マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

凍結?

2017-01-18 00:03:34 | 教会の風景
先日の日曜日、いつも通りの時間に教会に到着して、準備を始めたのですが...
トイレ掃除を始めてから、水が出ないことに気付きました。
気温が低いので水道管が凍結してしまったのでしょうか。
とりあえず、汲み置きの水がいくらかありましたので、それで応急処置。
昨年はこんなことがなかったので驚きました。


とは言うものの、礼拝には直接支障のないことですので、集まった方々と共に静まり、主を礼拝しました。
説教は旧約聖書の講解の続きで、ヨシュア記も終盤。
この日の聖書箇所も、私たちにとって示唆に富む内容でした。
落ち着いて主のみことばに耳を傾けられる幸いを感謝しました。




旧約聖書からの講解説教のあらすじを掲載しておきます。
2016年11月 ヨシュア記 20-21章
 ヨシュアはこの時点で『のがれの町をあなたがたのために定めよ』と民に命じた(20:2)。まず、このタイミングで命じられたのは、イスラエルがカナンを所有し定住する環境が整いつつあったことの証だ。そもそも、のがれの町は主がモーセに命じたもので、すでにヨルダン川の東側には三つの町が定まっていた。そして、やがて西側を所有することになった際には、残りの三つの町を定めるという運びになっていた(民数記35章)。また、のがれの町は、民の間で過失による殺人を引き起こした者を保護し(20:3-5)、共同体における正義と秩序を保つ役割があった。被害者の関係者としては復讐を望む心情もあろうが復讐心と憎しみは連鎖していくからだ。そして、民を代表する大祭司の死去に伴って解放されることも定められていた。このように大祭司の死による解放は、贖いを私たちに想起させる。新約聖書は、私たちを罪とその滅びから救う大祭司としてイエスを示している(ヘブル7:24-28)。
 シロにいたヨシュアらに、レビ族が住むべき町と放牧地を求めて申し出た。レビ族には他の部族のように相続地の割り当てはなく、幕屋での奉仕から報酬を得るものとされた(民数記18:20,21)。ただし、住むべき場所と放牧地は、各部族の相続地の中に得るようにと定められていた(民数記35:2)。レビ族に住むべき町々と放牧地が定められたことで、イスラエルのカナン定住の環境が整った。主の教えを伝えるレビ族(申命記33:10,11)が各地にいることは民全体の信仰のためにも必要であろう。(21:43-45)はイスラエルのカナン所有を総括して、主が先祖に誓った『すべての良いことは一つもたがわず』に実現したとしている。主はご自分の誓いを誠実に果たされ、アブラハムの子孫であるイスラエルの民に安住の地、つまり安息を与えた。真実なる神は、私たちをイエス・キリストのゆえに御国の民とされ、真の安息を与えられる。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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