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武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

愛育班を育てましょう 1960年

2009-08-04 15:00:34 | 1960年

   愛育班を育てましょう
              保健婦・篠崎満子
 昨年結成されました愛育班も今年から活動を始めることになりました。愛育事業は主旨が母子の健康を護りより向上させ健全な社会人を育てあげてゆくという目標をもった一つの組織活動といえるでしょう。菅谷村の衛生統計からみましても乳幼児の死亡原因が未熟児というお母さんの胎内で充分発育しなかった赤ちゃんが多く、その他流産、早産なども相当数あります。又、家族計画が普及されている現在、まだその考え方をあやまり、人工妊娠中絶が行われていることはほんとに由々しい問題ではないでしょうか。これは衛生統計からみたほんの一例ですが、まだとりあげなければならないことはたくさんあります。このような私達の体と結びついた問題の解決をはかり、母子福祉のため愛育班活動をはじめたわけです。
 終局の目的は明るい村を作ることです。この活動は婦人が主体となって愛育班を作り保健所や村の指導者層の援助を受け、みんなの協力のもとに行うものです。班員の仕事としては受持世帯の家庭訪問や医師、助産婦などの連絡により地区の人達のよい相談相手となっていただくと共に、母子衛生について学び実行にうつしていただくということです。私達が日常生活において自分だけでは解決できない面がたくさんあり、他からの援助によって道が開ける場合も少なくありません。愛育班の仕事を通してお互が健康的な生活をうちたてていただきたいものです。
 今年は次のような計画にもとずいて事業を行うことになりましたので愛育班活動の本質を理解いただくとともに協力のほどお願いいたします。
一、愛育班役員基礎講習……七月
一、乳幼児相談……毎月一回
一、連絡協議会……二ヶ月に一回
一、村の保健衛生事業に対して受持世帯に知らせたり実施日に参加する。
    『菅谷村報道』110号 1960年(昭和35)5月15日

参照:「嵐山町の母子愛育会活動 1960年代」、「嵐山町母子愛育会合同研究会『嵐山町における保健福祉問題』 1968年」。


菅谷村新生活運動の実行項目 1960年8月

2009-06-08 19:05:00 | 1960年

   全村の新生活運動
     愈々八月一日から開始
 七月十九日午前九時から役場会議室で、新生活運動協議会が開かれた。
 この会議は各地区委員が、新生活運動の実行事項についての各地区の意見を持ち寄り、これをもととして村全体としての実行事項を決定するために開かれたものである。
 会議は各種の方面に亘り種々活発な意見交換が行われたが、結局左の通りに決定した。
一、農休みについて 毎月十五日を村内一斉の休業日とすること、但し六月は除く。
二、時間の尊重について 各種団体に呼びかけて左の事項について協力をお願いすること。各種の集会について集合、開会時刻の厳守。そのためには集り易い時刻と場所を選ぶこと。終る時刻を予(あらかじ)め通知すること。
 やむを得ず遅刻又は欠席する場合には必ず主催者に連絡して置くこと。
三、旧い慣習の改廃について
 (1)病気見舞 全快の祝のおくり物(お返し)はしないこと。但しやむを得ない事情で行う場合には手拭一本程度とすること。
 (2)出産祝い お祝は百円以内として御返しは廃止すること。
 (3)正月祝い (破魔弓、かえ軸の類を贈ること)全廃のこと。
 (4)節供祝い 男子 鯉のぼりは紙製で二間以内のもの一本とすること。
    女子 右に準ずる価格の雛とすること。
   ◎新婚の送り雛は全廃すること。
 (5)七ツの祝い 村又は婦人会、青年団、公民館等で行うこととし、個人祝いは廃止すること。服装は通学できる服装とすること。
 (6)婚礼 1 調度品の「見まい見せまい運動」を強化すること。
    2 宴会は手料理程度とし、時間は三時間以内で終るようにすること。
    3 迎え「いちげん」を廃して出来るだけ一ヶ所で行うこと。
    4 嫁の衣装は親戚、団体、美容院等から借用し、新調はしないこと。
 (7)葬儀 1 悔返しの引物は一品以内とすること。
    2 初七日、四十九日、新盆、初彼岸等には、隣組各戸代表全員が焼香する。この際配り物はせずお茶を出す程度にすること。
 右は昭和三十五年八月一日から実施すること。
 但し実施後改正する必要を認める場合には、協議会に於て検討してこれを決定することにした。  (金子慶助)
     『菅谷村報道』113号 1960年(昭和35)8月15日


菅谷村新生活運動協議会が発足 1960年

2009-06-06 12:08:00 | 1960年

 解説 新生活運動協議会
                近く結成
 昭和三十年(1955)八月に、時の総理大臣鳩山一郎氏によって提唱された新生活運動は、大臣の演説にのべられているように、

 1 国民が、日常生活を、現在より、もっと合理的に、文化的に、道義的に高めていこうとする運動であり、
 2 この運動の主体はどこまでも国民自体であって、国民は自分で努力し工夫して、身辺に存する、不合理、非文化、不道義な問題を解決していく、
 3 こうして国民は当面の問題を解決して、個人の福祉を増進するのであるが、この運動を実践している中に自然と「明るい家庭や、楽しい社会や、美しい国土」を建設しようという理想的精神が国民全般に醸成されて来る
 4 それでこの運動は、各地域や、各職場で、自発的、自治的に盛り上げられるべきであり、
 5 この運動を推進する団体は、問題解決のために、行政機関をはじめ、各種の関係団体と緊密な連繋をとり、これ等の力を総合的、有機的に活用して効果を上げることが必要である

ということが出来る。
 総理大臣の提唱により、この年(1955)九月に中央に新生活運動協議会が出来、三十一年(1956)にこれが、財団法人新生活運動協議会となり、地方では三十二年度までに全国都道府県に新生活運動推進協議会が出来た。
 この気運に乗じて、全国市町村にもその半数以上に、新生活運動団体が結成され、本村でも、三十四年度に、社会教育費中に予算二万円を計上し、教育長所管事務として、この運動を推進することとなった。
     『菅谷村報道』100号 1959年(昭和34)6月10日

   新生活運動協議会結成
 村民全体を会員とする新生活運動協議会が結成された。
 村では、昨年末から各地区区長に依頼して協議会役員の人選をし、協議会結成の準備を進めて来たが、略々(ほぼ)これが完了したので、三月十一日、役場で役員会を開き、会則、役職員を定めて正式に発足した。而して二十五日には第一回委員会を開いて、三十五年度の運動目標を定めた。その概要は次のとおり。

 一、環境衛生の改善向上に積極的協力援助する。
 二、食生活、衣生活、母子衛生の改善等の協力援助。
 三、農休日の設定。
 四、時間励行。
 五、旧慣の改廃。

 役員は次のとおり。

 会長 青木義夫
 副会長 小林博治、原田京子
 監事 内田茂、島田忠治
 委員 内田幾喜、長島実、小林文吾、田中昇、岡村定吉、塚本智導、関根天津、権田和重、高橋甚右衛門、山下重平、内田亀吉、星野金作、金井宣久、根岸直次、小久保幾喜、安藤弘、飯島貞治、小久保冨蔵、強瀬喜平、馬場覚嗣、杉田中三、金子ひさ、中村保藏、中村正、小林信子
     『菅谷村報道』109号 1960年(昭和35)4月10日