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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

菅谷婦人会『しらうめ』第16号(1996年3月)目次

2010-12-20 01:13:00 | 『しらうめ』16号(1996)

●ノーマライゼーション 菅谷婦人会長・青木祐子

●健康を求めて その2 前号の続き 嵐山町長・関根昭二

●雑感 嵐山町教育長・飯島留一

●県外研修旅行に参加して 川島・澤エツ子

●連合婦人会研修旅行に参加して 千手堂・長島公子

●愛情弁当サービス 川島・竹間幸子

●ディズニーナイトツアーによせて 平沢・奥平正子

●文化部活動報告 文化部

●レク部活動報告 柳生幸子

●7年度の体育部

●婦人会に入会して 菅谷六区・奥平朋子

●夏祭りに思うこと 菅谷二区・藤原禮子

●青木会長お元気でいってらっしゃい! 菅谷八区・山下栄子

●秋田で出会った“いい女たち” 菅谷四区・寺山サキ子

●子育てに思う 菅谷五区・野沢万知子

●千曲川を旅する 菅谷八区・西沢洋子

●私の自慢料理から 菅谷三区・杉田勝子

●短歌 菅谷四区・佐々木ユ基

●娘へ 平沢・西照子

●俳句 川島・吉田春枝

●川柳 菅谷六区・小沢喜美子

●『しらうめ』16号編集後記


レク部活動報告 柳生幸子 1996年

2010-12-19 01:10:00 | 『しらうめ』16号(1996)

 今年のレク部は、皆様のご要望にお答えしてカラオケ教室で始まりました。四回のレッスンで「香港」「みれん」の二曲をマスターする事ができました。笠原先生におもしろおかしく教えていただきました。二曲持ち歌が出来たので婦人会の人は、旅行、宴会など十年間は安心して参加する事が出来るそうです。
 又、十二月で忙しい所、湯沢温泉グルメの旅には、大勢の方に参加していただきありがとうございました。青木会長が気に入って何回も行った「あざみ亭」のフランス料理のフルコース、オーナー夫人の手作りで十四品目、一つ一つ真心がこもっており、飾りつけと味の良さには、思わずため息がでました。食べるのがもったいなく、写真にとりたいようでした。久し振りにゴージャスな雰囲気を味わい素敵な夜を過ごす事ができました。
 年が明けての新年会は昨年同様「ファミリークイズ」で行いました。町長さん、教育長さんをお迎えし、歌あり、踊りあり、ゲームあり、本当に楽しく又、今年も頑張って活躍できるのではないかと思いました。一年間たくさんの人達に参加していただき、レク部一同心から感謝しております。本当にありがとうございました。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


文化部活動報告 文化部 1996年

2010-12-18 01:06:00 | 『しらうめ』16号(1996)

   6月22日
お茶会……国立婦人教育会館(響書院) 参加者12名
 あいにくの雨でしたが濡れた草木、石、苔などとても趣があって心、落ち着く一日でした。お稽古の時も先生に色々質問したりわきあいあいとした中で、楽しいお茶会でした。

   10月3日・10月17日
パッチワーク教室……中央公民館(和室) 参加者15名
 眼鏡をかけて皆、一生懸命手を動かした。暑い日だったのでおやつのアイスがおいしかった。作品は文化展に出品しました。

   2月22日
料理講習会……国立婦人教育会館(調理室) 参加者15名
 メニュー 山菜おこわ・春巻・ビーフサラダ・みぞれ汁・こはくかん
 家庭料理をメニューしました。でもちょっと変わっている材料が入っています。春巻はキャベツたっぷり、サラダに、しめじが…。
 試食の時に、美味しいと言う声が聞こえてうれしく思いました。
 一年間の行事が予定通り出来てほっとしています。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


『しらうめ』16号編集後記 1996年

2010-10-20 13:19:01 | 『しらうめ』16号(1996)

 冷たい風の中で雀たちが全身の羽をふくらませて落ちた実を啄んでいます。春はもうすぐ。新庁舎も四月には完成するようです。「しらうめ」第十六号をお届けします。お忙しい中原稿をお寄せ下さいました方々ありがとうございました。(本部記)

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


娘へ 平沢・西照子 1996年

2010-10-17 07:06:32 | 『しらうめ』16号(1996)

 母が主人に「二十年あっという間だったでしょう。」と言うと「いいえ、ここまでするのに長かったですよ。」と主人は言った。私は、生まれたのが昨日の事のような気がするのに……。
 前の日「明日は稲上げをやっちゃいましょうか?」と言ったのに予定より早く生まれて、小雨は降っているしどうしたかな?と病室の窓を眺めていると、そのうちに主人が来て「義兄や姉さん達が手伝ってくれて全部上げたよ」と言った。今でもその時の話がよく出る。
 いつまでも子供だと思っていたのに着飾った娘を見たら急に淋しくなった。何故だろう……。
 姪が嫁ぐ日、義兄が声を出して泣いた。その時は、男親って「ああなのかなぁ?」女親は自分が嫁に来た身だから「きっと違うんだな?」とその時は思ったが、今の自分のこの淋しい変な気持ちからすると我が子がそうなった時私はどうなるんだろう……。
 「二十歳を過ぎたら歳を取るのが早いよ。」伯母に言われていた。本当にそうだ。いくつになっても気持ちだけは若いつもりでいるのに、あっという間に歳を重ねてしまった。
 娘へ、難しいかもしれないけど、悔いのない人生を送ってね。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


短歌 菅谷四区・佐々木ユ基 1996年

2010-10-16 18:15:25 | 『しらうめ』16号(1996)

蝶の里ほたるの里も竣工す自然よ戻れわがふるさとに

みのり田を背景に建つ碑に人道振興の地と刻まれてあり

明け初むる朝焼け雲を乗せて下る都幾の川波朱に輝く

幾度かの戦渦に散りし慰霊塔御前小さく冬桜さく

冬ざれの郭の跡の常盤木の一葉一葉に柔陽さし入る

木の葉道下りて郭の日溜りに朱のつぼみの木瓜見つけたり

貼付薬はりくるる子の遠くなり独り手探り首すじに貼る

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


私の自慢料理から 菅谷三区・杉田勝子 1996年

2010-10-15 10:47:50 | 『しらうめ』16号(1996)

   かやくご飯

材料(四人分)
 米        3カップ
 糸こんにゃく   1袋
 人参       20グラム(ささがき)
 ごぼう      50グラム(ささがき)
 油揚げ      1枚(細切り)
 醤油       大さじ1.5
 ミリン      大さじ1.5
 ちりめんじゃこ  15グラム
 水        660cc
 とり肉      80グラム(あられ切り)
 ミツバ      少々

作り方
1.電気釜に材料を入れ炊き上げる。
2.蒸らし終わったら混ぜて、器に盛り、細かく刻んだミツバを散らす。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


千曲川を旅する 菅谷八区・西沢洋子 1996年

2010-10-14 23:45:00 | 『しらうめ』16号(1996)

 我家では夫がテレビや本で見る「野田知祐」の世界に魅せられ、いつかやりたいやりたいと思っていたカヌーに挑戦する気になり三年くらい前にカヌーを買い込みました。藤田カヌーのファルトボートというのでしょうか。組立式で大きな二つの荷物に折り畳んで車のトランクにスッポリです。畳んだカヌーは大きいリュックみたいに背負う形になります。
 野田知祐は犬を連れて楽しむが我家では犬の代りに私を前に乗せ・・・つまり二人乗りです。「全国カヌーツーリングガイド」を手に千曲川に五月の連休に挑戦という事になりました。
 第一日目は関越の塩沢石打インターで降り中里村清津峡を抜けて飯山市へと向かいました。宿に着く前に川の下見をする事が今日の大事な仕事です。本をコピーした地図を見乍ら川の流れを確かめます。流れの速さ、本の通りに瀬があるか、古い橋を取り壊した橋げたがこの辺に残っている筈等々。何故千曲川のこの辺りを選んだかというと流れが初心者に向いている事、川と車道と鉄道が近くを走っていて車を走らせ乍ら川を見下ろせるからです。時々車から降り橋の上から川を見下ろし瀬の流れを確かめ、この橋の下は右よりを通ろうかとかチェックしておきます。なにせ二百メートルから三百メートルもある川巾なので―。下見が終わり途中にある飯山城跡に立ち寄り散歩がてら飯山城について歴史も勉強しようやく野沢温泉の宿へ。若夫婦がやっている民宿でしたが料理も凝っていて心のこもったもてなしとセンスの溢れる素敵な宿でした。
 翌朝、宿で作って頂いたおにぎりと、カヌーに必要な道具を詰め込みます。防水の上着(寒さ防ぎにもなる)足にはく水専用の足袋、ライフジャケット、コーヒー、カメラ等々。コーヒーは途中で岸に上がりお弁当の時、沸かして飲むつもりです。そして七時出発。舟をどこの岸に着けるか、どこに車を留めるか昨日確かめておいた場所迄直行、そして歩いて二、三分のJR飯山線「桑名川駅(無人)」まで荷物をかつぐ。勿論流れ着く場所は駅に近い所を選びます。七時四十分発長野行に乗り上流の「はちす駅」まで四十分位かかったと思います。そして川迄来ると昨日上から見た川と違い余りの雄大さにちょっとたじろぐ。舟に直角にオールを置きそれにしっかりと手でつかまり均等にバランス良く体重をかけ、一人ずつ一気に乗り込む。未知の世界へいざ出発!
 五月の流れは雪どけの水で手を入れられない程冷たい。周りを見渡せば千曲川の両岸には黄色の菜の花畑が鮮やかにあちこちに広がり、野良仕事の人達がこれからの種蒔きの準備なのか煙を上げ乍ら畑を耕している。その向こうに小高い丘が有り桜の花が点々と咲き、その又向こうに雪を被った信州の山々、遠くにかすむ上越の山々、こんな風景の中をのんびりと川を旅していく。「腰巻橋」のたもとをスタートに七つの橋をくぐり、それぞれ特徴のある眼鏡のような橋、赤い橋、つり橋等々ですが川より見上げる橋もなかなか魅力的です。昨日立ち寄り川を見下ろした飯山城趾も今日は川から見上げる事になりました。そして菜の花祭りで賑やかなも通過しました。幾つも淵があり幾筋も川の流れが分かれていてどこを通るか、水鳥の居そうな所とか、流れがきついからさけようとか、本で調べた事を参考に進む訳ですが、今でも忘れられないのは昨日橋の上から見た時はさほどの瀬ではなく白くサラサラと見えた所ですが、なんと海に突入したのかと思う程大きな波と流れで二百メートルもある川幅に四つ位の瀬があるのです。思わず「ワッーーどこへ入るの?どこ?どこ?」とわめいてしまいました。「左から二つ目だー突っ込めェー!」後ろで怒鳴る声、瀬の音が「ザアーザアー」と激しい中を「行くわヨーソレ!ソレ!」「コゲ!コゲ!」と二人で声をかけながら必死でオールを動かしました。流れの緩やかな所は手を休めのんびり流れに任せ一息するのですが流れの激しい所は一気に通り抜けないと波に飲まれてしまいます。スピードを出し舟が横向きにならないように必死で通り抜けます。まさに水面と同じ位置に自分がなる訳でザブンザブンと前に乗っている私に波が覆いかぶさって来ます。目も開けられない程大きな波にぶつかり乍ら百メートル位は有るでしょうか、ようやくの事でここを切り抜けたと思うと、今度はカーブの所の瀬にぶつかり「あーもう駄目―!」と思わず大声を張り上げてしまいました。大きな波に立ち向った為下半身がビショヌレで(水が入らない為の道具を忘れた)昼食は全行程が終わって着替えてからという事になりました。岸に上がり、まず着替えてから舟を解体し、昼食の間、陽に干してからトランクへ。宿に戻り、野沢温泉街をプラプラと散歩し、その日は終り。
 三日目は車を飛ばし鬼無里迄水芭蕉を見に出かけそして帰路へ。今回の千曲川は四十キロ四時間の行程で七つの橋をくぐりました。我家のカヌーは奥多摩の辺りで見かける激流用のと違いチンタラチンタラ遊ぶもので殆ど「沈」する事はなく今迄ひっくり返った事は一度も有りません。安全に出来ているのですが岩にぶつかるとやっぱり多少弱いようです。この年令でニュースになるのはゴメンですから良く場所を選び静かに遊ぶことにして居ります。
 何と言っても川下りで楽しいのは途中岸に上がってラーメンを作りコーヒーを沸かして雄大な景色の中で食事をしたり水鳥と会話をしたり(カモ、サギ等々)、釣をしたり、岸辺に咲く山野草に感激したり、日頃走っている車道や橋を角度を変えて下から見上げたりという事でしょうか。夫は今、四国の四万十川に挑戦したいと夢見ている様です。一緒に行ける仲間が居ればもっと楽しいのですがどなたかやってみたいという人は居りませんでしょうか。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


子育てに思う 菅谷五区・野沢万知子 1996年

2010-10-13 22:53:18 | 『しらうめ』16号(1996)

 幼い頃から十数年と子供達に接し「ごく普通なまともな子に成長すれば」と、期待を持ち続け成長の課程にあわせながら見放す事なく一生懸命に育てたつもり……。だが、一人立ちして欲しい時期になって回想してみれば、社会一般常識の無知さに落胆する事が多いのです。「普通に育てる」という事の難しさを感じさせられました。
 近頃の子供達は、簡単に言うと身勝手、相手はどうあれ自分さえ満足すればそれで良いと言う感覚のようです。相手に対する気持ちを理解し、それから自分の用件を話す、こんな心の余裕が少しでもでてきてくれればと思います。我々も含め、自分の一方的な事だけでなく視野の広い人物になってほしいものです。思っている事と現実は矛盾だらけです。でも何時でもこのような中で上手に泳いでいて良いのでしょうか。今まで夢中で子育てをしてきました。これからは、婦人会で計画して下さる行事に一つでも多く参加させて戴き、充実のできる自分の人生を歩みたいと考えています。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


秋田で出会った“いい女たち” 菅谷四区・寺山サキ子 1996年

2010-10-12 09:29:00 | 『しらうめ』16号(1996)

 第二十七回全国ボランティア研究集会、秋田集会に参加した私は、「女たちでまちづくりしようよ」こんなタイトルにひかれて飛び込んだ分科会で“いい女たち”と出会った。
 東京の佐野さん、ハンディを持ちながら六歳と四歳の子供を育てている三十代のお母さん「感謝の気持ちを忘れずに」と、さりげなく言う。
 山形の武田さんは「私はやまんば。」全国に沢山のやまんばを作るという行動的で明るい人。
 秋田の山上さんは女性農業士。学びたい、仲間がほしいという思いから作った自分のグループ作りの体験を熱く語ってくれた。
 自分の経験した「生活学校」の話をしてくれた秋田の橋野さん。
 茨城県総和町の女性のまちづくり研究会の活動報告をした武部さん。
 もう七十歳を越えているのにとても元気に話してくれた秋田の松橋さん、上田さん、草なぎさん、ホテルまで一緒だった山本さん。一人の“いい男”をのぞく三十人の“いい女たち”こんなに楽しく、こんなに熱く、こんなに自然に語りあえた事に心から感謝します。皆に分けてもらった“元気を”“勇気を”優しい心を忘れずに、今度皆に出会った時、“いい女”といわれるように努力したい。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


青木会長お元気でいってらっしゃい! 菅谷八区・山下栄子 1996年

2010-10-11 11:45:51 | 『しらうめ』16号(1996)

 「今年の三月から、夫の仕事の都合で、マレーシアへ行くことになりました。三年間、留守にしますがよろしくお願いします。」
 隣町へ出かけるような表情で語って下さった青木さん、日本狭しと今や世界に目を向けていらっしゃるのでしょうか。何をするのにも積極的で、楽しくやっておりましたね。だからこそ、夏祭り、町民体育祭等々の参加も、八区ならではの催しが出来たのかも知れません。積み立てをして一泊旅行の行事も定着しました。今年は、天童温泉、さくらんぼ狩りでした。
 これらの一コマ一コマが思い出の行事になろうとは思ってもみませんでした。八区には欠くことの出来ない青木さんの存在、今はぽっかりと穴があいたような気持ちです。
 「みんなでマレーシアへどうぞ」というお話は、次回の役員にお願いしますね。
 八区新年会の席上、壮行会にしては少し早いと思いましたが、“お元気でいってらっしゃい”の言葉を添えて、コチョウランの花を贈りました。そして二月には、今年度最後の行事でもある、集会所清掃を行ない、ゆっくりと会席料理を味わうことになっております。
 八区の行事を離れて「障害者とふれあいの集い」のお手伝いをする機会がありましたが一番心に残りました。共に楽しみ、一緒に生きているという実感を味わうことが出来たのです。青木さんが会長として力を入れたいのは、この事ではないのかと思いました。少しでもボランティア精神があったなら、温もりのある生き方が出来るのでは、そんなことを教えられました。力不足の役員だったと反省しながら、新役員にバトンタッチする事が出来、ほっとしています。
 青木さん、どうぞ婦人会のことは心配なさらず、最愛のだんな様と共に、あちらでもご活躍下さい。私達は、三年後のお話を楽しみにしております。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


夏祭りに思うこと 菅谷二区・藤原禮子 1996年

2010-10-10 09:12:03 | 『しらうめ』16号(1996)

 「楽しかったわ」「夢中で子供達と遊んじゃったぁ」「全然疲れなかったの」「これって何なのだろうね。」「童心に戻り快感だったのかしら」などなど、嬉しい言葉をかけてもらえた夏祭りだった。
 お祭りなんて、出る幕じゃあないわ、なんて日頃思っていたのに、お役目とはいえ、やればできるものだ。
 暑い中を、川越まで仕入れに付き合ってくれた子供会の人々。きれいな箱を準備してくれた人。可愛いポスターを、一生懸命書いて持ってきてくれた人。長い竹竿を遠くからもらってきてくれた人。何十個も風船を膨らませて、届けてくれた人。仕事帰りの忙しい中、リハーサルに、参加してくれた人。すっかり幼い頃にフィードバックして、前夜祭もにぎやかだった。
 人を信頼し、お願いして、暖かい心遣いをたくさんいただいて、小さな輪からだんだん大きな輪へと広がって、地域の人々と、心からふれあうことができた。
 心を開いて飛び込めば、人は力を出してくれる。貴重な体験をさせてもらった。
 楽しかった夏の想い出を、心の宝石箱に入れておこう。次はどんなものが、入るのだろうか。婦人会での、楽しい想い出が、あふれるようにと願いつつ、お手伝いして下さった方に、心からのお礼と感謝の気持をつたえたい。本当に、ありがとうございました。「案ずるより、産むが易し」のことわざ通りだった。何事にも当って砕けろの精神がまだ生かされるかなと思った楽しい夏祭りでした。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月


婦人会に入会して 菅谷六区・奥平朋子 1996年

2010-10-09 09:20:09 | 『しらうめ』16号(1996)

 婦人会に入会させていただいて一年になりました。私も五十歳となり、そろそろ社会とのかかわり(ボランティア等)を持ちたいと思っていた矢先、婦人会の「独り暮らしの老人のお弁当作り」を耳にしてすぐとび付きました。そのうらには、お料理を教わり、我が家の食事メニューにバリエーションが出来るかも、という少々不純な気持ちもありましたが、これが入会の動機です。
 初めてお弁当を作る日、恐る恐る参加しましたが、私の不安はすぐ解消されました。和やかな雰囲気で料理の分担も自由に選ぶ事ができ、誰一人威圧的な態度の人もいなく、整然と事が運ばれており、正に主婦歴数十年のプロの集団でした。それに加えてもっと驚いたのは、予定の時間より早く出来上がることでした。この様な作業は時間に追われ、慌てるのが通常と思っておりました。このプロ集団を束ねる会長の力、又『和』という言葉の重みを今更ながら感じられた私です。

   菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年3月