになりました。私達は夫婦としてより強い絆で結ばれたような気がします。(惚気ですみません。)
家の中で病人がいると家庭の中は暗くなるものです。人生色々な事があると思いますが身心共に健康でいればどんな事でも解決出来ると思います。限りある人生を精一杯生きようと思います。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
今年ももう一年の四分の一がいつの間にか過ぎて行きました。その早さに目が回ります。一ヶ月は風邪を引き、この分だと残りの四分の三も、目をつぶって明けたら一年が過ぎちゃったとならなければ良いと思います。
例年の通り今年も箱根に旅行しました。いつも四人づれ、もうかれこれ四十年来の友達です。同期に入社して三人はいつも一緒。もう一人は私達の先輩です。干支で言うと一回り上の方、少し前迄はよく出掛けられた様ですが、近頃は足が悪く杖に頼り他の方とは迷惑がかかるのでどこにも出掛けなくなりました。そこで私達の出番です。普段年老いた母を看ていますので手をとり腕を組んで歩くのは私の役です。一人は荷物を、一人は会計(乗車券を買ったり入場券を購入したり)場所によっては車椅子で見学したりといつも分担で楽しい旅を続けています。女性ですので一番の楽しみはおしゃべりです。話のつきる事はありません。美味しいものをいただいて温泉に入ってゆっくりと…。長いお付き合いですので若き日の恋愛、結婚、出産をお互いずっと見ています。でも残念なことに大切なご主人を亡くされたり、息子さんの離婚等、色々と良い事ばかりではありませんでした。しかし、人生の苦楽を話し合ってお互い心が和みます。あと何年こうして来られるかしらと一寸寂しい話になる事もありますがだんだんと歳を重ね、いつ自分が人に助けられるか、明日は我が身、いつまでも人生の先輩をかばって楽しい一刻が過ごせればと常々思っております。総てに於いて充分なことは出来ませんが人に喜ばれる事を少しでも多くして差し上げたいと思います。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
月日の経つのは早いものです。「しらうめ」十六号で“青木会長お元気でいってらっしゃい”を記してから三年、この三月にはお帰りになるそうですね。八区の会員は、この日を楽しみに行事をこなしてきました。
八月一日、夏祭りではラーメン、スーパーボールの販売、そして九月十四日、夏祭りの売上金で、川越いも膳にて慰労会を行いました。十月四日、町民体育祭では焼きそば作り、和歌山県で毒入りカレー事件が発生したので、中止の声も出たのですが、やはり作ることにした訳です。十一月三十日、ゴミと空缶拾い、バイパス通りを一周、心地よい疲れが残りました。今騒がれているゴミ問題、嵐山町でも大きな課題となりそうです。
年が明けて一月二十八日「月の輪」にて全員参加の八区新年会、二次会は「星、月、ぴあの」という素敵なお店で、紅茶を飲みながらひとときを楽しみました。食べる事ばかりの行事となってしまいましたが、コミュニケーションを持つには欠くことの出来ない憩いの場なのだと感じました。一月三十日、本部新年会、八区の余興十八番でもある「赤城の子守歌」の踊りを期待していたのでは?と思いますが、今年は「お暇なら来てね」を秋田弁で「二人は若い」を名古屋弁で歌いました。秋田弁をご指導下さった奥平さんと一緒に、西沢、須沢、山下の三名が、スカーフをかぶり、ホクロをつけて、真面目に合唱しました。
行事が終わるたびに青木さんに報告(手紙)してきましたが、四月からは青木さんを交えて八区婦人会がにぎやかになる事と思います。
マレーシアでの数々の体験談を聞かせていただく日を、今から心待ちしております。
三年間ほんとうにお疲れさまでした。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
三年前の夏、夫の職場の人達十二、三人で、苗場山サミットと称して二泊で二千メートル級の苗場山に登山した事が有りました。そして今回がチタンサミットという訳です。
今回は日帰りで人数は六人、サミット会場は両神村の四阿屋山。なんと標高七七一・六メートル、あっと言う間に登れる山ですがそれでも結構面白い山です。
夫がある日、登山用のカップと鍋を買って来ました。その材質がチタンと言う訳です。幾つも有るのにどうしておく買って来るのかしらと内心あきれました。しかし理由は、山用道具はどうしても軽い方が良い、今迄のはキャンプ用に使うと言う事です。そして買って来た事を職場の山好き男達に「買ったよ買ったよ」と自慢げ(?)に報告をしたとか。それを聞いたA氏が「あっ西沢さんがチタンを買ったのじゃ早速山に登らなくては」と、あっと言う間にそれを使用すべく計画を立ててくれたそうです。なんと暖かい心遣い!そして一月二十三日その方も御夫妻で、我家も二人、他に男性二人、計六人で登ったのです。女二人は好き勝手に先頭を行き、男の人達は年かさの一番いっている夫を先にして後からついて来てくれる。気管支炎持ちの夫はぜいぜいと呼吸をして、そして辛くなるといかにも景色を眺める振りをして呼吸を整える。決して辛いなどと弱音は吐けない。滑る様な落ち葉をかさこそと踏みしめて歩いたり鎖につかまり岩場を登ったり、一時間半位で頂上に着く。リュックを降ろしホッとして周りの景色を満喫する。風一つなく穏やかで春の様に暖かい。夏山も良いけれど雑木林の向こう迄透けて見える淡い灰色の冬山も本当に素晴らしい。頂上の平らな所で昼食の準備、その前に先ずビール、なんとおいしいのでしょう!そしてカレーの材料を背負って来て下さったリーダーのAさん夫妻が例のチタンの鍋でカレーを作り、私達がコーヒーを沸かし…。さあ、これからチタンサミットの始まりです。先ず夫が買って来たカップとスプーンとフォークのセットを並べる。突然Yさんが素っ頓狂な声で「あっ俺、西沢さんに勝った!」。良く見るとスプーン、フォークの他に洋食用ナイフがセットになっている。勿論チタンです。「あれ、ほんとうだ!だけど山ではナイフは必要ないと思うよ、レストランみたいに両手で食べるのかい?」とニヤニヤする。全く子供の様に勝ったとか負けたとか、負け惜しみを言ったり…。「俺、他にもこんなの持っているんだよ、すげえだろう。」とわざと悪い言葉を使って他の物をリュックから出してみせるYさん。それを又、感心したりけなしたりしてゲラゲラと笑い転げる。そしておとなしいHさん、何気なくスッと出してゴクと飲む仕種。「あれ!それウイスキーが入っているのかい?ブランデーかいな?」それもチタンのポケットボトル、「すごいなチタンでここ迄出来る様になったのかい、画期的だよ、信じられないよ。」チタンチタンと言うけれど正式にはチタニウムと言うそうで材質は軽い上にとても硬く極端に曲げる事は無理であり、このポケットボトルはタバコの箱位の大きさですが一枚のチタンではとても出来る筈がないと言う事で良く良く見たら裏面と表面がピタッと張り合せて有ったのでした。
私は材質の事は良く分かりませんがアルミは熱を加えるとイオンが溶け出すとかでチタンはそんな事もなく軽くて硬いというので山の道具に今人気が有る様です。
おいしいカレーとコーヒーの後、食器類を写真に納めました。自分達の自慢のチタンを山のテーブルに全て並べて…。Hさんが小さな双眼鏡を取り出し貸して下さいました。これも色がそっくりなので「さすがこれもチタン!すごいね」と感心しましたらそれは違うとの事でした。
ささやかな道具を見せっこしてわざとけなしたり感心したり男の人と言うのは少しの事でもすごくそれを楽しんじゃう所が有るのだなあと感心してしまいました。もし女の人がこれ持っている、あれ持っていると見せっこしたらいやみになってしまうかなとちょっぴり思ってしまいました。男の人のケナシの上手さ、ジョークそしてロマンに羨ましいものを感じました。
頂上でのサミットを終え麓の風呂に入って帰って来た次第です。企業戦士の日頃のストレスを洗い流せたかしら…。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
平成十年(1998)五月二十一日に埼玉会館大ホールにて県婦連創立五十周年記念大会が開催されました。県婦連の役員を十年以上された方々六十九名、五年以上役員をされた方三十八名の表彰などがありました。婦人会の創立の頃の様子のなどがスクリーンに写し出されたり、国立婦人会館が嵐山町に出来た頃のフィルムもあってとても印象的でした。
午後は長野大学教授の矢嶋領先生の「高齢社会の医療と介護」という講演でした。先生のお話はユーモアがあふれたものでとても興味ぶかいものでした。「歳をとるのは皆一緒なのだから歳を重ねることに余りくよくよせず、元気な人がそうでない人の為に一緒に生活する。年齢は関係ない。」ということでした。又「なるべく老人ホームなどの施設を町の中央に近く便利なところ(病院、役場、幼稚園の側)に建てることが理想である」という先生のご意見でした。
しかし、老いはまちがいなく私にもやってくる。今の私の心がけは足が一番先に衰えるような気がしますので毎日時間を決めて歩くことをこころがけています。(一時間くらい)「婦人会が皆さんと一緒になるべく長く続きますよう」県婦連記念大会に参加して改めて感じました。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
一、私たちの年金はこれからどうなるのか?
二、遺伝子組み換え食品が私たちに与える影響は?
三、環境ホルモンを始めダイオキシン等、私たちの暮らしはどうなるのか?
四、蛋白資源と私たちの健康
五、見直されている日本型食生活
という、内容で、最近新聞・テレビ等で見聞きするタイムリーなテーマだったので楽しみに出かけました。
会長さん、副会長さんとの昼食も楽しく、全講座出席することが出来ました。ところが、内容について人に話そうとすると困ってしまいました。
それぞれすばらしい専門分野の講師の方々に話していただいたのですが、心に残ったことは、わずかだったからです。それは次のようなことです。
一、年金問題は、社会に大きな問題があると事例は多くあったが、私たちの年金はこれからどうなるかと云うことについては、個々に考えなさいという結論。
二、遺伝子組み換え食品については、まだ安全性が十分確認されていない食品が出回っている状況と、食料を輸入に頼っている日本人が世界の実験台となっていると云うこと。
三、環境ホルモンについては、日本がゴミの焼却主義を取っていることに大きな問題があるとのこと、世界中でこんなにゴミを燃している国は他にはないそうです。
一~三まで、その歴史及び用語の説明からはじまる講座であり、私の書いたのは、その一部ですが、どれも政治や、行政の力で何とかしてほしい問題ばかりでした。
しかし、私たちには関心をもち続けること以外、どうしたらよいかわかりませんでした。
四、五、の中では、高蛋白質が成長期及び老化防止に大切なので肉を食べて下さいという、(財)日本食肉消費総合センター制作のビデオを見ました。
日本型食生活については、備蓄米「たくわえくん」が大量にあるので、備蓄米を消費してほしいとのPRのために、三日目の昼食に浦和食糧事務所から豪華なお弁当をいただきました。
私は、婦人会というのは、いろいろな団体や行政とも協力して歩んでいくものだとは思っていますが、それらを丸呑みして、そのままなにもかも受け入れることには疑問を感じます。
最後に、この講座で、
・成人病を今は、生活習慣病ということ。
・更年期をのりこえるためには、食事に注意し、腹八分目、一日三十品目(特に朝一〇品目)をとること、一日一本の牛乳と運動を心がけること。
など私にとって健康について再認識のよい機会となりました。
さて、これから何日続けることが出来るでしょうか!
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月
☆環境ホルモンとは(外因性内分泌攪乱化学物質)
ダイオキシン・PCB等の健康に障害を与える化学物質に加えて今まで安全と考えられて、環境中に放出されていた農薬、海面活性剤、プラスチック原材料等の化学物質の中にも人体に悪影響をもたらすものがあり、これらを総称して環境ホルモンと呼ぶ。
☆環境ホルモンがどのように生れたか
・第一次大戦で毒ガスを使用し塩素登場、その塩素化合物(PCB・DDT・塩ビ等)の利用が広がった
・第二次大戦では、より便利なエネルギー源として、石炭から石油へと代わり、石油合成物質利用につながった。
・戦後の復興著しく高度成長期を迎え、加工しやすく、丈夫で長持ちの塩ビ・プラスチック等は応用範囲が広いため、大量生産・大量流通を促し、使い捨て社会(千九百六十年代の日本)に突入していった。
加えて、スーパーやセルフサービス店が次から次に進出し、トレイ・ラップ等の使用が増え、こみは飛躍的に増大、ゴミの処理に焼却方法を選んだため環境に多大な影響を与えることとなった。
一方農業においても近代化・合理化にともない有機塩素系農薬全盛時代となり、環境破壊の一翼をになった。
☆人並びに動物への影響
ホルモンは本来体内で作られ身体を維持する情報伝達の役割を担っているものですが、環境ホルモンが体内にはいるとあたかもホルモンと同じように作用するため身体に悪影響を与える。特に生殖に異変を生じている例が多くみられる。
・汚染した魚を食べている鳥類で、雄の雌化がみられ、性比が不均等になっている。
・汚染した鰐の例では、雄のペニスが異常に小さく、また何らかの異常があり普通の鰐の三〇パーセント程しか生殖出来ない。
・人間においても潜伏睾丸、尿道下裂、子宮内膜症、乳ガンの増加等が環境ホルモンのせいではないかと疑われている。
☆環境ホルモンとして知られている物質は、七十種類と云われているが、世界で一千万もの化学物質を合成している現在、環境ホルモンとして作用するものが何種類かはっきりわかっていないのが現状で、人間に及ぼす影響について、研究を進めてほしいと願うとともに、次のような自衛策を伺いました。
☆私たちに出来る対策はあるのか
社会的に大きな問題であって、個人で自衛することは小さなことだけれど、長い間には実行するのとしないのとでは大きな違いがでる。自分で出来ると思ったことだけでも実行しよう。
・無農薬・有機農業を支援
・暮らしを変え、シンプルライフを
・ゴミは出さない、燃さない、徹底した分別をし、自然に返す
・プラスチック排除と自然のもの中心の生活。特におもちゃ等自然木で作ったものを
・動物性脂肪を含む食品を多く取らない。PCB等、動物の脂肪に吸収されるので
・缶入り食品をさける。缶の内側にプラスチックでコーティングしてありこれが溶け出す
・洗剤・化粧品・蚊取り線香・蚊取マット・衣類防虫剤・トイレ防臭剤にも環境ホルモンが使われている。木炭・ハーブ・自然木等自然のものを利用しよう
・ラップは買わない、買うときはポリエチレン製を。燃やすとダイオキシン発生
☆感じたこと
動物や人の生殖異変と云うことから、環境ホルモン問題が騒がれています。本日の講師の話をきいて全部理解できたわけではないのですが、地球全体の健全化、私たちの子孫が永久に安心して生活できる地球を守るために、大気や水を汚さず環境浄化を考えていくことが必要だと思いました。
それにはより自然な生活を(シンプルライフ)、自然とともに生きていくことを、と願っています。
菅谷婦人会『しらうめ』第19号 1999年4月