マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

マンリョウの色づく季節に

2014-11-24 20:59:24 | 教会の風景
今年も教会の玄関先のマンリョウが色づいてきました。



来週はアドベントに入るので、昨日の礼拝後には、教会内外の掃除と併せてクリスマス仕様の飾りを始めました。
午後は、クリスマス礼拝に向けての聖歌隊の練習。
今年のクリスマスも、御子イエス様のご降誕を祝うにふさわしい礼拝となり、福音をお伝えする良い機会となるようにと願っています。


月末を迎えますので、11月の主日礼拝 旧約聖書の講解説教(申命記20,21章分)のあらすじを掲載します。

 イスラエルの民は今後カナンに向かう。そうなれば先住民や周辺諸国との戦いは不可避だ。戦いに際しては、まず祭司が民に向かって主への信頼を励ます(20:3,4)。『あなたの神、主が、あなたとともにおられる』。 一方、つかさは、民に向かって兵役免除となる条件を告知する(20:5-8)。神が導き入れる約束の地での生活は、新たな家や畑の所有、新婚に象徴され、継承されていくものだ。犠牲の無理強いや搾取をせずとも、勝利は神による。一見相反する両者の呼びかけには、神の御力と祝福に裏付けられた長期的展望があろう。私たちも主への信頼と堅実な生活との調和を大切にしたい。
 遺体を木につるす行為は、戦勝者が敗軍の将に行うこともあった。しかし、ここでは特に、律法違反の処罰で死んだ者のことを言う(21:22)。神への不従順はのろいを招くのであり、死へとつながる。重大な律法違反者の遺体が木につるされる規定には、その者の不名誉や恥を連想させられる。使徒パウロは、キリストがその十字架の死により、『神にのろわれた者』となったと教える(ガラテヤ3:13)。本来、罪人である私たちが負うべき死、神に対する罪ゆえの不名誉と恥をキリストが代わりに負ってくださった。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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