霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

最後のステージ?

2014年01月25日 | 心霊現象
今年1月で69歳になりました。
もう「70歳」に手が届くとなると、人生最後のステージと呼んでもおかしくはないでしょう。
そこで私は、今「新しい職場」を与えられた訳を、そう解釈することにしました。
これもご縁。三つ先の駅近くで新設された「介護のホーム」の仕事が、この私に与えられました。
それも「介護される側」ではなく、「介護する側」の人間(スタッフ)として・・・。
ね、世の中面白いでしょ。高齢者は「いらない」と、追い出されたところがあるかと思えば、高齢者だから「いい」と受けるところがある。(ただ、健康でないとダメですよ~)
よって二月一日開設に向けて、今特訓中の私でもあります。
利用する人も初めて、受ける側も初めて。さあ、何が起きるんでしょうねぇ・・・。

今は、さしあたって「ノロウイルス対策」が急務とあって、有名企業「某会社」の業務担当者が商品の説明を兼ねて、至れり尽くせりの研修をやってくれます。
介護用品もそう。これも「某会社」の渉外部が、二人組で用具をもって丁寧な説明をしてくれます。
食事作りも「某食品」の調理担当者を派遣して、冷凍食品の扱い方や、今はやりの「IH(アイエッチ)器具」の取り扱い方まで教えてくれます。

世の中も本当に「ハイテク時代」になったものよ~、と感心しながら私なども若い人に混じりながら特訓の仲間入りです。
どんな方が入ってこられるかわからない今、この若いスタッフと、それなりの年齢になった利用者さん(お客さん)の間をとりもつ「私の世代」の役目、つまり「つなぎ役」を今強く意識しています。
まるで日本の縮図を見るような思いさえして、新しく開設される「介護施設」を祈るような思いで見つめています。

私は「誕生日」前後から、祈りはじめました。
多分、年齢的にみても「これが最後」のご奉公(仕事)となるでしょう。
だからお願いが一つあります、と神さまに条件を出しました。
二度とない肉体生活の締めくくりとして、私が踊るにふさわしい場所、つまり「ステージ」をください・・・、と。そこで私は「経験と心の限り」を尽くし、感謝の舞をご披露して終わりましょう。
働く場所が「その舞台」であり、私の日々の働く姿が、「舞」となって神様に奉納出来るように設定してください・・・、と。
私に「次」はありませんから、『そこ』だと分かるように、『ここ』だと分かるようにはっきりと教えて「二の舞」を踏まぬよう、最後の姿をご覧くださいませ・・・、と。

この年で社員はありえません。「パートのおばさんその一」でしかない私ですが、「最後(最期)」の覚悟は、多分私だけではないか・・・、と。
でもね、どうも健康であれば「なんぼでも」働けるような気配が漂い、ひょっとして「オリンピック」がくるまでいたりして~。もしそうだとしたら、私、自分で多分慌てると思いますよ。

1月20日から始まった「研修」も、やっと5日間過ぎただけでもう「ヘロヘロ」になりました。
若い人も、先の事を考えると眠れなくなって睡眠薬を飲んじゃう。すると次の日「講義」が始まると睡魔が襲い、船をこぎ始めるという悪循環。
「どうしたらいいんでしょう~」と私に聞いてくる。
さあ、何と答えたらいいんでしょう・・・。(私がいるんだから、気を大きく持って、とでも?)
きれいな顔とスタイルの良い「その人」は、左のうでに傷がたくさんありました。(リストカットの痕でなければいいのですが・・・)

さあ、あんなこんなで2月1日に「船出」をします。
こわーい反面、面白くもあり、楽しくもあり、心配満載で大波・荒波に向かいます。
研修の一つでもらった「オレンジ色のゴム腕輪」が、ようやく私の腕にいつもはめられているようになりました。(介護のサポートが出来るという証明です)
どんな「舞」が始まるのでしょう。分かっているのは「てんてこ舞」だってことくらいでしょうか。
「てんてこ舞」って、ご存じ?
そうなんです。神様が踊る「舞」の一つだとか・・・?。えっ、違ったかしら???。


行き帰りの電車の中でね、びっくりする事に遭遇します。
「そこどいて!!」と、駅員がホームを走ります。
急行を止めた「バカ者」がいたようです。踏切を通り抜けたようで・・・。
と、もう一つの踏切を、「警笛」を鳴らしっぱなしの電車が通り、急停車した。
「またかよぅ!」と、ホームで待たされている人の波が「悲鳴に近いため息」をつく。
もう早速「携帯」を取り出して、「電車が遅れますから~」なんて連絡を入れる人もいる。

電車の中では「化粧中」の女性が二人で座り、他人など目に入らないとばかりに、念入り化粧を比べあう。
「なんだとぉ!」と叫んだあとで「冗談いうんじゃない。今すぐにでも這ってでも来い!死んでも来い!」と喝を入れている社長らしき「おやじ」もいた。
くすくす笑いをしながら、若い者達がつぶやく。「死んでも来い!だって。来れるわけないじゃん・・・くくく」と。
これから私も、何年ぶりかで通勤の方々の仲間入りです。
何事もなきように、と祈りながらも諦めています。だって「この路線」は、人身事故多発地帯で有名なところですから~。


昨日TVで「ザ・タイガース」のライブを見ていました。
2013年12月。東京ドームの舞台でしょうか。
全員が集まった「またとない舞台」だったようです。
岸部四朗、一徳兄弟の互いに思い合う姿、またメンバーの熱い思いを込めた歌声を聞いて、遙か遠くにいったはずの時間が、また戻ってきた錯覚に襲われたのは、私だけではなかったでしょう。
ファンだったとか、そうでないとかではなく、「あのとき」という「同じ時間」を共有した同士、あるいは親戚のような気がして、懐かしく長時間の舞台を見たものです。
そして、しっかりと「彼ら」も同じく味わっている「老い」を、考えました。
人は必ず老いる。この鉄則、自然の摂理を私達は時々忘れています。
しかし、確実に忍び寄る老いという人の生を、これからは見据えて生きていかなければならない「お互い」になったことをむしろ喜び、ありがたく思っている今日このごろとなりました。
そして「日本」も一緒に歳をとっていく?のでしょうか・・・。
そして、その先は?・・・。
それこそが、このブログの本当の目的であり、意義でもあったのですね。

さてさて、神はどんな舞台を最後に私に与え、さらに私のどんな「舞」を見るおつもりでしょうか。
そして私は、どんな舞を踊って、どんな最後の舞台(ステージ)を神に奉納するのでしょうか・・・。

これから先、皆様もとくとご笑覧?(照覧)あれ。