霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

鶴の舞

2014年01月02日 | 心霊現象
みなさまが今朝みた夢は、いかがだったでしょうか・・・。
私は、夢はみたようでした。確かにみたのに全部忘れてしまいました。
と、いうよりも覚えていません。たった一つ、「この道」いつか来た道、明日まで覚えておこう、と気をつけたつもりが、忘れています。なんてこった!。そんなものです夢なんて。
私の場合、きっと多分に邪念に満ち、「矢」の方から除けていったのでしょうねぇ。
『この不心得者が!悟りなさい!』・・・、これが私への正夢だったりして・・・。



さて、では夢の披露の代わりに、いつだったか「いずれ」話しましょうと申し上げていた「鶴の舞」のことをば、正月のこの良き日に書き記すことにいたしましょう。
世界で鶴が生息している「国」や「土地」ならば、必ずその優雅な姿を「人」も真似てみたいと思うはず。
人間は、どんな動物の声も姿も真似ることが出来るという、不思議な才能をもっている。
これこそすなわち、万物の霊長の「あかし」でもある。
「声帯模写」の芸は、極めればそっくりであり、鳥も虫も動物も「寄ってくる」。
今日の題材『鶴の舞』は、世界のいたるところで見られる「究極の美」の姿として知られている。
鶴が舞う、という表現にふさわしい行動は、彼らの「求愛」の姿だといわれているが。
鶴の生態からくる「その姿」は、人が真似ても「踊りたい」姿なのかもしれない。


その一つは、朝鮮半島に伝わる「鶴の舞」という踊り。
一頃の韓流ブームで紹介された、映画やTVの題材に『ファン・ヂニ』というものがある。
実在の人物の名前でもあるらしい。
頃は朝鮮王朝時代。一人の教養豊かな女性がいた。
彼女の身分は「両班」(やんばん)。貴族という特権階級として育った。
いや、一人の男が「きーせん」に生ませ、その後引き取って育てた「いわくつきの女性」だった。
しかし、彼女の人生は「父親」の死をもって一変する。
耐えに耐えた「奥方」が、夫の死後彼女を放り出したのだ。「どこへでも行け!」と。
彼女は産みの母が「キーセン」と知り、母を訪ねてそこへ身を寄せることになる。
やんばんの娘としての「気品」と「教養」は、彼女のなによりの武器になった。
そして化粧と踊り。キーセンの「しきたり」に身を置く「下賤な女」として再び世に出た彼女は、国王の目にとまる。
さらに、王朝に派遣される外国の使節団の相手をする、いや相手が出来る国中で唯一のキーセンとなっていった。
彼女の得意としたのは、絵を描くことと、漢詩の蓮歌だった。
朝鮮王朝を訪ねる中国の使節団は、特に「彼女」の存在を重視した。
即興で出される蓮歌の「下の句」を、下絵を描いたその紙に、即座に書き繋げる「その才と技量」は
天下に鳴り響いたほどだったという。(時としては上の句が与えられた)
キーセンの身でありながら、もはや外交の一役を担うほどの女になっていた。
これが、映画で描かれていた『ファン・ヂニ』という名の女である。
(踊りの場面は、ほとんどない)

次にTV映画『ファン・ヂニ』である。
境遇はほぼ同じ。しかし人間性と気品が違う。
「怨み」(恨み)をいっぱいに生きてきた。激しい怒りの中から「生きる女」として描かれている。
絵は少しは描けたようだが、漢詩の場面はそう出てこない。
朝鮮王朝時代の「逸材」として、どこで何をしたのかは、煙にまかれた感がする。
しかし「この彼女」は、踊りに長けていた。
技芸の先生「ヘンス」に見初められ、芸を磨いていくなかで、「鶴の舞」を踊る許しが出る。
「王様」の前で踊る代表に選ばれる彼女の役目は、「ヘンス」がまだ未完の「鶴の舞」の『舞譜(まいふ)』を仕上げることにあった。
彼女は恋愛と芸、そして身分と宿命という波に翻弄され、次第に精神的に病んでいく。
もはや踊るどころでなくなっていく彼女をみながら、絶望する師である「ヘンス」は、舞譜を見ぬまま、自ら死を選ぶ。(その原因は、彼女との確執としてえがかれている)
師を死に至らしめる女。ファン・ヂニとはそういう女だと刷り込まれた感があるが・・・
愛しながらも闘い、さらに求め続けた「何」かは、彼女にとっては王様や使節団の前で踊ることではなかった。
農民や市井の貧しいものたちが踊る「おどり」は、「舞」とは違った。
そこにこそ「おどる」意味を見出した彼女は、無心で踊る一人の「人間」の踊りを巷に披露していく。そこに集まってくる人、人、人。
身分も位もない貧しい人達と踊る「おどり」は、一生その姿と身分で終わろうという決心を彼女にさせた。
時には「ふてくされ」「酒をあび」「雑言をあびせ」、品も教養も感じさせない「女」がそこにいるだけだった。しかし、彼女は巷で生きる人の中で「活き活きと踊る」一生を勝ち取った。

先の『ファン・ヂニ』は、「思い人」の遺骨を抱いて絶壁から身を投げた。
後の『ファン・ヂニ』は、家族を得て民族舞踊の礎を築いた人として名を残している。


三つ目の「鶴の舞」は・・・。
拷問の一つとして、第二次大戦中に最も過酷な手段として実行されたものである。
その国は北朝鮮。そして日本(?)。
両手を「後ろ手」で縛り上げ、つるし上げると・・・。
次第に呼吸が苦しくなっていく。そして体型を上に下にと揺すりながら、呼吸をもどそうとする。
その様(型)が、「鶴が舞う」のに似ていることから『鶴の舞』と名付けられた。
もちろん両手の関節は、まもなく外れていく。ますます苦しくなる状態で、今度は宙に浮く体をおもいっきり鞭打つ。丸太でなぐる。
気を失えば、水をかけて覚まさせ、また同じ拷問が続く。水は鼻から思いっきり「ぶっかけられる」。
そして肋骨が折れ、内臓が破裂する。
『これほどまでしても、まだ改宗しないのか!』・・・彼らの叫ぶ声が次第に聞こえなくなっていく。(そうだ、気絶したのだ)
しかし、拷問は終わらない。何度も繰り返される。
しかし、終わるときがいずれくる。
それは、「自分」が死ぬときだ。・・・、そしてあとは、相手が疲れ果て止める時だった。

その時気絶する寸前に聞こえた言葉は・・・。
『なんて奴だ。これまでしても音を上げないとは!オマエみたいな人間、初めてだぜ!』
勝った!これでいい。・・・そして「わたし」は死んだ。
いや、「仮死状態」のまま極寒の道路に放り投げられたのだ。
どうせ凍死するに違いないと、彼ら朝鮮軍はみたのだろう。
そこへ霊的に導かれて「弟子」たちが「わたしを捜しにやってきた。
もう少し遅かったら、間違いなく死んでいただろう。
わたしは一週間生死をさまよったが、息をふきかえした。生き返ったのだ。(弟子たちは、葬式の用意までしたが)
あなたがたが、もし『鶴の舞』と聞いたとき、美しい華麗な舞を思い浮かべる前に、わたしが舞った「それ」を思い出して後悔の念で、神に懺悔して祈らなければならない。分かるね・・・。

これが「あの」統一協会教祖「文氏」の述懐であり、もう一つの神が知る「鶴の舞」なのです。
『牢屋』の中で何度も思ったという。
『イエスさまは、死ぬことが出来てうらやましかった。しかしわたしはどうだ。三度目は死ぬことさえ出来ない。生きて道を進めるしか、わたしに与えられた道はこれしかなかった。三度目が死んだら、失敗の神になる。
どんな想いで、親なる神が自分のあわれな姿を見ておられるか・・・。
そう思うと、つらい!助けて!父ちゃん!とは言えない。
神様、あんたの息子はこんなことで負けません。大丈夫です、心配しないでください!!
こう言いながら、口から血を吐き続け、天の父をなぐさめ続けた。
前に言ったことがある。なぜイエスが「天の父よ、なぜわたしを見捨てたもうや!」と死に際に言ってしまったか・・・。
これがどれだけ神の心臓をえぐる言葉だったかは、誰もしらない。
しかしわたしは分かった。手も足も出ない神の立場が、どんなものであるか・・・。
人類が全部条件を失った挙句の果ては、もはやメシアを血祭りに上げるしかない、ということを。
その嘆きの神、落胆の極みの神に、わたしまでが「助けて!」と言ったら・・・、誰が父の心情を救うのか。
親と子は、そうして生きていくものだから~。
これがわたしが解明した、「謎だらけの聖書」から取り返してきた「真理」である。

・・・と、言われたのです。


まあ、私なんぞが「屁理屈」言うまえに、まず信じちゃえ!ってわけで私なりに「清水の舞台」から飛び降りたってわけですねぇ。


さあ、人生いろいろ。鶴の舞もいろいろ。
今日は目出度い日の最中に、さっと狙いを定めて「どぎつい」お話をば、させていただきました。
「あなた」がね、あの世へ行って、「鶴の舞」を知っているかと問われたら、是非「この話」をしてみてください。
あなたを取り囲む霊気が、一変いたしますから~。
初夢は見なかったけど、今日はその埋め合わせに、お話をいたしました・・・。