武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

愛育班の事業計画と役員 1962年

2009-08-05 02:55:00 | 1962年

 菅谷、七郷両地区愛育班では今年の事業計画を次のように定めて仕事をはじめることになった。

▽菅谷地区
四月 訪問カードの記録、体重測定法の研究
七月 妊娠中の衛生、乳児発育の研究
   妊婦検診
八月 乳幼児検診
九月 結核検診の打合せ
十二月 乳児相談の計画、乳児相談、妊婦検診
一月 料理講習(高血圧の食餌)
三月 乳幼児相談、役員選出、妊婦検診、総会

▽七郷地区
四月 訪問カードの記録、体重測定法の研究
七月 妊娠中の衛生、赤ちゃんの発育、妊婦検診
八月 乳幼児検診
十月 乳幼児検診計画
十二月 乳児検診、妊婦検診
一月 血圧測定
二月 三十七年度のまとめと反省、役員選出、妊婦検診

 尚、役員は

▽菅谷地区
会長 杉田なみ
副会長 井上綾子 高橋さき
支部長 班長 (○印支部長)
(菅谷)新井澄子、井上綾子、関根玉枝、中島いく、根岸はる
(川島)関口とよ、権田静枝、森田やす、植木とめ、田幡かつ子
(志賀)○栗原なみ、馬場志津江、高瀬春子、大野八重子、湯本いえ、紫村あき、栗原典子、関根朴
(平沢)内田ハル、内田れい、山田としえ、奥平てる子
(遠山)杉田なみ、野村うめ、吉田知恵
(千手堂)高橋さき、内田照子、内田とも、関口とよ、瀬山つね
(根岸)福島くら、根岸末子、小沢澄子
(将軍沢)福島まき、加藤しゆう、福島正子、忍田すみ、吉沢すみ子

▽七郷地区
会長 藤野小松
副会長 杉山静江、安藤春子
書記 大塚はる
支部長 班長 (○支部長)
(第一)荻山たつ、荻山しげ、千野支抜子、千野じう
(第二)○大木ぶん、吉場すみ、千野きみ子
(第三)○安藤春子、安藤つね子、安藤じゅん
(第四)○大塚はる、飯島みや、大塚ゆう、飯島とき、武井ゆきえ
(第五)○小林信子、荒井ふじ、小林さい、好田房子、船戸のり子
(第六)○小林富美子、小林栄子、福島きみ、藤野さみ、福島たけ
(第七)○小沢いし、藤野きん、藤井まさ、藤野よし、福島まち
(第八)○中島よし、栗原八寿子、馬場とみ、横瀬道子
(第九)○松本うめ、松本ふゆ、松本さわ、大沢とよ
(第一〇)○船戸はる、船戸やす、福島アイ、船戸みつ子、市川文子、市川美智子
(第一一)○強瀬まつ子、田島はる子、田島幸子、田島あき
(第一二)○馬場初美、中村多喜子
(第一三)○青木花子
(第一四)○関口はる、松本初枝、田村した、田中いせ、田中文江
(第一五)○大塚満津、田畑敬子
(第一六)○小林もと、宮田貞子、石田百合子
(第一七)○永島つね子、新井秀子、内田えつ
(第一八)○内田こう、権田うめ、内田たつ
(第一九)○杉山静江、阿部やす子、内田陽子
(第二〇)○新井あき、金子きん、金子喜和子
(第二一)○内田好江、内田花子、水島清子
(第二二)○田幡喜代子、大沢房枝、田幡正子、大沢花枝
    『菅谷村報道』133号 1962年(昭和37)5月15日

参照:「嵐山町の母子愛育会活動 1960年代」、「愛育班を育てましょう 1960年」、「嵐山町母子愛育会合同研究会『嵐山町における保健福祉問題』 1968年」。


試行錯誤 武谷六郎 1962年

2009-03-19 02:13:00 | 1962年

 チンパンジーにある課題を与えて作業させると、何回か同じ失敗を経験した後、やがて間違いなく作業出来るようになる。その失敗の回数が大変動物としては少ないものであることが動物心理学によって証明されている。これが心理学でいう試行錯誤だが、僕がよく生徒に向って「一体君たちの試行錯誤は何回までかかってるんだね。うっかりするとチンパンジーになるぞ」と警告するのだが、世の中には時折、明らかにチンパンジーに劣るような人種が見られる。然し学び舎(まなびや)を巣立って今や名実共に社会の第一線の部署に着かれようという四年生諸嬢には、僕は特に声を強くしてこう言いたい。〝君達を待ち迎える社会に於て許されている試行錯誤は非常に厳しいものである〟と。
 学校にいる時は、同じ失敗を何回くり返しても、その都度、お叱言で兎も角も済んだ。君達も下を向いて「又か」と思っていたことがあるだろう。ところが社会で、同じ失敗を二度繰り返したら、それは致命的である。「あの人はこういう人間だ」というレッテルがはられる。一度はられたレッテルをはがすことは実に容易でない。つまり、一度の失敗は誰だってあり得ることだが、二度目のそれは決定的であるというこを肝に銘じておかなくてはならない。チンパンジーにはとても生きて行ける世の中ではないのである。
 さて、我々にとって、錯誤が一回も許されないものが一つある。それは人生、それ自体である。最後まで行って、ああ失敗だった、では済まされない。人生は一回きりである。やり直しはきかない(とりわけ女性は結婚というものによって、運命を左右されやすい)。この一回性ということが人生の大きな意味である。これ程厳しい試行錯誤はない。然し、四年間を黙々と貫徹した君たちの意欲は、きっとこの厳しい試行に堪えるであろう。もし君たちの過去の意欲が、そのまま延長されるならば、君たちの周りに一切の壁はない。君たちが細心にしかも勇敢に巣立って行くとき、実は錯誤を気にするより、君たちの地に着いた意欲と発言が静かに大地にしみ込むように滲透して行く社会になることをこそ、僕らは大いに期待しているのである。
     『夕映』第37号 1962年(昭和37)3月11日 東京女子高等学校第二部新聞部発行
※東京女子高等学校は、東京女子学園高等学校。「社会の各分野で活躍する有能な女性の育成と、家庭を治め次代を担う子女の教育に見識をもつ知性と教養を身につけた女性の教育が必要である」として、1903年(明治36)開校。東京府下、最初の私立高等女学校。