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快気分析

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仕組みとアプローチ -  愛妻家だったと言われる明智光秀 その人格が皮肉にもアダとなったのか

2020-03-15 07:37:04 | 明智光秀
 江戸時代以前の史料によれば明智光秀は正室である煕子の存命中、正室以外である側室は持たなかったようです。
 流石に煕子が死去した後は側室がいたとする史料も有るようですが、それでも当時の有力武将が正室だけを大事にすると言うケースはそう多くありません。
 敵対するする者には毅然とした態度で厳しい制裁する面が有る一方で、だからと言って信長程の残虐な事まではしていなかったような面も有り、そして家族愛が強く更に自分に付き従ってくれてた家臣などには義理堅かった面も有ったようなのです。
 家族愛が強く愛妻家で、そして親分肌と言う人格者だった面がもしかしたら有ったのかも知れませんが、だからこそこれが山崎の戦いで高山右近らから妻子などの人質を取ろうとしなかった理由の一つとなったかもしれず、皮肉にも「人質を取らなかった事が山崎の戦いで大敗する要因になってしまった」旨をルイス・フロイスは書き残している通り大敗してしまいます。
 道徳的な人格が有ったにもかかわらず、それがアダとなって山崎の戦いで大敗し、そして(ルイス・フロイスが「淫らで暴君」と言う旨の事を書き残している)秀吉によって、明智光秀が不道徳な謀反者と言うレッテルを貼られてしまったのだとすれはそれは悲劇なのかも知れません。
 


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