蘊蓄cafe

-日々発見、身の回りの話題 【うんちくカフェ】-

煎餅(せんべい)のルーツ

2013年08月30日 | 

「草加で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、ある日、侍に「団子を平らにして焼いたらどうか」と言われて始めた」・・・というのは昭和になってからの創作で、

「草加は昔から米どころと言われ、多くの米がとれたことから、農家の人たちは余った米を保存するために団子状にした米を乾かしたものを保存食として作っていました。江戸時代になり、草加宿ができると、茶屋や物売りが軒を並べるようになりました。このころから保存食だった煎餅も店で売られるようになり、広まっていったと考えられています。当初は生地に塩を練りこんだものでしたが、醤油が普及し始めた幕末から、焼いたせんべいに醤油が塗られるようになりました。」のだという。

草加せんべいの基準

製造地:草加・八潮・川口・越谷・鳩ケ谷で製造
材料:関東近県で収穫された良質のうるち米
製造:最低10年の経験を持つ職人が製造を管理
焼き方:押し瓦での型焼き又は押し瓦方式を取り入れた堅焼き

ということで、「職人」が焼いた焼きたてのお煎餅を食べてみたいなと。


あさひかわの水

2013年08月24日 | Weblog

左は「あさひかわ」というラベルの純米吟醸酒。高砂酒造の国士無双で、やはり上品で飲みやすいお酒だ。

右は「あさひかわの水」というミネラルウォーター。変わっているのは、これは「石狩川浄水場で作られた水道水から塩素を除去してペットボトル詰めた」旭川水道局による水という点だ。旭川の水道水は、大雪連峰を源とする河川水。


旭川出身

2013年08月23日 | 独り言
 歌手の藤圭子さんが亡くなられたという。これからいろいろ報道されそうだが、旭川で育ったということで、関心が・・・。
 
 旭川出身と言われているが、岩手県一関生まれ、3歳の時に北海道旭川に来て、旭川市立大有小学校在籍(他校での在籍情報は見あたらない)、6年生の時に転校して、旭川市立神居小学校を卒業、神居中学校に入学、中学3年生の時に岩見沢に移り住むこととなり、岩見沢市立栄中学校に転校したらしい。
 
 神居中学では「成績が優秀で、2年生の時に弁論大会で優勝して、その代表として札幌大会に出場した」という(演題:「困難に打ち勝とう」)。
 また、「彼女のオリジナル・サード・アルバムの中ジャケには、神居中学の集合写真を掲載していて、その写真に写っている本人の顔が子供の宇多田ヒカルによく似ている。」とのこと。
 
 そして、17歳の時「昭和41年(1966)中学校の卒業式を間近に控えた2月、岩見沢の「雪祭ショー」に予定していた歌手が辞退し、代役で出演した。この時に居合せた作曲家の八洲秀章に認められ、東京に出ることを奨められた。」という。
 
 しかし「父親が永年のムリがたたって体調を崩し、働けなくなり、昼間は八洲秀章のレッスンを受けながら、夜は母親と錦糸町や浅草方面を流して歩いた。」「母親もまた、過労と栄養失調のために視力をほとんど失っていた。聞けば、このまま放っておけばやがて失明するという。母親は、そんな状態で旅から旅の「流し」生活を続けていた。」という。
 苦労した人だけに、「接待の場で、マネージャーがカネがなかった。すると藤さんが会計の前に、机の下からそっと財布を渡してくれるのです。マネージャーが支払いできるようにですよ。」という話も残っている。
 
 東旭川にある、そね食堂(この食堂は、昔、有名だった。因みに、私の実家の近所にある。)というラーメン屋さんに、2000年(平成12年)7月に子供の宇多田ヒカルと一緒に訪れていたとのこと。また、母校の大有小学校を訪れたり、旭川には、思い入れがいろいろあったようだ。
 
(以上、ネット情報のため、間違いを含む可能性あり)