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道後温泉(夏目漱石「坊ちゃん」)

2018年11月15日 | 歴史

 道後温泉本館。現役の温泉施設でありながら国の重要文化財に指定されており、1月から7年間の補修工事が始まるため、しばらく覆いがかかって見えなくなる。

 夏目漱石は、29際の時に松山中学:愛媛県尋常中学校(現在の県立松山東高等学校の前身)に英語の教師として赴任した。赴任したのは1年だけだが、この時の体験が後の小説「坊ちゃん」に活かされている。
 「温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へはいった。」「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事にきめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。」

 道後温泉本館は、松山中学の北東700m程にある。温泉に入るだけと、2階の団体休憩室付きと、3階の個室休憩室付きを選ぶことができる。坊ちゃんの「上等」は今の3階の個室休憩室付きのこと。3階は満室だったので2階にしたけれど、こちらでもおばちゃんが「天目へ茶を載せて」出してくれる。浴衣とおせんべい付き(3階は坊ちゃん団子になる)。
 個室は6畳ほどの部屋で、一番奥の部屋を「坊ちゃんの間」と称して見学に供している。いずれにしても漱石は、3階の個室を毎回使っていたということだと。





 よく見る漱石の写真は、46歳の時のものだけれど、ここ坊ちゃんの間にある写真は、松山での30歳の時のもの。若々しいんだな。この年に鏡子さんと婚約している。

 松山に来たのは、友人の正岡子規の故郷ということもあるかもしれない。子規とは50日、同宿したという。「漱石」のペンネームも元々は子規が使っていたのを譲り受けたもの。

 3つある大きな外湯を全部回ると、タオルと石鹸がもらえる。施設のおばちゃんは「景品はタオルなんだけどね」と言うけれど、温泉好きにはレア品だ。

 坊ちゃんには、次のところで手拭いがでてくる。
「ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染った上へ、赤い縞が流れ出したのでちょっと見ると紅色に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。」

 道後温泉で、貸しタオルが赤いのは、これに因んだものだという。



坊ちゃんには、団子がでてくる。

「おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二皿七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払った。どうも厄介な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。」

 で、御多分に漏れずお土産に「坊ちゃん団子」という三色串団子が売られている。ただ、坊ちゃん(漱石)が食べたのはこれではない。
 三色団子は、アーケード街の「つぼや」の二代目が小説坊ちゃんから考案した団子で、小説坊が発表されたのは明治39年で、三色団子ができたのは大正10年のこと。今では、三色団子があちこちのお店で作られている。

 で、漱石が食べたのは、同じく「つぼや」の一代目が明治16年の創業当時から作っていた「湯晒団子」と言われる。
 今の坊ちゃん団子(三色団子)は、求肥餅を三色の餡で包んで串に刺した団子だが、「湯晒団子」は、米粉餅を小豆こし餡でまぶした素朴な団子だ。つぼやのパンフレットにはそこらがちゃんと説明されているし、湯晒団子を買うと教えてくれる。ただ、湯晒団子は、賞味期限が当日なのと、地味なのであまり売れないようで、店頭に少量しか並んでいない。でも、分かって買ってくれるのは嬉しいみたい。

 つぼやは、小説には「団子屋は遊廓の入口にあって」とあるように道後温泉本館のすぐ前にあったが、今は移転して少し奥まった場所にある。

 また、小説に出てくる汽車が「坊っちゃん列車」として復活し、路面電車にまじって、実際にダイヤ運行している。ただし、当時は石炭を焚いていたけれど、今はディーゼル駆動になっている。展示されているものかと思ったら、実際に走っていて乗れるんだから。ただし、引っ張る客車はこれだけ。

「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。」

 


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