快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  信長による人事政策の不可解 「家臣間のいがみ合わせを煽る方式」が破綻したのが本能寺の変と言う考え方

2021-05-23 22:43:30 | 明智光秀
 信長の人事政策については不可解な点が有って以前から気になっていたので今回の記事にしました。 
 それは佐久間信盛の配下に水野忠重、水野(監物)守隆をいれた事です。
 確か水野忠重、水野(監物)守隆の兄弟である水野信元があたかも武田勢と内通しているかのような事を信長にタラシ込んだともいわれいる通説が有るのが佐久間信盛です。
 だとしたら佐久間信盛に恨みつらみが有るはずの水野忠重、水野(監物)守隆を何で佐久間信盛の配下に置いたのでしょうか?
 その目的とは何か?
 勝手な想像かも知れませんが、それは水野忠重、水野(監物)守隆を使って佐久間信盛の配下として見張らせ、仮に佐久間信盛が高野衆らとの癒着らしきものがあればすぐさま水野忠重、水野(監物)守隆にチクらせて佐久間信盛を追放する事が目的だったのではないでしょうか。
 そして実際に佐久間信盛はこのチクりが原因だったのかどうかまでは定かでは有りませんが、結果として追放されました。
 信長はこうした「家臣間のいがみ合わせ方式」をかなりしていた可能性が有ったのではないか?とも思えます。
 その目的とはまさに信長の息子らに権力を集中させる為です。
 そしてその後に発生した本能寺の変では水野忠重と嫡男の水野勝成は織田信忠をさっさと見捨ててうまく逃げ伸び、水野(監物)守隆は一時は明智光秀に同行するなどで、山崎の戦いの後は一部で呼ばわりされてしまう事になりました。
 本能寺の変については水野氏が首謀者かどうかまではわかりませんが、水野氏関与説の可能性はゼロではないと考えています。
 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。