マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

この9年で初めて

2015-03-25 21:54:11 | 教会の風景
東村山教会に赴任して、まもなく9年目が終わろうとしています。
この一年間は軸足を羽村に移しての変化の一年で、今まで以上に多忙でした。

それはさておき、最近、この9年間で初めてということがありました。
教会の入り口付近の木の下に生えている、水仙(?)の花が咲きました。
これまで、水や肥料をあげていても、一向に花がつかないのですっかり諦めて放っておいたものです。



しばらく意識にも上らなかったのですが、先日教会に来た時にふと気づきました。
この春はどういうわけか咲いています。
今までは葉ばかりで、どんな花がつくのかさえ知らなかったので、なんだかうれしい気分です。


さて、まもなく月末を迎えますので、月報に掲載した説教のあらすじも載せておきます。
旧約聖書の講解の分で、申命記26,27章からになります。

 モーセは、主の契約のことばを教えるにあたり、くり返し『きょう』と訴えている(新改訳58回)。永遠の神が、選びの民に「きょう」語っているのだ。主権をもって語る神は民に応答を求め、主への従順は「おきてと定め」(26:16)を守ることで果たされる。申命記は契約書(条約)の形式をとっており、「…主の御声に聞き従うと断言した」(26:17)とすることで民の合意が伴うことも示す。イスラエルは「主の宝の民」(26:18)と呼ばれた。私たちは、神の所有とされた民の幸いと責任とを考えさせられる。
 モーセと祭司らは、「静まりなさい」(27:9)、「従いなさい」「行いなさい」(27:10)と民に命じた。主の民であることと主への従順は、本来切り離して考えることはできない。そもそも、主の命令は民の幸せのためであった(10:13)。やがて所有するカナンの地で、イスラエルの6部族ずつをゲリジム山とエバル山にそれぞれ配する命令は、主の『祝福とのろい』を象徴する(27:12,13)。神のことばへの態度には相応の結果が伴う。みことばへのふさわしい応答をと祈り願う。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年の年度末 | TOP | 旅立ち »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 教会の風景