快気分析

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仕組みとアプローチ -  山崎の戦いで明智光秀が即日大敗したのは土岐一族による「味方討ち」なのか

2021-05-30 19:45:45 | 明智光秀
 最近の新型コロナ感染拡大の影響で多くの事業者がダメージとなるような悪影響を受けているようなのですが、当ブログでは何故か新型コロナ関連カテゴリーとは程遠いとも考えられるような明智光秀関連記事の方が閲覧比率が遥かに多いと言う状況です。
 当ブログでは別に閲覧件数を目的とはしていないので、閲覧件数を上げる為と言う程でもないのですが、世間の関心事が何かを考慮して今回は山崎の戦いで明智光秀が即日大敗した件に関して記事にする事にしました。
 史実が証明している事実から書きましょう。
 それは「土岐一族が明智一族を味方討ちにしてでも土岐一族の繁栄に成功した」、そう言う事かと個人的は考えています。
 家康の第一側室が土岐一族系の西郷局であり、仮にその実子の秀忠の子が家光と忠長とされているようですが、これについて(個人的にと言う程度ですが)実際には忠長が多くの残虐行為を理由として自刃した後に家光が将軍となったのは、秀忠か或いは家康が福(後の春日局)との間に子を授かっていた可能性が高い、とも考えています。
 その理由は「非土岐一族系の織田家の血筋を権力の座から殲滅するのが目的で有った為」と考えるからです。
 土岐頼芸を筆頭とする土岐一族はそう簡単には新参の武人らに制圧されるわけも無かったわけで、それが徳川幕府としての流れになって行ったのだろうと考えています。
 そう言った意味で、山崎の戦いで明智勢が家康の援軍を得られず即日決着で明智方の大敗となったのが、実は家康らも含む土岐一族系による味方討ちの一環であり、やがて土岐一族の流れを引く徳川家が非土岐一族系を攻略した、と言うのが史実なのではないか、と思っています。
 またそうした真相を知っていたからこそ、福(春日局)が異様に家康や徳川家に強かった、と言うのも納得出来てしまうのです。 
 
 
 
 


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