武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

「ともろう会だより」1号 1990年4月

2009-05-18 11:02:00 | 1990年

   ともろう会だより 1号 1990年4月10日

  新年度スタート!          清水千鶴子
 縁あって三月の下旬から、長崎・京都・奥多摩・越生の地産霊園の桜の花を見せてもらいました。その場所、その場所で大変風情がありました。丁度会員の皆様のように……
 急に暑くなったり寒くなったりで、冬物・春物を着たり脱いだり、会員の皆様方もお忙しい事と存じます。
 三月二十九日(木)七時三〇分より自治会館に於いて平成元年度の総会を皆様方のご協力で無事終了しました。ご苦労様でした。
 改めて新年度の「ともろう会」は歩き始めました。今の年代はお互いに一人ひとりが目覚める時、充実した楽しい会にしたいものです。
 「春の風がぼくの心を通り抜けるころ知識の香りがほしくなる」とテレビで誰かがコマーシャルしていますが、早速四、五月にかけて本当の知識の吸収に外に飛び出してみましょう。
 「あなたが主役」から「みんなが主役」に、そして今年度は「みんな一緒」で行けたらいいな!
 平成二年度の役員は次の通りです。尚、切り抜き学習会は、今年も引き続き武谷敏子さんにお願いしました。よろしく。お願い致します。

 会長     清水千鶴子
 副会長(会計) 田中禮子
  〃 (書記) 安藤正子
 連絡員    鶴田千恵子
  〃     新井昌子
  〃     稲垣城世

  切り抜き学習会
 毎月第三金よう日 午後一時三〇分より
          志賀二区自治会館にて
 本年度最初の学習会は、四月二十日(金)です。

  みんな一緒
三月二十九日 総会
 二十二名の参加者が有り、活気ある総会となりました。
三月三十一日 第十回耳の日記念講演会 三名参加しました。

 いよいよ平成二年度がスタートしました。「ともろう会丸」も帆をいっぱいに張り、追い風に乗って港を離れたところです。一年間「みんな一緒に梶をとって下さい。
 先日、山梨を旅行しました。昇仙峡では自然の営みに目をみはり、荒川ダムでは湖底にしずんだ一つの歴史を知り、ミレーの名画にも、めぐりあいました。
今年も一年間おつき合い下さいます様、よろしくお願いします。   安藤


「ともろう会だより」7号 1990年2月

2009-05-17 10:59:00 | 1990年

   ともろう会だより №7 1990年3月20日

 花の便りも届いて来る今日この頃です。
 会員の皆様方に於かれましては益々ご健勝の事とお喜び申し上げます。

 激動の平成元年度も終ろうとしています。
 一年間を振り返って過日定例会も行なわれ、皆様のご協力を心より感謝致します。
 国民負担率が40%を越えようとしています。「高福祉・高負担」を象徴しているこの数字は高齢化社会の本格的な到来を告げようとしています。これ以上住みにくい世の中にならない為一人一人が心して取り組んでいかなくてはなりません。

 最後に一年間連絡係としてお手伝い下さいました根岸さん、新井さん、関口さんに厚く御礼申し上げます。

  去る2月28日第8回定例会を行ないました。その中からいくつかの声を拾ってみました。
・切り抜き学習会はとても充実したものであった。
・嵐山町の女性を奮起させるような企画が有っても良いのではないか。
・日本人は「物持ち、金持ち、人貧乏」と言われるが「人貧乏」にならなくてよかった。
・ともろう会に入っているおかげで友達も増えて多くを学べた。
・年間を通してやれる行事が有ると、より一層団結出来るのではないだろうか。
・楽しい企画とは何んであるか考えたい。
・何人かで組んで企画してもよいのでは。
・役員会主催で考えた行事。会員の声から出た行事がなかった。
・ともろう会の主体性がなかった。
・仕事の都合で思うように参加出来なかった。
・ともろう会とは、何かを充電したいところである。
・切り抜き学習会と定例会が時には一緒でもよいのではないか。
・家庭に入っている人が少なくなって来た反面、社会に参加して行きたいと思う主婦が多くなって来ている。
・勉強して行きたいと思う気持ちが有れば、時間は作れると思う。
・色々な経験が出来、よかった。
・忙しくてあまり出られなかったのが残念だった。
 この他、多くの意見が出されました。会員全員が望む「ともろう会」とは? 永遠のテーマとして取り組んで行きましょう。

  総会
 平成元年度の総会を次の通り行ないます。
  3月29日(木) 午後7時30分より
        志賀二区自治会館和室にて

 早いもので春とともに一年がやって来ました。
 ともろう会だよりを受け持って、これでよかったのだろうかと反省しながらも、読みやすいように工夫もしてみました。
 又新たなる船出をしようとしている「ともろう会丸」です。波に揉まれながら一年間無事航海出来ますよう、会員全員で梶を取りながら平成二年度と云う港をめざして行きましょう。
 一年間おつきあいいただきまして、有難うございました。   安藤


「ともろう会だより」6号 1990年2月

2009-05-16 10:56:00 | 1990年

   ともろう会だより №6 1990年2月23日

 おめでとうございますというには遅すぎる時期になりました。
 天安門のあとに続いた自由の嵐もソ連に迄普及し、1990年代から21世紀にかけては想像もつかぬ世界の情勢になりそうです。
 私達一人一人の豆つぶほどの念願もようやくかなってくるかも知れません。
 選挙の熱風も吹き去ったが終ってみると、くやしさこの上もない議員が誕生したり……代りになる政党がみつからなかったり……皆様の想いはいかがでしたか? 言えることは政権担当党の政治改革の熱が、うすれてしまうことではないでしょうか。
 「ともろう会」も新しい年度を迎えるにあたり元年度の反省をしながら正しい新しい道を二年度に向って踏み出すための話し合いの会を持ちたいと思います。全員の方の出席を希望していますので夜を予定しました。その時を楽しみに……   清水千鶴子

  みんなが主役
1/9 新年会 18名参加
 多くの会員に参加していただき、とても楽しく過すことが出来ました。
 平成2年も健康で幸多かれる事を祈ります。
1/12 寿楽会の新年会に招待されました 2名参加
 地域の交流も活発に行なわれ一層より良い社会となりたいものです。
2/13 婦人学級始まる
 第1回「これからの婦人の生き方」
 女性史研究家千代田冨士子先生のお話をうかがいました。
2/17 第14回埼玉県文化振興会議 5名出席
 当日は午前中前嵐山町町長関根茂章先生の講演「文明の衰退を救うもの」が有り、午後からは、各部に分かれ活発な討議が行なわれました。
 ともろう会は地域文化の未来像という課題に参加、新座市と飯能市の事例発表が有り、どの地域に於いても熱心に文化に取り組んでいる努力がうかがわれました。
2/20 婦人学級2回目
 国立婦人会館の小野泰子先生の「生涯学習と婦人学習について」

  お知らせ
 定例会行います。 2月28日(水)夜7時30分より
          志賀二区自治会館にて

 3月の切り抜き学習会は3月16日(金)午後1時30分より

 庭の隅にカタクリの芽が出て来ました。もう春だよーと……
 胸の中でねむっているなにかが目を覚ますのを待っているかのように
 春!! 市の川の水も春の陽に、ひかりはじめています。


関根茂章氏埼玉文化賞受賞祝賀会祝辞 縫田曄子 1990年

2009-01-04 22:25:34 | 1990年

 関根茂章先生、ご受賞おめでとうございます。先生には、私が昭和52年(1977)から五年間、国立婦人教育会館在職のとき、町長として会館の諸事業に多大のご支援とご協力をいただきました。また、個人的にも嵐山を中心に史跡や美しい自然にご案内いただきました。公私ともにお世話さまになりましたので、申し上げたいことは沢山ありますが、今日は三つだけ話させていただきます。
 第一は知事さんのお祝辞にありました様に、国立婦人教育会館の誘致に大変ご努力をされたことです。マスコミから文部省に入り会館設立の経緯等を初めて知りましたとき、感銘を受けたのは「ある日関根町長が一人で文部省を訪れ、自らご執筆に嵐山町史を示され、嵐山は教育施設にふさわしい町です」と一冊の本を置いてゆかれたということです。これは今も文部省の語り草になっております。
 第二は、就任直後お会いしたときのことです。関根町長は「会館ができたことを非常に喜んでいるが、ひとつだけお願いがある。」と言われました。国の施設等については、できるまでは口あたりの良い話を聞かされるが、完成すると地元とは全く関係のないものになる例をよく聞くので、「どうか、会館と地域の人たちとの間に見えない垣根を作らないでほしい。」というお言葉でした。この一言は事業運営の方針の一つとして常に私の頭の中にあり、施設運営の基本的姿勢を教えていただいたと今も思っています。
 第三は、「グループ花」です。ある日先生が「縫田さんは縁あって嵐山に来られたのだから、嵐山町の女性のために何か種を残していってくれませんか。たとえば一年に二~三回女性のための講演会とか-。」と言われました。
 一方交通の講演より、核になる人達との学習会をと思い、グループを作っていただきました。この様にして発足した十数名のグループは、種子がやがて芽を出し花開くことを願って「グループ花」と名づけられ、昭和55年(1980)4月からの月一回の学習会はやがて10年を迎えます。最初に選んだテキストは埼玉県出身の日本の女医第一号、荻野吟子の伝記小説で、私はグループ学習の楽しさを味わいながら、関根先生が私に、生涯つきあえる素晴らしい友人をプレゼントしてくださったと思っています。
 以上三つのことを通じ、関根先生がどんなに嵐山とその周辺の歴史や自然を愛し、大事にしておられるかということ、そして何よりも人間を深く愛しておられるかということに心打たれます。関根先生は偉大な教育者であられると思うのです。
 日頃から敬愛してやまない関根先生について、今日、ここで、その一端をお話しさせていただく機会を与えてくださいましたこと、主催者の皆様にお礼を申し上げます。最後に先生ご夫妻のご健康とお幸せを心から祈ります。(財)市川房枝記念会理事長
     春秋会『春秋』第6号 1990年(平成2)1月1日
     十二日会会報『太平』第7号 1990年(平成2)5月12日


ボランティア活動所感 1990年10月

2008-08-19 22:05:00 | 1990年

 福祉ニーズの拡大化、多様化に伴い、ボランティア活動の巾広い展開がみられ、その真価が問われる時でもあります。福祉行政の短絡的なサービス事業化により、先駆的なグループはともすると足下をすくわれがちな状況がさし迫っています。

 ボランティア活動を単なる<社会参加>や<生きがい>と捉える意識は主体性のない安易な方向です。ノーマライゼイションの思想が確立しないままでは、誰でも、どこでも、いつでも、というボランティアには限界があります。

 また福祉に限らずその活動が拡大されている、現在、国際感覚、人権、平和についての理解が不可欠です。

 その教育がいかに大切か一時代を担う若い人のボランティア活動にはそれを踏まえた参加が期待されます。(財団法人市川房枝記念会評議員・武谷敏子)

     『普選会館ニュース』90号(1990年10月)掲載