マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

2009-11-10 12:51:44 | 最近の読書
前にも記事にしましたが、最近「MAKING PEACE」という本を少しずつ読んでいます。
奉仕や学びの合間に時間を作って、辞書を片手に訳しながら読んでいます
これから随時、要点を分かち合っていければと思っています。
ただし、私なりの理解でありますので・・・
内容をより正確に確認したい方は、ぜひ直接その本をご自分で読んでみることをお勧めします。


著者は、基本的な枠組みとしてこの2つの視点を提示しています。

 教会の対立はいつも神学的なことであって、ただ対人関係にまつわることではない。教会の対立は、文化的、霊的、構造的要因を含む、多くの原因と理由がある。しかし、すべての教会の対立は神学的な根を持っている。

 すべての教会の対立は、常にリーダーシップと性格と共同体に関するものである。対立は当事者が実際どのような者であるのかを明らかにする。


多くの教会の対立の問題に取り組んできた著者は、対立の根を以下の4つの観点から考察しています。

 文化的問題点
 構造的問題点
 霊的問題点
 神学的問題点

取りあえず、今はここまでです

まだ最初の導入の辺りですが・・・
表面の現象や状況だけでなく、根本をしっかり見据えていくことが大切ですね。

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ピザ

2009-11-09 16:13:21 | 教会の風景
昨日の夕食は手作りピザでした。
Youth For Jesusの集会から参加してくれていたMちゃんが手伝ってくれました。





手際のよさに感心しました
短時間の発酵で焼く薄型のパリッとした感じのピザです。
順次焼き上がるピザをみんなで分けて食べました







最後のピザは生地のふちに残っているチーズを巻き込んでみました。


好評10人で12枚のピザを完食
久々に来たT君も加わり、いつものゆったりした感じの夕食でした。

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行ってきました

2009-11-07 18:55:11 | 神学校・講座
今日は神学校のオープン・ディでした。
聴講の科目が休講でしたので、別のクラスに参加しました。
久々に1時限目からの出席でした。

今回は、新約研究Ⅱ(使徒の働き)と聖書解釈学を受講してきました。
どちらの科目も興味深くて、続きが聞きたいと思いました。
近い将来、聴講してみます。
こうして聖書を学ぶ環境が与えられていることを感謝しています

さて、明日は教会での礼拝と奉仕の一日です。
祈りつつ、備えたいと思います。
各地の教会の礼拝や交わりが、主の祝福に満ちたものでありますように。

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この秋から

2009-11-05 13:57:57 | 教会の風景
この秋から教会の行事として始めていることがあります。

その一つがクラフトです。
毎月一度のペースで、クラフト好きな方々の集まりをしています。
昨日はミニカードを作りました。



あと、TEA ROOMという茶話会も始めました。
これも月に一度です。
出入り自由でのんびりお話をする時間です。
教会員のご家族も来てくださいました。
関わりの輪が広がります

こうしたいろいろな関わりの中で、神様のすばらしさを知って頂くきっかけができればうれしいです。

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バランスが大切

2009-11-03 15:02:19 | 教会の風景
11月に入りました。
先月の礼拝説教のあらすじをアップします。

イスラエルの民が共同体として平和と秩序を保つための基準として与えられた規定。
殺人事件や傷害事件の扱い。
加害者の処罰は「必ず殺されなければならない」(21:12,14,15,16,17)という厳粛な命令(もちろん不慮の事故に関しては免責の規定もあるが)。
罪の重さをあいまいにはしない神の「公正」なるご性質。
罪に対する処罰の原則は、「目には目。歯には歯。手には手。足には足。」(24)というもの。
ただし、イスラエルのその後の歴史では真意が曲解されてしまったようだ。
被害者側の報復の権利を主張する根拠として考えられたようだ。
主イエスの山上の説教(マタイ5:38-)ではこの規定を引き合いに出して、むしろ復讐心からの積極的な解放を教えている。
そのことからすると、本来はこの規定に加害者側の家族や財産を不当な報復から守る歯止めの一面もあったと考えられる。
これらの規定は底なしの報復の連鎖を防ぎ、民に対する神の慈しみとも調和する。

続く盗難事件に関する規定でも、神の「公正(2)」が表されている。
「償わなければならない」(22:1,3,4,5,6,7,9,12,14)と被害者への相応の補償を命じている。
神は、このようにして民の間に起こりうる諸問題への適切な対処のための基準を授けられた。

続く諸規定の中には、カナンの異教的習慣との対決(22:18-20)、共同体の中の社会的弱者の保護(22:21-27)、神との関係(22:29-31)、コミュニティにおける正義(23:1-9)などが定められている。
公正なる神は、民の中の弱い立場にある者の「叫びを聞かれる神」であり、情け深い方でもある。
神は不当な扱いにうめく者の叫びを聞き入れ、正しく裁きを下すことを示している。
教会という神の共同体に属する私たちの互いの間にも、ふさわしい公正と憐みが保たれるように求めていくべきであろう。

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