マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

行ってきました

2008-07-05 15:49:53 | ちょっと息抜き
以前予告した「大三国志展」へ行ってきました


M君、A君と八王子駅で待ち合わせでした。
美術館行きのバス乗り場でも人が多いのに驚きました
美術館に到着して、さらに人が多いのにびっくり・・・
えっ、こんなに並ぶのって感じでした。
人がまばらな展示スペースをゆっくり見て回るつもりが・・・


結局、展示スペースも人だらけ、身動きもとりにくいほど
とはいうものの、気分を三国志モードに切り替えて、充分楽しめました

展示は・・・
絵画や文書、陶器やパネル、金印や当時の武器や生活を偲ぶ出土品などなど。
桃園の誓い、三顧の礼、赤壁の戦い・・・などの場面についての説明も。
あと、そういえば、NHKの懐かしい人形劇の人形も展示してありましたね


お土産コーナーには・・・三国志に登場する武将モデルのガンダムのプラモデルが
「へ~、こんなのあるんだ」と関心して・・・
ガンダム好きなA君に「A君、買ってく」と振ったら・・・
A君は「ここで買わなくても・・・いくつかは持ってますよ」とのこと。
自分が知らなかっただけでした
普通に売ってるそうです


というわけで、ちょっとしたお出かけでしたが、良い気分転換になりました
さて、今からはまた気持ちを切り替えて、明日の準備の続きをします

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案外、誤解してるかも・・・

2008-07-03 12:13:58 | 教会の風景
昨日の祈祷会で学んだところです。
考えさせられる内容です。


「イエス・キリストの受難」 ジョン・パイパー著



イエス・キリストが十字架で死んだのは・・・

32課
「私たちが自分のためにではなく、キリストのために生きる者となるため」



引用となる聖書箇所 コリントⅡ 5:15

「キリストがすべての人のために死なれたのは、
生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」


昨日も著書の本文から、3つのポイントを挙げて学びました。
罪の本質とは?
キリストの死は崇められるためだったのか?
キリストのために生きるとは?


どれも大切な視点ですが、ここでは特にを取り上げたいと思います。
今回のメインのポイントです。
「キリストのために生きる」ということについて。

私たちは・・・
「キリストのために生きる」ということは教会の活動や運営に貢献することだ
と考えます。
確かに、それは完全な間違いではありません。
そのような要素もあります。

しかし、それは「キリストのために生きる」ことの中心ではありません
神様は私たちの助けがなくても、ご自分ですべてのことを行うことのできる方です。

「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」(使徒17:25)


むしろ、「キリストのために生きる」とは・・・
「・・・私たちがキリストを限りなく価値ある方として見、味わう・・・」ことを意味します。(p133 l15)

そこから生まれる喜びや感謝が、行動に反映されていくということです。
行動(形)から入ると、本末転倒です。

私たちの関心を主イエスを見ることに集中させたいものです。
そうする時、私たちの心は満たされ、本当の幸いな人生を経験することになります。


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講演会

2008-07-01 16:51:56 | 教会の風景
月曜日の午後は、二週連続で講演会へ行ってきました。

まず、先週のは、聖書の翻訳に関する講演でした。
「新改訳」の翻訳に携わる方々の講演とそれに対する質疑応答の時間がありました。

敬語や訳語の使い方、文章の表現などの説明。
今後の翻訳作業の課題や試訳の紹介。

あらためて翻訳作業の重さを感じました。

原典から翻訳する方々の苦労なくしては・・・
私たちは、こんなに手軽に読むことさえできないわけですから。

あと、翻訳者がこだわりを持って訳した表現も、
案外その意図を見落としていることもありますね

奥が深いです
もっと丁寧に聖書を読む習慣を身につけたいですね




そして、昨日はキリスト教大学の在り方についての講演でした。
私がそれを聞いて何か意味があるのと尋ねられると困りますが・・・
少し興味があったので聞きにいってきました。
学校も夏休みに入ったこともありますし。


テーマは「キリスト教大学におけるキリストの主権性」というものでした。
テーマを聞いただけだとかなり難しそうですね。
正直、私もどのような内容になるのかはあまり分からずに参加したのですが・・・


内容は平たく説明すると・・・

キリスト教大学と言ってもいくつかのタイプに分けられる。

名称や施設にのみキリスト教の名残のある大学。
基本的にキリスト教主義ではあるものの、教授や学生の一部がキリスト教信仰を持っている程度。
カリキュラムや運営、教授や学生もキリスト教信仰に立っている。


私の理解では・・・
に挙げた キリスト中心の教育環境を目指すことが必要だ という主旨でした。

そのためには・・・
教授がキリスト教信仰と各専門分野の知識の融合を目指す必要がある ということでした。
案外、教授が個人的に信仰告白をしていても、
それぞれの専門分野の教育という点では、
信仰(聖書・キリスト教神学と言った方が適切でしょうか)が反映されていないことがあるそうです。

実際的な方策として・・・
面接と2年間の研修によって、教授が効果的に教える環境作りをしているそうです。


・・・というのが私の講演内容の理解です。
本当はもっと深い講演だったのかもしれませんが、
私の理解はここまでです

私の感想としては・・・
キリスト教大学の理想像としてもっともな内容だと思いました


いずれの講演も、今の自分に直接関わることではありませんが、
考え方のトレーニングになりました


非常に長くなってしまいました
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました
何かの参考になればうれしいです

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