快気分析

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仕組みとアプローチ -  なぜ信長は家康と重臣らの僅かな人数だけで安土城に来るように招いたのか

2021-05-31 20:52:20 | 明智光秀
 甲州征伐で武田勝頼らの甲斐武田氏が滅亡し、信長にとってはメデタシメデタシと言う事で、家康へ所領拡大する話もほぼまとまって来ていた状況で、信長は家康と重臣らの僅か数十名程度だけで安土城に来るように(暗黙の命令)言い渡します。
 これに対して家康と家臣らの間で果たしてどうすべきか?で様々な議論がなされたようですが、結局は(表面上は)信長の要請通りに僅かな人数で信長のいる安土城に行く事になりました。
 そして特に狙撃、襲撃される事もなく無事に信長のいる安土城に着いて、家康ら一行は信長の接待を受ける事になったのですが・・・・・・・・。
 でもこの信長の「招き」っておかしいと思いませんか?
 本当に家康ら一行の安全を考えたのなら家康らに「途中で盗賊や武田氏の残党などの狙撃や襲撃がまだ有るかも知れないので大体1万~3万の将兵と共に来てネ」と言うはずではないでしょうか。
 信長が仮にそう要請(暗黙の命令)をした場合にはもう一つのメリットが有ったと思っているのですが、それは家康の徳川勢がより大勢の将兵を連れて来れば、当時信長が討伐しようとしていた毛利氏や長曾我部氏などにかなりの威圧できる、或いはそのまま戦闘に参加させる事ができるはずだったはずだからです。
 なのに何で僅か数十名とかと言われる重臣らだけに安土城に来るように言ったのでしょうか?
 この件については個人的と言う程度ですがこう考えています。
 それは「仮に家康らの徳川勢が伊賀衆や滅亡した武田氏の残党を匿っていて、つまり裏で吊るんでいればおそらくそれら残党らに襲撃される事は無く無事に安土城まで辿りつけるどうから、その場合にはそれから抹殺すれば良いし、仮に家康らの徳川勢が伊賀衆や滅亡した武田氏の残党を匿っておらず、それら残党に襲撃されればそれはそれで所領を織田家のものにできるからそれも良い」と言うものだったのではないか。
 そしておそらく伊賀衆の残党やら滅亡した武田氏の残党らがまだウロウロしているはずの街道を無事に家康と重臣ら一行は何事も無く無事に安土城に到着したのでした。
 鷹狩が好きだった信長は疑い深く、そうやって実験しながら敵方と共謀していないか、と言うのを常に事象分析していたのだと思っていますがどうでしょうか。
 そして安土城に無事着いた家康ら一行が、やはり伊賀衆の残党や滅亡した武田氏の残党を匿っている、と信長は確信し、そして信長が自ら手を下すカタチにはせずに家康ら一行を誰かを使って抹殺にかかったのかどうか。(史実として実際に家康は旧武田の将兵らを採用して力をつけました。そして伊賀衆も同様です。)
 そんな状況の時だったのかどうか、と言うのは今となっては明確にわからないもののやはりと言う感じで本能寺の変は発生し、信長は抹殺されたのでした。
 


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