八十七歳の青春
新たな出発点に向けて
己を超越し、婦人運動に情熱を傾けつくしてその生涯をとじた市川房枝の軌跡は、大きな課題を私たちに示したようです。
与えられた一生を、いかに生きるべきか。たしかな生き方を探るために、たとえ、いつ時でも考えてみようではありませんか。
ともろう会が主催した「八十七歳の青春」は大きな感動の余韻を残して幕がおりました。
配布したアンケート数六〇〇余枚、回収一三八枚、これをもとに、年代別に感動をまとめて特集しました。
「一生を終える最後の時まで婦人の地位向上のために生きた意志の強さと、積極性に感動。私たちがこれから、やっていかねばならないことに対して、大きな責任を感じます。」
十代の純粋な気持ちが率直で清々しささえ感じます。
学校教育の男女差別や、教科書問題-戦争と平和についての論議のさまざまを考えると、今こそ女史の遺志のを生かす時ではないだろうか。
二十代から四十代は、さすがに現役の主婦の立場から、意見も多く、現実を直視する示唆を与えられたようだ。
「婦人参政権を獲得するまでの女史や、その同志の活躍は想像を絶するものであったろう。改めて政治を直視し、一票を大切に考えていかなければならない。それが先輩たちに対する私たちの使命である。」
「信念に生き、他と融和し、悪に対する不屈の精神力に、尊敬と親しみを感じる。これからの女性は大いに団結し、二度と戦争をおこしてはならない。平和な世の中にしよう。」
「女は人間として扱われなかった時代に、婦人に参政権をと訴えつづけた女史の勇気を考えると、私たちは余りにも安易な日々を過ごしてはいないだろうか。」
「現在の私たちの生活の土台は、女史らの苦闘の上にできたものであることがよくわかった。改めて、私たちの日常生活を考えなおさせてもらったような気がする。自分なりに一生懸命生きているつもりだが、これからも、流れに振り廻されずに、自分の意志で強く生きていきたい。」
「何もしないでいる自分が恥かしい。何か役に立つことを探して自分の力で真剣に生きたい。」
自分自身の生き方を反省し、あらたな発言の中で意欲を持った人もいた。
女は政治に疎いと云われる。教育問題・環境問題・或いは物価や、平和の問題、何ひとつ政治に関係のないものはない。
政治、というと、はるか彼方のようだが、地方政治も町政となると、問題はぐっと身近なものとなってくる。
一家を預かる責任に於て、主婦こそ、政治に関心を持つべきだろう。
五十代になると、女として、母親としての立場から、政治家の市川房枝、そして生涯、独身を通した市川房枝を観たようだ。
「女性の地位、権利を得るための困難さは、実に大変なことだったろう。結婚もせず。子を産み育てることもなく、男性に甘えることもなかった女史の心の葛藤はいかばかりであったろうか。」
-まわり道をしたり、道草をくったり、試行錯誤したりしてきましたが、その結果が今の私をつくったと言えます。
むしろ、まともな生活をしていたら、普通の女の生活に入っていたでしょう。
私は、貧しい幼児時代から、よく働き、それを乗りこえ、また、それを力にしてきたのです。-
女史の随想集〝野中の一本杉〟の中の一節である。
女史は決して独身主義ではなかった。むしろ、家庭と運動が両立することを理想としながらそのむづかしさを、時代の中で早くも考えた結果の独身であったと思われる。
「黒髪が、白髪になり、顔には深いシワが刻まれながら、その歩んできた、生きてきた笑顔の美しさ、気力の強さに感激!!次の世代を荷なう人々に期待したい。」
「女性であるが故に我まんをしいられる、ということを、家庭に、職場に、社会に、現代でも多くの女性が経験することである。
市川房枝は、これを自分ひとりの問題としなかったところにその偉大さがあるのだ。常に向学心に燃え、正義感に溢れたその源は、一体どこにあったのだろう。」
アンケートをみるかぎり、世代を超越して、ほとんどの人がいちようにたたえたことは、市川房枝女史の、女性の地位向上のために、ながい一生を賭けてエネルギッシュに運動をつづけたことへの驚きと、よろこびと尊敬の念である。
日本の歴史をつくった多くの先達の中でも、特に、近代女性史に、ひときわ輝く偉大な星として、私たちの心にづっしりとその重さを残し、市川房枝の存在感を与えた映画であった。
如月の中に安らかに、永遠に逝った時、その棺の上の白百合は、ひときわ白く、気高く、つつましくあった。
ともろう会広報部発行『茜雲』第12号 1981年(昭和56)11月30日