霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「源氏物語」の霊力?

2014年01月10日 | 心霊現象
新年早々の番組を、あちこち探しながら行き着いたところが、「ここ」でした。
本当に「テレビがつまらなくなった」という話は、巷の皆さまから聞いて久しい昨今です。
それでも?今年は「観よう」と、心に決めて探し続けました。
丁度やっていたものが、BS放送での「これ」。
対談形式で行われていた「日本文学」の話でした。
あまり高尚(こうしょう)な内容ならば、次へ移ればいいと、軽い気持ちでしばらくみていました。
日本文学研究者の「ドナルド・キーン氏」と、「瀬戸内寂聴さん」の対談。
途中から見ましたので、繋がりがいまいち分かりにくい中でも、「源氏物語」の話になり、そこからは面白く聞かせてもらえました。
これほど「日本文学」に造詣(ぞうけい)の深い方もいらっしゃるもんだと感心しながら「キーン氏」の話を聞いていました。

さて二人が増々のってきたところで、いよいよ「源氏物語」の話題になると・・・。
今年93歳になるという「寂聴さん」が、身を乗り出して声も一段と「はり、つや」を持って、待ってましたとばかりに話された内容がね、驚きの事でした。
実はね~。と始まったその内容とは。
寂聴さんが若いころから親しくしていた「円地文子さん」。
あの方が「源氏物語」の現代訳版を出そうと、執筆を始めてまもなく不思議なことが起こったという。
つまり、何度も死にかけた、というのだ。出版にこぎつけるまでには、7~8回「死にかけた」という。
「これ」は、ただものじゃない!、ととっさにそう思ったらしい。
つまり古典を現代文に読みやすくするという、単なる「作業」ではない、と悟ったというのだ。
「生きて」仕上げることへの恐怖にも似た「困難さ」を、そのとき初めて知ったという。
「これ」はいったい「なのもの」なのだ!・・・。
つまり紫式部の「念」なのか、それとも「物語」を通しての時代背景からくる人々の「念」なのか、さらに千年余経つ「日本古来」の「念」なのか・・・。
文字通り「命がけ」の仕事を終えて、しみじみと語った円地氏の言葉を思い出す、と寂聴さんが言う。
さらに次は、声のトーンが変わった。
「実は、わたしが今度やる番になったのね。源氏物語の現代版。その時わたしも同じように『死にかけた』の。2~3回くらいかなぁ。円地さんよりは軽かったから、こうして今も生きていられるけど・・・」と。
キーン氏は興味深そうに黙って聞いている。

そうか、そうか「ただものではない」か・・・。
たかが「文学」たかが「書きもの」ではないか。
なのに「死にかける?」、二人とも。同じ「源氏物語」で?・・・。
しかし、「ウソ」ではない事を私は即座に察知する。
人それぞれ。その物語の中で「人」は「何」を思い、想像し、確認するのだろうか。
紫式部は何をそこにちりばめ、埋め尽くして「源氏物語」をこの世に置いていったのだろうか。
その置き土産は、今も光を放って世界中を駆け巡っているのだ。
そのダンからいえば「この怪物・源氏物語」は、書き手である本人を除いては「訳手」も「読み手」も何かの呪縛をうけながら、今なお不思議さと、不気味さを内包して、この世にあり続けているとみえる。


ならば、今も脈々と生き続ける「紫式部」というよりも、日本の古来から続く魂をこそ浴びるべく、源氏物語をまず「現代訳」から始め、次は原文へと読破してみようか・・・、などとよからぬ思いに浸る今日この頃でございます。
ま、書き手がこれほどの「洗礼」を受けたのであれば、「読み手」は軽いものですむだろうとの思いで身の危険は「ない」とふんで、今年の目標にするのもまた悪くはあるまい・・・、と。


そういえば、こんな事を思い出す。
このブログが始まった時。(今は聞かないが・・・)
質問(書き込み)があった。
「このブログを開くと、パソコンが不具合を起こすのです。時として壊れることもある。
それって、わたしだけの話でしょうか?・・・」と。
返事こそせず、無視とだんまりを決め込んでいる私でしたが、答えは「ある」に決まっている。
私なぞ、せっかく書いた文章が「あっ」という間に消えるなどということは、日常茶飯事だった。
まだ「機械」に対して「未熟」といえば、それまでの話であるが・・・。
「キーン」という金属音をたてて、次の瞬間「文」が消える・・・。
真っ白になった画面を見ながら、私の頭も幾度となく「真っ白」になったものだ。

同じ文章は二度とは書けない。
それでも二度、三度と挑戦するが、三度消えた時は自分の技能の未熟さのせいではなく、「神のおぼしめし」つまり、書かなくてもいい、との意ととってそこで止めにした。
こんなことは、日常茶飯事のこと。
死にかけたわけではないが、ブログを綴る、いや続けることにおける「妨害」はある。
時間をみつけては書く、という私の毎日を、まるで「見ている」かのように「それ」を妨害するものが出てくる事実は、実に興味深い。
電話、訪ね人、乗る電車のダイヤが狂う(?)などなど私の「被害妄想」と思われても仕方がないが、いろいろあったことは確かですねぇ。
実は昨日の夜遅くも、「全文」が消えました。
「あとわずかな日数」になったのだから、機嫌よくいこうよ~、と機械に向かって言いながら、今こうしてまた書き込んでいます。



何か書き忘れてはいないか・・・。
最近、私の心がつぶやくのです。
「忘れ物」は無いかと・・・。
そもそも私がなぜ「ブログ」を書き始めたのか。
第一章を「霊界の門」とし、第二章を「備忘録」として今に至っている「これ」は、何だったのか・・・?。
そうだ、忘れもしない。ことの始まりが「死」であり、「霊界はある!」だった。
これを知らない人に知らせよう、そう思った動機から出発したものだった。
知らなくてもいい、という人にとっては何の意味ももたないし、余計なお世話であり、有りがた迷惑に尽きる。お人よしともいわれるだろう。
が、そんなことはいい。
書いて「この世」に残すことが、「産みだす動機」であれば、その目的はもうすぐ達成できる。
あとは、読み手の人が「あれ」ば、嬉しい限りとなる。
タレントの、それも面白い、おかしい興味をそそる「ブログ」のように『炎上』するなど、ほど遠い
「代物(内容)」ではあるが、こうして皆様にお会いできたことは、奇跡に近いとさえ思っている。
なぜ?、背後の霊界がらみであろうと思われるからでもある。
「このような内容」は、興味がなければ時間を割いてまで、読み続けようとは思わないだろうに。
千夜一夜は、あの「アラビアンナイト」から頂いた期間の代名詞のようなものですが、しかしその数字からみれば、「石の上にも三年」という内容にもなるのです。
物事の区切り、あるいは「けり」として、三年を越えれば「やった」ことにはなるかなぁと・・・。


人の生や死、そして「あの世」までも語るとなれば、「神」と「真理(天法」)」に行き着くという事は、皆さまにおいてはもう「耳にタコ」のこと。
これにまつわる「あのこと」「このこと」を書き綴ってきたことは、元気であればこそ出来たともいえるのです。
NHKの深夜放送で、あの夏木マリさんが言っています。
『丈夫も芸のうち』と・・・。いですねぇ、こういった考え方、私も大好きです。
ではみなさま、今年も丈夫で日々を励みましょう~。


(今度は消えないに!・・・祈りつつ)