武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

追憶 山岸乃婦子 1980年

2010-03-03 23:59:55 | 1980年

   弱い力も集りや強い
     もとは利根さへ一しづく
 昭和二十三(1948)、四年(1949)頃、戦時中の重圧感から解放され、元菅谷村全体の菅谷村婦人会が発足した。婦人の教養を高め、会員相互の親睦をはかるを目的とした非常に多忙な婦人会活動であったが反面楽しい婦人会でもあった。
 四十一年(1966)純農家の主婦が中央に集まるのが大変との理由で支部が解散になり、本部が休会した。今のように各家庭に電話あり車ありの時と違い、事あるごとに遠路砂利道を自転車連絡で、それに留守が多く無理もない事と思った。
 休会したものゝ、凧の糸が切れたようで、郡連合婦人会やら県婦連との関係で責任を感じ、前会長、副会長と協力し、各方面に呼びかけ、四十三年(1968)再発足した。
 月日は流れて嫁から姑になり孫に恵まれた今日、振り返ると皇居見学、船橋の汐干狩、又春の一日青年の家でのテーブルマナー等、思い出はつきない。

   かけ橋に鶯鳴けり峡の駅

 連絡の帰り道、川島の土手から取って来た月見草が今年も芽生えた。毎年夏の夕ぐれ誰も見てくれないのに優しい大きな花をつける。そっと私はそれを見に行く。私の大好きな想い出の花。
 良い環境に恵まれ、若き良き会員と共に菅谷婦人会のますます発展される事を祈ります。

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


白梅発刊にあたって 菅谷婦人会長 村瀬信子 1980年

2010-03-01 23:57:00 | 1980年

 この度菅谷婦人会の機関紙として『白梅』の第一号を発行する事になりました。
 新年会の折、皆さんに名前をつけていたゞいた『白梅』は来年度から会員の方達の近況や意見、感想をのせ、忙しくて中々出て来られない方々のためにも続けてゆきたいと思いますので、よろしく御協力下さい。
 54年度婦人会もすべて終りました。この一年会員の方達の御協力に感謝いたします。又役員の方々は本当に御苦労様でした。婦人会は夫々忙しい方達のボランティアの気持に支えられているのだと思います。
 御存知のように嵐山町には沢山の婦人会がありますが、地域婦人会として全国的な組織に参加しているのは、この菅谷婦人会だけです。婦人会は友達が出来たり、勉強したり、自分の向上のためばかりでなく、少しでも地域のためにも役立ちたいものです。今年はベトナム難民のおやつ代かンパ等も協力しました。この一年親睦と健康をテーマに、しめくゝりに学習ボランティア活動をいたしました。
 幸せな事に、国立婦人教育会館が近くにあり、色々な施設を使って研修が出来て、特に体育部で10回にわたって行った水泳教室で、若い会員が新しく参加してくれました。
 みかん狩や札所めぐり等楽しい行事、そして皆さんの善意のチャリティーバザーも好評でした。今都会では、デパート等が企画して色々な教室が花盛りとの事です。婦人会も上手に活用すれば皆さんの希望する事が気軽に出来ると思いますので、生涯教育として多勢の力で盛り立てて行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

   菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年


明日の発展に向って ともろう会会長 武谷敏子 1980年3月

2009-06-22 23:20:00 | 1980年

 ともろう会が発足して、すでに二年が経ちました。
 住みよい地域社会をつくることを目的として、当初五十三人の会員が集りました。二年後の今は九十六名に増えています。
 会員の増加が会の発展を意味すると、単純に考えるわけにはいきませんが、少なくとも会の衰退ではないと思います。
 年度当初の計画を殆ど終えた現在、一年間を顧る機会でもあり、まとめを御報告することも必要かもしれません。しかし、この一年間に、何を、どう行なったかをおしらせするよりも、ともろう会がどうあるべきかを記した方が、より建設的ではないかと思います。
 二年間に渉り行なって来たことは、又、今後も続けなければならないことではありますが、殆ど会員相互の親睦をはかる目的で行なわれたものです。それは、親睦を除いては何事も成し得ないからです。
 会員相互(住民)が知り合い、年令や、家庭環境の相違から生まれる話題は、お互いに新しい知識や、違う考え方を学ぶことが出来ます。更に一つの行事に向けて協力し、おおぜいの力の強さをあらためて認識した時、そこに連帯感が生じます。
 部長や、地区連絡員の御苦労は、活動をスムーズにし、会員のつながりをうながす潤滑油になっています。
 ともろう会の基礎がこれで充分とは云えませんが、一応形が備ったのではないかと思います。しかし心ある人々にとって決して満足して頂いているとは思えません。
 主婦をとりまく社会情勢もあらためて考えて見ますと、発足当時の二年前に較べるだけでも、経済生活は日々に圧迫を受けています。その上に世界情勢は日進月歩と共に国際問題は危機感をさえ覚えます。
 個人ではどう抗しようもない、さまざまの問題にとり囲まれているのが現状です。
 そんな大きな問題は、自分には関係がないと言われるかもしれません。決してそうではないはずです。私達が、ほんの少しの注意を怠ったばかりに、汚水処理場の機械の回転が止ったとしたらどうでしょうか。自分ひとり位はいいだろうと行なう行為が公害の原因になっているかもしれません。
 価格が高いのも止むを得ないと、何の抵抗も示さないことが、物価の上昇をほしいままにしているかもしれません。
 何故そうなるのか、何故そうしなければならないのか、身の廻りをおう一度見直してみたものです。
 家庭を守る立場にいる主婦が、家庭を脅かすものから目をそむけてはいられないはずです。
 個人では背負いきれない問題を多くの知恵と、行動で、よりよい生活に結びつけていくことが、地域社会に生きている証しになるのだと思います。
 ともろう会が、地域の方達に利解され、深く根づいた時、その時こそはじめて、会が発展したと言えるのではないでしょうか。
     『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日


ともろう会第2回スポーツレクプログラム 1980年5月

2009-06-18 10:58:00 | 1980年

   第2回 スポーツレクリェーション
     プログラム  昭和55年5月27日(火)
                 午前9時30分-1時
                     第一公園於

   種目          回数  人数
1 ラジオ体操         1 全員
2 なわとび リレー      5 各チーム10人
3 パン食い競争        5 寿楽会、来賓、各チーム5人
4 ラケット・レース     10 各チーム10人
5 ボールおくり        1 寿楽会全員
6 へんしーんゲーム      1 各チーム6人
7 カード合わせ二人三脚    3 各チーム6人
8 たまいれ          1 寿楽会・来賓の全員
9 綱引き           1 全員(地区対抗)
10 血圧ゲーム          寿楽会、来賓
11 借物競争          5 各チーム、来賓5人
12 障害物リレー        5 各チーム5人(地区対抗)
13 盆おどり、フォークダンス   全員

競技点数は個人、団体とも次のとおりです。
 1位-5点、2位-3点、3位-2点、4位-1点

参加者名簿 【参加者氏名 略】
 赤(19)
 白(20)
 緑(21)
 黄(22)

※この資料は、町沢朝子さん提供。


「ともろう会会事務局だより」18号 1980年12月

2009-06-02 13:55:46 | 1980年

   事務局だより 18 S55.12.25
                ともろう会事務局
  ごくろうさまでした
 十二月十六日(火)、自治会館の大掃除が行なわれました。エプロン姿の皆さん約五十名により短かい時間のうちに、隅々まできれいになりました。
 一汗流した後のお茶の美味しかった事。それぞれに話もはずみ十二時頃終りました。

  楽しいプランで笑い初めを
 五十五年度新年会は準備委員会の手によって進められています。
 参加者は現在五十七名ですが、一月八日までは追加申込みを受けます。
  場所 川島自治会館
  日時 一月十三日(火) 十時半より二時まで

  ヨーガ教室前期終了
 十月から始まったヨーガ教室は、十二月二十二日で前期終了します。
 月二回の教室ですが好評で、毎週でもという声もあります。毎日家で少しづつ続けると、尚効果があるようです。後期も前期同様に行ないます。詳しくは追ってお知らせします。

  経過報告
10/27 ヨーガ教室
10/30 サイクリング(レク部)
11/6 バスハイク
11/11 役員会
11/17 自治会館外まわり清掃
11/18 運営委員会
11/29 料理講習会(文化部)
12/2・12 新年会実行委員会
12/4 県政移動教室
12/11 レク部 部会
12/16 自治会館の大掃除

  新人ですよろしく
 原口班 佐藤洋子
 現在は会員百十五名です。

  おしらせ
12/27(土) いけ花講習会 自治会館
1/13(火) 新年会 川島自治会館

  来年もよろしく
 会員の増加に伴い、各地区の活動が目立った一年でした。
 八十年を終るに当りまして会員諸姉の御協力に感謝し、来年の一層の御活躍を期待します。
   どうぞよいお年を

※この資料は、町沢朝子さん提供。


「ともろう会会事務局だより」16号 1980年7月

2009-06-01 12:31:00 | 1980年

   事務局だより 16 S55.7.23
                ともろう会事務局
  めざましい地区活動
 またたく間に前期の活動も終りました。最も著しい進歩として地区活動があげられます。
 動くのも動かないのも自由な立場にある地区は、自主性を発揮する最適の場であるともいえます。
 多くなった会員のコミュニケーションの場所を地区に求められれば、ともろう会の基礎も更に確立するでしょう。

  運営委員会で
 七月十四日、第三回運営委員会を開き、作品展について話し合い、実行委員会(各地区より一名選出)を設置し、進めることになりました。
 作品展の日程は、
   十月二十五日(土)、二十六日(日)

  経過報告
6/14 第二回水泳教室
7/5 第三回  〃
7/12 第四回 〃
7/4 木目込み人形講習会(文化部) 参加者 二十七名
7/10 部会、フォークダンス、盆おどり練習会(レク部)
7/15 文化部部会

  水切りをしっかり
 あやぶまれた雨をおして出掛けた施設見学(7/8)は途中で晴天に変わり、まず小川町外五ヶ町村合併で建てられたゴミ焼却場へ向いました。係の方からの詳しい説明を聞きながら焼却施設を見てまわりましたが、驚くことが多く、改めて生ゴミ搬出について反省させられました。生ゴミに含まれている水分が、いかに焼却の妨げになっいるか、それにかかる電力量と支払われる金額(税金)の莫大なこと。主婦として十分に気をつけましょう。

  中国陶磁展を見て
 七月一日、リーダー研修として(十六名参加)、国立博物館における中国陶磁展を鑑賞しました。イギリスのデヴィット卿のコレクションの中から、小宮廷コレクションとして百点展示されていました。
 中国の生んだ美の清華に直接触れ、毎日の忙しい生活の中でのひととき、心を洗われる思いをしました。

  交替します
文化部の部長替る
 清水美智子さんの転出により、田中禮子さんが部長に、鈴木育代さんが副部長に決まりました。
 清水さん御苦労さまでした。
 文化部の移動により、鈴木班の地区連絡員が、清水千鶴子さんに替りました。名簿上の訂正をお願いします。 鈴木班→清水班

  よろしく
大村班 斉藤淑子(文・レ) 荒井教子(レ) 【電話番号略】
原口班 八木桂子(レ) 平石トミエ(レ)

  おしらせ
7/24(木)・31、8/5(火)・19 レク部 民踊講習会
8月中 生活教養部 洗剤の勉強会
9/20 文化部 七宝焼講習会
9/29 ヨガ教室

 ただいま会員は百十六名です
 健康で有意義な夏休みを
     後期の活動に期待します

※この資料は、町沢朝子さん提供。


「ともろう会会事務局だより」14号 1980年5月

2009-05-31 00:17:57 | 1980年

   事務局だより 14 S55.5.13
                ともろう会事務局
  今年度のスタートは運動会から
 会員相互の親睦をはかり、今年度の活動の充実を願って、スポーツ・レクリェーションを行います。各地区一名、レク部四名、役員会で実行委員会を構成し、五月九日、第一回の会合を開きました。
 地区対抗の形式で行なわれますので、各地区ともおお勢参加して下さい。
 なお、昨年同様、寿楽会の皆さまを御招待します。
 日時 五月二十七日(火)午前九時半~1時
 場所 第一公園
 その他 各自昼食持参のこと

  五十五年度新役員紹介
 会長   武谷敏子
 副会長  井上睦美
 事務局長 西野万亀子
 会計   関根マサ 木村邦子
 書記   中村和子 岡田充子
 会計監査 中野光子 中山富子

  前期分会費集金について
 五月六日現在の会員数は九十九名
 前期分会費合計は八万九千百円

  運営委員メンバー
 文化部長 清水美智子
  副部長 田中礼子
 レク部長 冨樫俊子
  副部長 高橋紀子
 教養部長 岡野璃恵子
  副部長 島田もと子
 広報部長 千野昭子

  各地区連絡員
 ・大山幸子  ・新保昭子
 ・原口富子  ・北原恵子
 ・大村琴代  ・中島ミヨ子
 ・佐久間玉枝 ・鈴木育代

  第一回連絡員会
 五月六日(火) 連絡員会議が開かれました。会長より回覧板は顔を見て手渡すようにしてほしい。それぞれの独自のアイデァで地区の親睦を深めてほしい。……との話がありました。又地区懇談会の予定を組みました。五月中の希望区は次の通りです。
5/22(木) 午前/原口班、午後/鈴木班
5/23(金) 午前/佐久間班、午後/中島班
5/24(土) 午前/大山、新保班

  おしらせ
5/15(木) 生活教養部 学習会 -粉石けんを普及するために-
5/19(月) 文化部 野外部会
5/20(火) レク部 フォークダンス練習日
・会員名簿について
 五月現在会員の増減があるので本月中に作成し、配布する予定です。

  粉石けんを使いましょう
 自治会館にあります。 3㎏ 760円

※この資料は、町沢朝子さん提供。


婦人会活発化の方法 森恭子 1980年3月

2009-05-27 00:10:00 | 1980年

 元嵐山町社教主事の大島元先生を講師として嵐山町婦人リーダー研修が行なわれました。
 昔の婦人会は国→県→市町村と上から命令され、強制的に何かをやらされる国防婦人会であっったが、今は意を同じくする人の集りとなっている。イメージチェンジのため名称を考え、婦人会とつけない方がよい。

 ・行事計画
 地域によって、時期的に、行事計画を考える。この会にはいつ頃がいちばんよいかを考えないと計画倒れになる。メンバーの年齢層によって内容が違ってくる。意を同じくして入会しても、人によっては考えが違うので、会員の意見をよく聞いて調整しながら計画を立てる。

 ・リーダーとしての条件
1.人に好かれる人(50%の人に好かれたら立派)
2.人のかげ口を言わない。
3.どんな事でも率先してやる。
4.いろいろな人と対話し、その人の良い所を見つけて自分のものにする。
5.判断力と実行力を持つ。

 ・地域集団として
 昔は主人に聞かなければ何も出来なかった婦人が、自分の家のリーダーシップをとるようになり、地域の集りにも出る事が多くなった。男性と同じ立場で、ものを考えられるよう視野を広める勉強をする。教育、社会の動き、世界の情勢を把握する、経済観念を学ぶ、発想の転換をする。

 ・後継者の養成をする
 役員を退いた人はそこで引きさがってしまわず、常にリーダーとして存在する。役員ではないから発言出来ないと考えない。

 ・入ってよかったと思われるような会に、そして次の行事が待たれるようなものにしてゆかなければならない。

 ともろう会の一員として、皆で考えたいお話でしたので、まとめてみました。
     ともろう会広報部発行『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日


ともろう会生活教養部のまとめ 岡野璃恵子 1980年3月

2009-05-26 22:28:16 | 1980年

 この部は、全会員にむかって開かれた部活動を目標と致します。部員は、企画準備を行ない、行動は会員全員のものとなるはずです。今年度は他部の活発さに比して非常に停滞したものとなりました。
 ・公開講座後の学習会:出席者は毎回10名内外で、活発に意見が出され、有意義な会合と言えますが、その性格上知識の確認、経験の交換の範囲に止まり、それを基点としての行動に拡がる所迄いかなかった。
 ・広報部と共同で「茜雲」を発行する企画は、合同企画会議の席上で却下されたので、実行できませんでした。
 ・「新聞を読む会」:時間、会場等、制約が多く、一回企画しましたが、当日、誰方も見えず流会後、実行できずに終り非常に残念です。
 以上、ひとえに部長の力量不足の故と反省しております。
 反省会に於いて、来年度は、洗剤問題を中心におき、行動を起こそうとの結論が出、とりあえず婦人民主クラブより粉せっけんを購入し、会員の皆様に市価より安くお頒けして、普及に努め、いずれは古くなった食用油を粉せっけんと交換する運動を定着させたい。
 新年度の部員増と活性化を心から祈っております。 生活教養部長岡野璃恵子
   ともろう会広報部発行『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日 「各部の一年」


ともろう会レク部の一年 阿久津勝子 1980年3月

2009-05-25 22:26:00 | 1980年

 立春もはや、過ぎたというのに、まだまだ寒い日が続いております。昨年四月、部長はどうしても無理なので変って下さい、と頼まれ、名前だけでもと部長を引き受けました。
 年度はじめに、主な年中行事を御紹介致しましたが、いざ、実行するとなると、一体何をどの様に運営して良いのか迷ってしまいました。フォーク・ダンスの講習会ですが、年三回の予定が、一回しかとれず、教育委員会の方と相談も致しましたが、先生の都合で中止となり、皆様の御希望にそえなくて、残念に思い、何かそれに変わるものを! と考えましたが、部員の方や場所の関係で思うようにいきませんでした。
 でも、町民体育祭の民踊の方では、多数参加してくださり、御好評いただきました。
 フォーク・ダンス講習会も、残り二回となりました。部長を引き受けたからには……とやる気十分でスタートを切りましたが、忙しさにまぎれ、御期待にそうような活動が出来なかった事を、深くお詫びすると共に御協力に感謝致します。
 どうも一年間ありがとうございました。  レク部長阿久津勝子
   ともろう会広報部発行『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日 「各部の一年」


ともろう会文化部の一年 河村光子 1980年3月

2009-05-24 22:22:00 | 1980年

 昨年四月部員四十六名でスタートしてから、はや、一年。ただ今、部員六十四名の大世帯です。楽しかった野外部会、との講習会も、皆さん、和気あいあい、楽しみながらの作品作り、婦人会館での料理講習会での舌つづみをうった試食会など、過ぎた日々のことが思い出されます。同時に皆さんにとって、魅力ある文化部であったかどうか、と思わずにはいられません。
 人との和、リーダーとしての心構えの如何に難しいかが、人とのふれ合いの中で、大変よい勉強になりました。部員が益々ふえる現状では、一部の役員の力だけでは本当の盛上がった活動は出来ない、とつくづく感じました。
 今後、この文化部の内容を、より充実させ、有意義な活動をしていくには部員全員が一つの輪になって力を出し合う事が大切だと思います。
 「ともろう会」の活動を益々発展させていきましょう。  文化部長河村光子
   ともろう会広報部発行『茜雲』7号 1980年(昭和55)3月31日 「各部の一年」


「ともろう会会事務局だより」17号 1980年10月

2009-03-30 10:45:00 | 1980年

   事務局だより 17 S55.10.18
                   ともろう会事務局
  作品展のお知らせ
 各班の実行委員により準備が進められてきた作品展が近づいてきました。
 御近所お誘い合わせておいでください。
  期日 十月二十五日(土)午後一時~四時
     十月二十六日(日)午前十時~十二時 午後十二時半~三時
  搬入 十月二十五日(土)午前九時半~十一時
 作品は搬入時間におくれないように御持参ください。なお、当日搬入できない方は前もって、左の委員宅までお届けください。
 また、生花を出品なさる方は、あらかじめ自宅にて生けたものをお持ちくださるようお願いします。
 作品展実行委員 大山班・大山幸子  新保班・斉木三枝子  原口班・河村光子  北原班・安在清子  中島班・田原冨巳子  大村班・中山富子  清水班・高浜和世  三井班・森田美智子

  ヨーガで若返り
 九月二十九日行ったヨーガ体操は非常に好評でした。参加者の要望で今後も続けることになり、新しくヨーガ体操グループが誕生しました。毎月第二、第四月曜日、午前十時半から十二時まで(十一月は三日と二十四日)です。定員まで四名のあきがあります。

  会館の庭そうじ
 十月から毎月第三火曜日に自治会館の庭の草とりをすることになりました。
 有志の声で自発的にということなので、都合のつく方は参加してください。
 十時に自治会館へ集合しましょう。
 十月は二十一日です。

  水泳教室の幕とじる
 六月より行なわれていた水泳教室が十月十八日で終りました。
 熱心に通ったグループの皆さんは見事な成果をあげました。
 皆勤なさった方は次の五名です。
  和田栄子さん 浜田春子さん 勝俣誠子さん 甚野美代子さん 三井幸子さん

  経過報告
9/4 役員会
9/14 作品展実行委員会
9/16 運営委員会
9/18 作品展実行委員会
10/3 地区連絡員会議
10/6 ヨーガ教室打ち合わせ会
10/10 町民体育祭 民踊参加

  お知らせ
ヨーガ教室 参加者二十六名
11/6 バスハイク 神社までのケーブルカー代と宝物殿拝観料が千円くらいかかります。
10/20 皮手芸 文化部
10/21 自治会館の清掃
10/25-26 作品展
11/2 壮年体力テスト 婦人会館

  「わかめ」と「こんぶ」
 お正月用の「日高こんぶ」の注文を受けます。「わかめ」と同じ仕入れ先です。
 三五〇グラム 千円  申し込みは井上宅【電話番号略】
 わかめの注文も常時、受けています。

  後期、ともろう会の会員は十月十八日現在百十四名です。会費募集も終了しました
新会員 大山班・小竹愛子  新保班・本間幸子  三井班・根岸和江
退会者 新保班・高須志津子(四国・高知市)  中島班・長谷部国子  三井班・三瓶三枝子


「ともろう会会事務局だより」15号 1980年5月

2009-03-29 09:37:00 | 1980年

   事務局だより 15 S55.6.24
                   ともろう会事務局
  懇談会を終えて
 五月二十二日に始まった地区懇談会は、六月十日を最終に終りました。会員も増え、殆どが自治会館を使いましたが、出席率もよく和やかな中に、各地区からいろいろな、希望や意見が出されました。作品展の合同製作や読書会等、独自な地区活動のきざしも、見受けられ、親睦の輪が、徐々に広がりを見せているようです。

  赤組優勝
 五月二十七日(火)第一公園に於いて、スポーツ、レクレーションが行なわれました。聚楽会の皆さまを御招待し、八十余名が参加し盛会の裡に終りました。

  水泳教室は満員です
 六月七日から始まった水泳教室も順調に進み、希望者も五十名近くなり、菅谷婦人会と合わせると百名者大人数となりました。会館プールは百名が定員なのでこれからの希望者は、残念ながらお断りという状態です。九月まで十回、みなさんがんばって下さい。

 ただいま会員数は百十二名となりました。

  経過報告
6/6 役員会  6/11 運営委員会 年間行事計画
6/12 文化部 パッチワーク講習会 参加者41名

  町議会を傍聴して
 去る六月十三日(金)、町議会傍聴に行ってきました。ちょうど宮川議員の一般質問から始まり、ゴミ袋値上げの件や、環境整備や、合成洗剤について等、身近かな問題についての質疑応答がありました。一度、議会を見学するのも勉強になります。

  重忠ゆかりの岡部町との交流会
 六月十四日(土)岡部町連合婦人会と、ともろう会との交流会が、婦人会館で行なわれました。同じ県内でありながら、それぞれの地域の実情にそった活動が活発に、話しあわれました。

  おしらせ
6/27(金) レク部 フォークダンス講習会
7/1(火) リーダー研修会 国立博物館
7/4(金) 文化部 木目込み人形講習会
7/8(火) 施設見学 ゴミ焼却炉、小川和紙、慈光寺
・8班の連絡員さんが三井幸子さんに変りました。佐久間班→三井班

  準備願います
 少し先の話で恐縮ですが、十月に作品展を開きます。今から心づもりをしておいて下さい。詳しいことは、追ってお知らせします。


「ともろう会会事務局だより」13号 1980年5月

2009-03-28 12:47:29 | 1980年

   事務局だより 13 S55.5.13
                   ともろう会事務局
  今年度のスタートは運動会から
 会員相互の親睦をはかり、今年度の活動の充実を願って、スポーツ・レクリェーションを行います。各地区一名、レク部四名、役員会で実行委員会を構成し、五月九日、第一回の会合を開きました。
 地区対抗の形式で行なわれますので、各地区とも、おお勢、参加して下さい。
 なお、昨年同様、寿楽会の皆さまを御招待します。
  日時 五月二十七日(火) 午前九時半~一時
  場所 第一公園
  その他 各自 昼食持参のこと

  五十五年度新役員紹介
 会長   武谷敏子
 副会長  井上睦美
 事務局長 西野万亀子
 会計   関根マサ
      木村邦子
 書記   中村和子
      岡田■子
 会計監査 中野光子
      中山富子

  前期分会費集金について
 五月六日現在の会員数は九十九名
 前期分会費合計は八万九千百円

  ☆運営委員会メンバー☆
 文化部長 清水美智子
  副部長 田中礼子
 レク部長 富樫俊子
  副部長 高橋紀子
 教養部長 岡野璃恵子
  副部長 島田もと子
 広報部長 千野昭子

  各地区連絡委員
 ・大山幸子  ・新保昭子
 ・原口富子  ・北原恵子
 ・大村琴代  ・中島ミヨ子
 ・佐久間玉江 ・鈴木育代

  第一回連絡委員会
 五月六日(火)連絡員会議が開かれました。会長より、回覧板は、顔を見て、手渡すようにしてほしい。それぞれの独自のアイデァで地区の親睦を深めてほしい……との話がありました。又、地区懇談会の予定を、組みました。五月中の希望地区は、次の通りです。
 5/22(木)午前/原口班、午後/鈴木班
 5/23(金)午前/佐久間班、午後/中島班
 5/24(土)午前/大山、新保班

  おしらせ
 5/15(木) 生活教養部 学習会 -粉石けんを普及するために-
 5/19(月) 文化部 野外部会
 5/20(火) レク部 フォークダンス練習日
 会員名簿について
  五月元治、会員の増減があるので六月中に作成し、配布する予定です。

  粉石けんを使いましょう
   自治会館にあります 3㎏ 760円


主婦と社会 進路をきく〈5〉 縫田曄子 1980年

2009-02-03 22:09:19 | 1980年

   国内外の情報ネットワークを
            女性同士が手をつなげ

  女性の声効果的に
 -長年、婦人問題にかかわってこらたわけですが、「女性にとっての望ましい社会」の姿とはどんなものでしょうか。
 縫田さん 女性が、ひとつしかない命、二度とない人生を精いっぱい燃焼できるような社会、これがめざすところです。これは、もちろん男性にとっても同じことでしょうが、いまの社会だと、ともかく女性のほうが生きにくいですからね。
 -そのためには、足かせになる社会通念などに、女性からどんどん問題提起をしていくことが第一歩と言われましたが、その次に大事なことは…。
 縫田さん 女性同士が手をつなぐことです。“こういうことはおかしい”と言った問題提起も、あっちでポツリ、こっちでポツリではね…。いまや、多くの女性が自分の生き方を問い直し始め、そのなかで足かせをはだで感じて共通の問題意識をもち始めたのだから、これからはその個々の声をつなげていくことが、社会を変えるうえでもっとも効果的だと思うんですよ。
 -その意味では、国際婦人年のとき、四十一にのぼる民間の婦人団体が手をつないで「国際婦人年日本大会」を開いたときは、注目されましたね。
 縫田さん ええ、あの時は本当に感動しました。なにしろ史上初めてのことですものね、あれだけ思想のちがう婦人団体や労組婦人部などが一堂に会したのは…。あの集まりは、大会後解散になりましたが、五年後の今秋、「国連婦人の十年・中間年」を機に今度は四十八団体が集まって、再び大会が予定されていると聞いていますよ。

  選択の幅ある社会に
 -しかし、あの大会が“画期的”と言われたほどに、グループなどが手をつなぎ、足並みをそろえて一緒に…というのは、なかなかむずかしいようですが。
 縫田さん そうですね。これは女性に限ったことではないのですが、日本人はマジメというのか潔癖主義というのか、意見の違う人を締め出してしまったり、思想・信条の異なる人を頭から色分けしたがる。そのため、ひとつひとつのグループが閉鎖的になるだけでなく、グループ同士がつながっていくということもヘタなんですね。
 -あの集まりは、そのむずかしさをどうやって乗り越え実現されたのでしょうか。
 縫田さん 市川房枝先生の熱心な呼びかけがあってのことだったわけですが、声をかけた六十一団体のうち、参加したのが四十一団体。それでも、いざ開催にこぎつけるまでには、“現状と問題点”の分析や“要求”のかかげ方などでやはり意見がくい違い、大いにもめたいきさつはあったらしいですね。でも、とにかくまとまれたのは、互いの違うところばかりを論じるのではなく、共通することを論じあう努力がなされたからだと思いますね。
 私は、そうしたやりかたをしていけば、いろんな人、いろんなグループもまとまっていけると思うのね。とくに女性の場合は“女性にとって、もっと幅広い選択のチャンスがある社会を”という共通の目的があるのだから…。
 -多くの人やグループがまとまっていくためには、やはり核になる存在が…。
 縫田さん そうなのですが、いつまでも個人の力に頼っていては困ると思うのね。個人を核にしてのつながりでは、次のリーダーが育たなければ、あとが続かないということになりかねないですから。
 -望ましいのはどんなつながり方でしょうか。
 縫田さん 個人じゃなく、“場”でつながることだと思うんです。実は、この会館が、その“場”の役を果たせたら…というのが私の願いなのです。いろんな人がここに集まってきて、働いている人と主婦、年配の人と若い人…とさまざまな女性が出会って、互いを知るなかで共通の理解ができ、仲間がどんどんふくらんでいく。そうなれば、グループ同士だけでなく個人もふくめた女性同士のつながりが、育っていくんじゃないかと思うんです。
 -そのためには、どこにどんな女性がいて、何をやっているか…という情報が少なすぎますね。
 縫田さん そうなんです。男性の場合は、先輩から後輩へ、あるいは職場の同僚の間でも、ごく自然にネットワークができる。そして、そのパイプを通して、情報などが伝授されていくわけでしょ。ところが女性の場合は、個人の得た情報や経験が往々にしてそこだけでストップしがち。せっかくの“生きた情報”が次の世代や他のグループに活用されないで埋もれているわけです。
 これからは女性の情報ネットワークづくりをしなければ…。また会館にかける私のユメになりますけど、そのためにここに婦人関係の情報・資料センターをつくりたいと思っているんです。

  地位向上では一致
 -外国では、そうしたネットワークづくりはどうですか。
 縫田さん アメリカには女子大などで、たくさんの情報・資料を集めているところはあるようですが、まだ少ないですね。
 でも、各国とも大いに必要性は感じ始めています。先月、私が日本代表として参加した国連の「マスメディアと女性」セミナーでも、各国から“婦人関係の情報ネットワークをつくりたい”という希望がずいぶん出てました。まずそれぞれの国のレベルでつくり、いづれは国際的レベルのものを…と。
 -女性同士が世界的なつながりを深めていく時期にきているんですね。
 縫田さん この七月、デンマークに世界の女性が集まって開かれる国連主催の世界会議は政治的な立場の相違などでいろいろむずかしい問題はあるものの、ともかく女性の地位向上をめざすという点では一致しているわけですね。
 この世界的な流れが逆行することはもうありえないのですから、これをいかに自分のものにしつつ、まわりと連帯していくかが、今後のひとり一人の課題です。     (おわり)
          [聞き手:辻田ちか子記者・斎藤由美記者]
     『産経新聞』1980年(昭和55)6月20日